第56話 小鳥と小百合の想い その3


 悠人の頭が真っ白になった。

 息が出来なくなった。変な汗がにじみ、胸の動悸が早まった。

 今、小百合は……小百合は何を、何を言ったんだ……




「半年前、私は職場で倒れました。ただの過労かな、そう思ってたんだけど、病院で聞かされた病名は『急性白血病』というものでした。検査した時にはもう症状が進みすぎていて、手がつけられなかったそうです。そして伝えられたのが、『余命半年』というものでした。



 ……この半年、自分の人生について、色々と考えることが出来ました。そして気がつきました。私の人生って、悠人と小鳥で埋め尽くされていたって。

 余命を伝えられてから、急に悠人に会いたくなった。もう助からない命なら、せめて悠人の胸の中で死にたい……そう思った。でも、そう思って振り返ると、そこには小鳥がいた。



 私の余命を先生から聞いたのは、小鳥でした。小鳥、随分と悩んだみたいだけど、私に話してくれた。私の胸で泣いてくれました。

 死ぬことは怖い。今、こうして話していても怖いです。でもそれ以上に私は、小鳥がこれからどう生きていくのか、それが心配でした。

 あの子は本当にいい子に育ってくれました。父親の顔も満足に覚えていなくて、私と母さんと三人、決して裕福ではない環境の中でまっすぐに、素直に育ってくれた。思いやりのある優しい子になってくれました。でも小鳥はまだ18歳、人生はこれからです。この子のこれからをまだまだ見ていたい、そう心から願いました。でも、それは叶わない……



 この半年、小鳥は毎日病院に来てくれました。たまに先生の許可をもらって、私の隣のベッドで泊まってくれました。いっぱい話しました。今まで話せなかった私のこと、和樹のこと、そして悠人のこと……

 小鳥はよく泣きました。私との別れを、急に身近に感じる時があるんだと思う。そして、私が悠人のことを本当に好きなんだって知って、悠人に連絡したい、そう何度も言いました。でも私は許さなかった。私はもうすぐここからいなくなる。私のことより、小鳥には小鳥のことを考えて欲しかったから。



 最初は私に遠慮して、悠人のことをあまり話さなかったけど、でも少しずつ、あの子の悠人への想いが本当なんだって感じました。

 だからある時言ったの。『悠人と結婚しちゃえ』って。あの子びっくりしてた。でも、自分の気持ちを見透かされて、かなりオロオロしてたよ。で、ある日言ってきたの。『お母さん、本当にいいの?』って。

 私にだいぶ気をつかってたんだろうね。でも、自分の気持ちにも嘘をつけなくなってしまって、情けなくも私に相談してきたんだと思う。だから私は条件を出しました。

 まず大学に合格すること。私の病気で、あの子の人生を立ち止まらせる訳にはいかない。あの子にはいつも、前を向いて欲しかったから。そしてもう一つが、今回の卒業旅行です。




 悠人……あの子ね、子供の頃からずっと、あなたのことが好きだった。あなたはあの子が、初めて心を開いた人なんだよ。一緒に過ごした時間は短かったけど、あの子にとってあなたは、本当にかけがえのない存在なんだ。そして今、あなたのところに行ったということは、あの子自身が答えを探そうとしているんだと思うの。自分にとって、悠人が一体何なのかを見つけようとしている。

 悠人はこの三ヶ月、真剣に小鳥と向き合ってくれたと思います。それはきっと、小鳥にも通じているはずです。そして今、小鳥の中でも答えは出てると思う。あの子がどういう結論を自分に出したか、それは私にも分かりません。でも悠人、どうかあの子の出した答えに、真剣に向き合ってもらえませんか。これは、あの子の母としての願いです。


 ちょっと矛盾してるって、自分でも分かってます。ひょっとしたら小鳥は悠人のことを、一人の男の人として愛してしまったかもしれないのに、私が今、悠人に告白しちゃったから……でもそれは、小鳥も分かってくれると思う。

 私が悠人に想いを伝えて、その上で小鳥には、私と戦って欲しいから。私と戦って、悠人を勝ち取って欲しいから」




 小百合の言葉が途切れた。窓の外を映しているモニターからは、何も聞こえてこない。悠人はただただ、この時小百合が見ていたであろう窓の外を、あの青い小鳥を一緒に見ていた。


 やがて声が聞こえてきた。か細く途切れそうな声。それは小百合の嗚咽だった。それを聞く悠人の頬に、涙が伝った。




「悠人……私、死にたくないなぁ……もっともっと生きていたいなぁ……実は私ね、小鳥が20歳になったら悠人に会いにいくって決めてたんだ。その時にまだ私の気持ちが変わってなかったら、今度は私から悠人に告白したいって……小鳥が成人してから悠人と付き合うのなら、それは私にとって後戻りじゃない、そんな勝手な言い訳を自分にしてね。そして小鳥と悠人を取り合って……そんな未来、一人で想像して笑ってたんだ、頑張ってきたんだ……


 もっともっと生きていたい、小鳥の成長を見ていたい、悠人と生きていきたい……でもそれは叶わない……そう思って、夜になったら一人で泣いて……ばれないようにしてるんだけど、泣いた日は小鳥にすぐ分かっちゃうみたいで、必ず私を抱きしめてくれるんだ。そして泣きながら、『ごめんね、ごめんね』って謝ってくれて……あの子が謝ることじゃないのに、いつもそう言って泣いてくれるんだ……



 悠人、今まで本当にありがとう。私、幸せだったよ。後悔も多かったし、やりたいこともまだまだいっぱいあったけど……でも幸せでした。心残りは小鳥のことだけ……

 だから悠人、小鳥のことをお願いします。どんな形になるのかは分からない。でもあの子が幸せになれるよう、支えてあげて欲しい……わがままな幼馴染の最後のお願い、どうか聞いてください……

 ……最後に悠人に、私が好きだった歌を贈ります……」



 小百合が歌う。子供の頃いつも小百合が歌っていたあの歌。そして今、小鳥が歌っている歌。




「じゃあね、悠人。私は悠人の大好きな星になって、これからもずっとずっと、悠人を見守っているからね。さよなら、私の大好きな……幼馴染……」






「……」


 DVDが止まった後も、悠人は画面から目を離せないでいた。

 とめどなく涙が流れては落ちる。



 小百合はもういない。



 そして小鳥は、そのことをずっと胸にしまいこんだまま、いつも元気に笑っていた。

 小鳥がどれだけ寂しい思いをしていたか、悲しくて泣いていたことか。そのことに自分は全く気付けなかった。それが悔しかった。


 床に顔を埋めて泣いた。声を上げて泣いた。

 小百合の名を、小鳥の名を口にしながら……

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