第51話 それぞれの想い その2
翌日はあいにくの雨だった。菜々美のマンションまで車で迎えに行くと、玄関先で菜々美がうなだれた様子で待っていた。
「おはよう、菜々美ちゃん」
「……おはようございます、悠人さん」
「どうしたの、元気ないね」
「だって……久しぶりに悠人さんと二人きりで、しかも悠人さんがエスコートしてくれるデートなのに……雨が降っちゃって……」
「ははっ……でも、天気だけはどうしようもないからね」
「やっぱり私、くじ運が悪いんですよね……天気予報、今日だけが雨だなんて……一週間前からてるてる坊主作ってたのに……」
「まあとにかく乗って。今日は天気のことも考えて、案を練ってあるから」
車を走らせて話をしていく内に、菜々美も徐々に元気になっていった。話は職場の事、春の新作アニメの感想、
着いた先は、市内の有名な水族館だった。
「水族館ですか悠人さん!」
「うん。雨だからどうしようかって思ってたんだけど、入社した頃に菜々美ちゃんが、ここに来たいって言ってたのを思い出してね。まああれから随分経つから、もう来てると思うけど」
「私、初めてなんです!」
「そうなの?」
「はい!ずっと行きたいって思ってはいたんですけど、一人で行くのも寂しい感じだったし、ずっと行きそびれてたんです。でもびっくりしました。悠人さん、あんな昔に私が言ったこと、覚えていてくれたんですか」
「たまたまだけどね」
「悠人さん……嬉しいです……」
「じゃあ念願のジンベエザメ、見に行こうか」
「はいっ!」
ペンギンたちが迎えてくれる中、ゲートをくぐると、海の中にあるトンネルの様に全面が水槽になっている通路が現れた。
「すごい……」
菜々美が目を輝かせる。
「悠人さんすごい、すごいですよ。海の中にいるみたい」
「ほんとすごいね。目が回りそうだよ」
「悠人さんもひょっとして、ここ初めてなんですか」
「ああ。地元民だけど、なかなか機会がなくてね」
「なんだか……今日雨が降ってよかったです!」
菜々美がはしゃぎながら通路を歩いていく。ゴールデンウイークということもあり、雨にも関わらず来館者は多かった。
「菜々美ちゃん」
「え」
悠人が菜々美の手を握った。
「はぐれないようにね」
「あ……は、はい……」
菜々美が赤面しながらうなずいた。
エレベーターで最上階に上がり、そこから一つ一つのエリアを二人が歩いて行く。
幻想的な空間が広がる中、悠人と手をつないで歩く菜々美の胸は高鳴っていた。手には悠人のぬくもりを感じる。いつしか菜々美の中で、周りの人だかりが消えていた。魚たちが優雅に泳ぐ世界の中で、悠人と二人きりになっていた。
静かな紺碧の空間。菜々美がずっと、ずっとずっと憧れていた世界が今、そこにはあった。
「悠人さん……」
「ジンベエザメ、テレビで見るより迫力あったね」
「はい、やっと念願叶いました。あんなに大きかっただなんて、びっくりしました」
「ラッコも可愛かったし」
「ええ。あんまり可愛いんで、思わず連れて帰りたくなっちゃいました」
「あははっ」
水族館を出た二人は、その後レストランで食事をしていた。
「そんな菜々美ちゃんに、これをあげよう」
「え、なんですか」
「今日の記念に」
「あ……」
悠人から手渡された袋を開けると、中にはラッコのぬいぐるみが入っていた。
「菜々美ちゃん、ラッコにご執心だったから」
「悠人さん……いいんですか、いただいても」
「気に入ってくれたら嬉しいけど」
「そんな、嬉しいです悠人さん……ありがとうございます」
菜々美が嬉しそうに、ラッコを抱きしめた。
「小鳥ちゃんには、何か買ってあげたんですか」
「あ、いや、今日は菜々美ちゃんとのデートだから」
「悠人さんって、やっぱり真面目ですね」
「そうかな」
「そうですよ。そもそも今回のデートにしたって、深雪さんが提案しただけで、悠人さんには断ることも出来たんです。なのに律儀にみんなと会ってくれて……言って見れば、悠人さんが私たちにしてくれるサービスデートじゃないですか」
「ははっ、サービスデートね」
「そうです、サービスデートです。なのに今日は私とのデートだからって、小鳥ちゃんにお土産を買うこともしない。大真面目さんです」
「菜々美ちゃん、それって褒めてる?」
「勿論です。そういった所が、悠人さんの魅力ですから」
そう言って菜々美は、再びラッコを抱きしめて無邪気に笑った。
「でも悠人さん。さっきの占い、面白かったですよね」
「だね。こっちが何も聞いてないのに、俺の名前と生年月日を聞いて『あなたにはものすごい才能があります』って」
「私もおかしくて。笑うの我慢出来なくて」
「その才能が、よりによって『料理』ときたもんだ」
「悠人さんにとって、一番無価値なものですからね」
「俺は食事に興味ないし、生きるために仕方なく食べてるだけだからね。可能なら食べずに生活したいぐらいなのに」
「でもあの人、悠人さんが『料理になんて興味ないよ』って言っても引かなくて。最後まで言ってましたよね、才能があるのに勿体無いって」
「引っ込みがつかなくなったのかもね。ああいうのは、自分の意見を押し通さないと成り立たないだろうから」
「でもちょっと嬉しかったな。悠人さんとの相性はバッチリって言ってくれたから」
「あれもそう。ああ言わないと、お客さんが寄ってこないから」
「もぉ、夢がないんだから。そんなに私と相性がいいの、嫌ですか」
「いやいやそういう訳じゃ……菜々美ちゃん、そろそろ出ようか。この後ショッピング続けて、今日のメインイベントに向かうから」
「あー、またそうやってはぐらかすんですね。ふふっ……いいですよ。そうやって悠人さんの困った顔を見るのも私、楽しいですから」
外に出ると、雨はやんで青空が広がっていた。
「雨、やみましたね」
「うん、予報通り。これで今日のデートも成功間違いなしだ」
「これからどこに行くんですか」
「それは着いてからの、ってね。じゃあ乗って」
「はい!」
車は高速に乗った。窓の外は徐々に暗くなっていき、街に夜の明かりが灯っていく。その景色を眺めながら交わす二人の会話は、つきることがなかった。
「さあ降りて」
二時間近くのドライブは、菜々美にとってあっと言う間の時間だった。もっと悠人さんのことを知りたい、もっと私のことを知ってほしい……これまで悠人に対して育んできた想いが言葉となり、今まで願ってきた、悠人と二人だけの時間をかみ締めていた。
「さあ姫、お手を」
そう言って差し出された悠人の手。目の前にある悠人のその笑顔は、菜々美にとって間違いなく王子様のそれだった。その手に自分の手を重ねた時、胸が熱くなるのを感じた。
車から出ると、風がまだ少し冷たかった。悠人がそっと、自分の上着を菜々美の肩にかける。
「悠人さん、ここって」
降りた場所は山の頂上付近だった。少し歩くと道が開け、景色が視界に入った。
「あ……」
そこは市内を一望出来る、知る人ぞ知る夜景スポットだった。
「きれい……」
見ると周りには、恋人連れと思われる若者たちが、それぞれお互いのエリアを作って座っていた。
「私、ここのこと知ってます。雑誌とかでよく載ってたから……いつか悠人さんと来れたらって」
「やっぱ知ってたか」
「悠人さんは……ここに来たことあるんですか」
「いや、俺も初めてだよ。でもここならきっと、菜々美ちゃんも喜ぶんじゃないかって思って」
「……すごく嬉しいです、悠人さん」
近くの自販機で缶コーヒーを買い、空いているスペースに二人は腰を下ろした。見上げると月も輝いていた。その月明かりのせいで星はあまり見えないが、それでもいつも見ている空とは比較にならなかった。
「夢みたい……」
コーヒーを口にしながら、菜々美が嬉しそうに言った。
「12時になったら、この魔法もとけてしまうけど……本当に私、シンデレラになったみたい」
「ははっ、隣に座ってるのは40前のおっさんだけどね」
「そんなこと……悠人さんは私の……私にとっての王子様……なんです……」
膝に組んだ腕に顔を埋めながら、消えそうな声で菜々美がそう言った。
「私を助けに来てくれた、あの時から……」
「菜々美ちゃんそれって」
「はい。私が酔った人にからまれてて、それを悠人さんが助けてくれて……あの時から悠人さんは、私の王子様なんです」
「菜々美ちゃん、そんな風に言ってくれるのって、すっごく恥ずかしいって言うか……あの状況でたまたま俺がそこにいて、ちょっと錆び付いた正義感出しただけで。
菜々美ちゃん、あの時のシチュエーションにごまかされてるんだと思うよ。どう考えても俺、王子様って見てくれじゃないでしょ」
「そんなことないです。確かに私、あの時の雰囲気に酔ったところはあります。でもその前から、ずっとずっと前から悠人さんのこと、そう思ってたんです。
いつも人のことを考えて、人のためになろうと陰で頑張って、でもそのことで何かを求める訳でもなくて……格好いい、男らしいって言うのは、何も強さだけじゃないと思うんです。人を想う優しい気持ち、損得で動かない真面目さ……私はそれだと思ってます。それが悠人さんなんです」
「俺はそんないいものじゃないよ。ただ単にその場の空気を壊したくない、悲しい顔を見たくない、それだけなんだよ。争いが嫌い、人から嫌われたくないだけの、ただの臆病な」
「そんな風に言わないでください」
「菜々美ちゃん?」
「そんな風に言わないで下さい。私が大好きな悠人さんを、そんな風に
「……」
「だから私、みんなが悠人さんを好きになった気持ち、すごくよく分かるんです。そして同じ人を好きになった彼女たちときっと、これからもずっと仲良くなれる……そう思ってるんです」
「菜々美ちゃん……」
「でも私、負けませんから。今日は新しいスタートなんです。私、絶対に悠人さんのこと、諦めたりしませんから」
「……菜々美ちゃんって本当、強い子だよね」
「そうでしょうか」
「うん。初めて会った時は、あんな会社だろ?昭和の男の町工場。菜々美ちゃん、すっごく怯えているように見えたんだ。だから会社が楽しい場所になれるように、俺がちょっとでも支えられればって思ってた。
でも菜々美ちゃん、会社でいつも笑ってた。そして、何に対しても全力で頑張ってる。こんな強い子もいるんだ、そう思ったんだ」
「そんな、恥ずかしいです……でももし悠人さんが、私のことをそういう風に見てくれてるんだとしたら、それは私が、人生を二人分生きるんだって思ってるからなんだと思います」
「人生を二人分?」
「はい。人生って、誰でも一回きりじゃないですか。それを一度しか送れない。でも私は、その人生を二人分生きたいって思ってるんです。泣くのも笑うのも、頑張るのも二人分って」
「……」
「だから毎日が楽しいんです。毎日が嬉しいんです。充実してるんです」
「すごいな……そんな風に考えてたんだ、菜々美ちゃんは」
「はい。だから私、悠人さんとの恋愛も負けるなんて思ってません。だって私、小鳥ちゃんたちの何倍も、悠人さんのこと、大好きですから」
そう言って、菜々美はにっこりと笑った。
菜々美のマンションの前まで送り、車から降りる時、菜々美は悠人に抱きついてきた。
「悠人さん……今日はありがとうございました。とっても楽しかったです……」
時間はもうすぐ12時になろうとしていた。
「……魔法、とけちゃいますね」
菜々美は悠人の胸にしばらく顔をうずめ、
「よしっ!」
そう言って車から降りた。そして振り向くと、笑顔を悠人に向けた。
「悠人さん。私今日のこと、絶対に忘れません。明日は沙耶さんと楽しんでくださいね」
「うん。こっちこそありがとう、楽しかったよ」
「じゃあ……」
そう言うと、菜々美はマンションに向かって走っていった。
一度もこちらを振り返ることはなかった。
電気のついていない部屋に戻る。
当たり前のことだったのに、やけに部屋が静かに思えた。明かりをつけ、椅子に座って煙草に火をつける。
妙に広い部屋。
自分にとって一番くつろげる空間が、自分を拒絶しているようにさえ感じた。
小鳥とも二日話していない。
テーブルの上には、ラッピングされたサンドイッチが置かれていた。横にあるメモを手に取る。
「おかえりなさい。明日はサーヤと楽しくね。お風呂、ちゃんとお湯につかってね 小鳥」
悠人は白い息を吐き、
「ああ。ありがとな、小鳥」
そう言って小さく笑った。
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