第42話 桜を見に行こう その2
土曜早朝。
悠人が目覚めると、既に小鳥は台所で料理を作っていた。
(そう言えば昨日も、仕込みがあるとか言って遅くまで起きてたな……)
「おはよう、小鳥」
「あ、おはよう悠兄ちゃん」
いつもの元気な声だが、目の下にクマが出来ていた。
「小鳥、昨日ちゃんと寝たのか?」
「うん、ちゃんと寝たよ」
「そうか、ならいいけど……無理するなよ」
「だいじょーぶ。小鳥、若いから」
そう言って小鳥が胸をはった。
「サーヤと弥生さんももうすぐ来るから、悠兄ちゃんは顔洗ってきて」
「ああ」
準備を済ませた頃に、弥生がやってきた。
「悠人さん小鳥さん、おはようございますです、ビシッ!」
「おはよう弥生ちゃん……って、またすごい荷物だな」
「はい、今回は車での移動ということで弥生、全力で弁当を作ってまいりました、ビシッ!」
「シド覚醒バージョンのベルトとは、気合も十分だね」
「さすが悠人さん、今日も冴えてますね」
「そろそろ行こうか、悠兄ちゃん」
「……って小鳥、お前もすごい荷物だな」
「この中には、小鳥の愛がたっぷり詰まってるからね。楽しみにしててね、悠兄ちゃん」
「ははっ……」
悠人は昨日のうちにレンタルしておいた車を取りに、駐車場へと向かっていった。その間に小鳥と弥生は沙耶、深雪と合流し、一階へと降りていった。降りると既に、悠人がワンボックスカーから降りて待っていた。
「おはよう沙耶」
「おはようございます、遊兎」
赤のダウンジャケットに小さなリュックを背負った沙耶が、小さなあくびをしながら頭を下げた。膝下までのジーンズは小鳥のお古で、サイズ直しをしたものだった。
「どうした沙耶。お前も寝てないのか」
「いや……別にそういう訳ではないのだが……」
「ひょっとしてサーヤ、遠足前日気分で眠れなかったとか」
小鳥が意地悪そうな顔で言った。その言葉に反応した沙耶が、顔を赤くして首を振った。
「な……何を言うか小鳥。確かに遠足など小学校以来のことだが、決してそのようなことはないぞ。いかに楽しみとはいえ、楽しみすぎて眠れなかったなどと」
「ほほう、遠足ガールはそんなに今日の旅行が楽しみだったと」
「だからその様なことはないと言っておろうが、この惰乳め。昨日の夜はホットミルクを飲んで気持ちを落ち着かせたし、それでも眠れそうになかったのでクラッシックを流し、それもダメだったのでもう一度風呂に入り、部屋にアロマもたいたし何も問題ない」
「サーヤ、昨日の行動だだ漏れだよ」
「な……」
沙耶が赤面したままうつむいた。
「決して私は……私は……ふにゅう……」
「こらこらお前ら、あんまり沙耶で遊ぶんじゃないよ」
悠人が笑いながら、割って入った。
「時に遊兎。おやつは持参してもよかったのか」
「おやつ?」
「うむ。他人との旅行は初めてなのでな。こういったイベントでは必ず、おやつを持っていっていいとネットで聞いたのだが」
「完全に遠足のようで、本当にありがとうございました」
弥生が笑いながら、沙耶に頭を下げる。
「で、どうなのだ遊兎。おやつは大丈夫なのか。やつらの意見を聞き、350円以内で抑えてはいるが」
「あ……あははっ……」
「沙耶、かわいいよ沙耶……」
悠人が沙耶の頭を撫でる。
「ふにゃ……」
「大丈夫だぞ沙耶。今日はおやつ、無制限だ」
「な……それは本当か」
「ああ、好きなだけ持っていけ。途中でサービスエリアに寄るから、そこで一緒に買おう」
「わ……分かった!」
「ここで話をしているのも楽しいが、そろそろ荷物を入れて乗らないかね。このままだと、ここで旅行が終わってしまいそうだ」
やり取りを見て笑っていた深雪が言った。
「深雪さん、今日はお世話になります」
「少年、完治したようだね」
「はい、おかげでさまで」
「今日は運転、よろしく頼むよ」
「はい。昨日は小鳥がしっかり寝かせてくれたんで、大丈夫です」
「そうかね、いいお嫁さんだ」
深雪の言葉に小鳥は、照れながら慌てて荷物を車に乗せた。
「じゃあ出発するぞ」
「まずは駅前だね、菜々美さんを迎えに」
「ああ」
車が駅前に着くと、既に菜々美は待っていた。
「みなさん、おはようございます」
「おはよう菜々美ちゃん。今日はよろしくね」
「はいこちらこそ。悠人さんと旅行だなんて、私嬉しくて、昨日の夜はほとんど眠れませんでした」
「え」
「あ」
「くっくっくっ……」
深雪が笑い出した。
「君たちを見ていると本当、飽きないよ」
「折角のお花見なんで私、お弁当いっぱい作ってきました」
菜々美の後ろには、弁当の入った袋がいくつも置いてあった。
「悠人さん、楽しみにしててくださいね」
「菜々美ちゃんこれ全部、ここまで持ってきたのかい」
「いえ、電車では流石に無理だったんで、タクシーで」
「あ……あはははっ」
菜々美が乗り込む前に、助手席を巡ってのバトルが勃発。じゃんけんで小鳥がその座を勝ち取った。残りは後ろに向かい合わせで乗り込む。
「じゃあいくぞ」
「しゅっぱーつ!」
小鳥の号令で車が動き出した。
「いい天気になってよかったね、悠兄ちゃん」
「小鳥のてるてる坊主のおかげだな」
「えへへっ」
「てるてる坊主なら悠人さん、私めも6人分吊るしておきました」
弥生が二人に割り込んで言った。
「そ……そうか、弥生ちゃんもありがとね」
「私もです!」
その横から、菜々美も顔を出す。
「な、菜々美ちゃん。そうか、ありがとね」
「いえそんな……私はただこの旅行で、悠人さんが楽しんでくれればと、そう思って……」
「ふっ……全くもってダメだな」
沙耶が腕を組んで勝ち誇る。
「お前たちは、てるてる坊主と天気の関係をまるで分かっていない。あれはそもそも、吊るしてある場所限定なのだぞ。出発地が天気でも、目的地が雨だったらどうするのだ。その点私のてるてる坊主は、今回の旅行の天気全てを司っている。見るがよいっ!」
そう言って沙耶が、リュックに吊るしてあるてるてる坊主を見せた。
「これぞ移動式てるてる坊主だ。これさえあれば今回の旅行、どこに行っても大丈夫だ」
「ぷっ……」
深雪が吹き出した。
「あはははははっ。君たちといると本当、退屈しないよ。まるで移動型娯楽施設だな」
その後、車は高速に乗った。深雪は既にビールをあけて飲んでいた。沙耶と弥生、菜々美はトランプに興じている。
「旅行といえばババ抜き、これは外せません」
弥生の提案だった。小鳥は高いテンションで悠人にずっと話かけ、悠人はそれを聞きながら楽しそうにうなずいていた。
しばらくして、車は一度サービスエリアに止まった。
「なんだここは!」
売り場に入った沙耶が、少し興奮気味に店内を回る。
「沙耶、気に入ったお菓子があったら言うんだぞ」
「了解した」
「あのツルペタ、放っておいたら何をしでかすか分かりませんので、私めが監視しておきますです」
「すまんな弥生ちゃん。もしあいつが何か欲しがったら、これで買ってくれるかな」
「了解であります、ビシッ!」
悠人から受け取った数千円を手に、弥生が沙耶の後を追った。
「小鳥、何か欲しい物あるか?」
「ううん、特にないかな。それより悠兄ちゃん、煙草吸いたいんじゃない?」
「気配りどうも。じゃあちょっと吸ってくるよ」
そう言って、悠人は喫煙所に向かった。
「小鳥ちゃん、悠人さんが何を気にしてるか、分かってるのね」
「悠兄ちゃんが煙草我慢してるのって、いくら隠しててもばればれですから」
「確かに……ね。現場で悠人さんが我慢してる時の顔、私もすぐ分かるわ」
「やっぱり」
「ふふっ」
笑いながら、小鳥と菜々美も店内を歩き出した。
喫煙所では、既に深雪が煙草を吸っていた。
「来たかね少年」
「どうも」
「お互い肩身が狭いね」
「家では好き勝手に吸ってますから、こういう時にはちょっと不便します」
「全くだ。まあ、あの乙女たちがいる車内が煙で充満するのは、あまり美しくないからね」
黒い帽子を斜めに被った深雪は、その場に似つかわしくない存在だった。すらりとした長身を黒のワンピースで纏い、細巻きの煙草を優雅に吸うその姿は、あまりにも絵になっていた。モデル顔負けのその姿に、思わず足を止めて見入る者もいた。
「どうかしたかい、少年」
「あ……いえ、別に」
悠人が慌てて煙草に火をつける。
「遊兎、どこだ遊兎」
店から出た沙耶が、悠人を探していた。見ると両手に、菓子を詰め込んだ袋を持っていた。
「気が済んだか、沙耶」
「うむ、満足したぞ遊兎。これだけあればこの二日、何の心配もなく過ごせそうだ。
しかし遊兎、ここは一体なんなのだ。なぜ車の専用道路に、このような店があるのだ」
「どうしてって……深く考えたことなかったな」
「そうか。しかし私は、楽しくて仕方がないぞ」
そう言って、沙耶がにっこり微笑んだ。悠人が満足そうに沙耶の頭を撫でようとして、ふと思いついたように、
「ちょっとここで待ってろ。深雪さん、俺ちょっと買い物してきます」
そう言って店内に走っていった。
しばらくして、悠人が紙袋を持って戻ってきた。
「悠兄ちゃん、なに買ってきたの」
「ああ、これだよ」
そう言って、小鳥の頭に何かを乗せた。
「きゃっ」
小鳥が驚いて、それを手にする。それは赤い野球帽だった。
「それから……沙耶はこれだ」
沙耶には黄色い登山帽、弥生にはサンバイザー、菜々美には縁がついた白い帽子を、それぞれ頭に乗せた。そして最後に自分は、真っ黒の野球帽をかぶった。
「4月でも日差しは強いからな」
そう言って悠人が笑った。
「おいおい少年、旅の始めから飛ばすね。今からそんなフラグを立てて、大丈夫なのかい」
深雪が意地悪そうに言った。
「え?フラグって」
そう言って悠人が4人を見回すと、4人とも帽子を手に目を輝かせていた。
「少年、優しさは時に残酷なものだよ」
深雪がウインクして車に向かう。4人はそれぞれの帽子を手に、悠人の周りにまとわりついて離れない。
「あ、あの……じゃあ皆さん、車に戻りますか……」
「はい!」
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