第31話 初めてのデート その7


 インターホンがなった。


「……」


 パソコンの電源を入れたばかりの沙耶がモニターを覗くと、悠人の姿が見えた。思わず笑みをこぼした沙耶が玄関に走り、ドアを開けた。




 パンッ!パパンッ!




 沙耶の頭上でクラッカーの音が鳴り響いた。見ると悠人に小鳥、そして弥生がそこにいた。三人ともクラッカーを手に笑っていた。


「サーヤ、引越し・アルバイト決定、おめでとう!」


 小鳥の掛け声と同時にもう一度クラッカーが鳴った。





「な、な、な、なんだこの騒ぎは」


 気が動転した沙耶が、声にならない声を出す。


「お前の歓迎会だよ、沙耶」


 悠人が笑いながら、沙耶の頭を撫でた。


「歓迎会……」


「そうです、クイーン・ロリータ。我々庶民は、こういった出会いを大切にしているのです。私も不本意ではありますが、今日は一時休戦ということで、お祝いに馳せ参じました」


「に……肉襦袢にくじゅばんまで……そうか、お前たち、私の引越しを祝ってくれるというのか……」


「もう晩飯は食ってしまったから、まぁティーパーティーってとこだな」


「サーヤ、中に入ってもいい?ちょっと寒いかも」


「あ、ああ、すまない。私としたことが、余りに驚いたので、客人を立たせっぱなしにしてしまった……さあ、入ってくれ」


「おじゃましまーす!」


 三人がわいわいと中に入る。


「怪奇絶壁幼女……じゃなかった北條沙耶殿、キッチン借りますよ」


「あ、ああ……好きに使ってくれミートボール……川嶋弥生」


「二人が名前で呼び合うのも、なんか新鮮だね」


「まあ今日は休戦だからな」


 小鳥と弥生が、キッチンでお茶の用意をする。悠人はリビングにテーブルを置くと、沙耶と一緒に座った。


「すまない遊兎、このようなことを……」


「何言ってるんだよ。せっかく出会えた同志なんだ。これからもこうやって、何かと理由を作って集まるのもいいだろ」


「あ、ああ……」


 沙耶が照れくさそうに、うつむいたままうなずいた。


「でわでわ」


 弥生が皿にケーキを乗せてテーブルに置いた。小鳥は紅茶を持ってくる。


「ではあらためて」


 悠人がこほんと咳をし、かしこまって言った。


「我が親愛なる友人、カーネルこと北條沙耶さんの引越しを祝って……乾杯っ!」


「乾杯!」

「かんぱーい!」


 三人がティーカップを持って声高らかに言った。


「沙耶、これからもよろしくな」


「サーヤ、仕事おめでとう」


「また牛丼屋に行きましょう」


 三人が代わる代わる沙耶のカップに音を立てていく。


「ありがとう、みんな……ありがとう……ございます……」


 感極まり、半分べそをかきながら、沙耶が一人ひとりに会釈する。


「でわでわ北條沙耶殿、私の手作りケーキを是非ご堪能ください」


 ケーキを切って弥生が沙耶に手渡す。


「この川嶋弥生自慢の一品、アップルパイにございます」


「アップルパイか……私の母もよく作ってくれた。私の大好物だ、ありがとう川嶋弥生」


 沙耶が笑顔で一口食べた。


「……」


「いかがですか、北條沙耶殿」


「……うまい!うまいぞ川嶋弥生!母上に勝るとも劣らぬ見事なものだ」


「なんとっ!」


 弥生が頬を紅潮させて言った。


「お母上の作るアップルパイと同等と」


「うむ、美味すぎる」


「母親手作りと同等という言葉は、ある意味最高の褒め言葉です。母親の手作りに勝てるものなど、この世にはないのですから」


「弥生ちゃん、興奮しすぎだぞ」


「興奮もしますとも。この北條沙耶殿が私めのパイに最高の賛辞を贈られたのですよ、これが興奮せずにいられましょうか」


「でも弥生さん、これ本当においしいよ」


「うむ……最高だ……」


 沙耶がうつむき、パイをほおばりながら肩を震わせた。


「なんと今日は……最高の一日なのだ……」


 膝にポタポタと涙が落ちる。


「でもサーヤ、今日のメインはまだあるんだよ」


「そうそう、これぐらいで感激されては困ります」


「ま……まだ何かあるというのか」


「じゃーん!」


 小鳥が沙耶に、ラッピングされた箱を差し出した。


「明日から新社会人として働くサーヤへの、私と弥生さんからのプレゼントです」


 沙耶が箱を受け取り、慣れない手つきで包装を取る。


「あ……」


 中には赤いスニーカーが入っていた。


「コンビニでバイトだからね、さすがにヒールでは無理だから。サーヤに似合いそうなのを、弥生さんに買ってきてもらったの」


「ちなみに資金は半々です、キラッ」


「で、俺からはこれだ」


 悠人が紙袋を渡した。


「……」


 それは真っ赤なダウンジャケットだった。


「こんな下町で、いつまでもミンクのコートって訳にもいかないしな」


「悠兄ちゃんね、こういうのに興味がないから分からない、小鳥に選んでって言ってたんだけど、このジャケットを見て『沙耶にきっと似合うぞ』って決めたんだよ」


「なんと……これは遊兎、お前が選んで買ってくれたのか……お前が今日出かけたのは、これを買うためだったのか……」


「いや、小鳥と遊びに行ったのは本当だよ。まあお前も一緒に来てたら、後でこっそり買いに行くつもりだったんだけどな」


 沙耶がジャケットを抱きしめた。


「あったかそうだな……」


「まだしばらく寒いからな。暖かくなってきたら春用のやつ、今度は一緒に買いに行こう」


「みんな……みんな……ありがとう、ありがとうございます……ふ……ふえええええええっ」


 ついに沙耶が声を上げて泣き出した。小鳥と弥生が笑いながら二人で沙耶を抱きしめる。


「ありがとうございます、ふええええええっ」





 その後一時間ほど沙耶の家で過ごし、悠人と小鳥は家に戻った。


 弥生は、半べそをかいている沙耶にもう少し付き合います、そう言って残っていた。


「サーヤ、喜んでたね」


 風呂から上がった小鳥が、タオルで髪を拭きながらそう言った。


「そうだな。あそこまで感動してくれたら、プレゼントしたかいがあるよ」


 パソコンを開き、4月からの春アニメをチェックしながら悠人が答える。


「よいしょっ」


 タオルを首にかけ、トマトジュース片手の小鳥が悠人の隣に座った。


「どう?面白そうなアニメある?」


「そうだな……ジェルイヴを超えれるものがあるかどうか……」


「もうすぐ終わっちゃうんだよね、何か寂しくなるよね」


「続編を待つ日々がまた始まるのか……しかしこの時期、来シーズンのチェックをするのも楽しいけど、それ以上に、今から順に最終回が来るのが寂しい時期でもあるんだよな。特にお気に入りが多い時は」


「複雑だよね」


「ところで小鳥、どさくさに紛れて体を密着するの、やめてくれないか」


「えー、いいじゃないこれぐらい。スキンシップは争いをこの世からなくす、最大の妙薬なんだよ」


「小鳥……お前ノーブラだろ。ちょっとは警戒しろ」


「襲ってくれていいんだよ、悠兄ちゃん」


「なんでテンション上がるんだよ」


「お風呂上りの18歳。ご主人様さえその気なら、いつでも純潔を捧げる覚悟は出来てます」


「わたったっ、煙草煙草」


 抱きついてきた小鳥を振りほどき、悠人がくわえていた煙草を慌ててもみ消す。


「お前が来てから何回目だよ、このパターン」


「もー、悠兄ちゃん、なんで小鳥の誘惑にのってくれないかなぁ」


「ノリとか誘惑でなびかない主義なんだよ、俺は」


「わっ、悠兄ちゃん純情」


「大人をからかうな」


 そう言って笑いながら、悠人がリュックから袋を取り出した。


「小鳥にこれを」


「え?」


「堤防で渡そうと思ってたんだけどな」


 小鳥が包みを受け取り開けた。




「あ……」




 それはドール専門店で小鳥が見ていた、『魔法天使マジックエンジェルイヴ』のドールだった。


「……」


 あの時、小鳥は確かにこの人形に心を奪われた。日本橋を回って、一番欲しいと思った物だった。しかし結局、値段を考えてあきらめた。その人形が今、目の前にある。

 自分が欲しくてたまらなかった人形を、悠人が気付いて買ってくれた。そう思うと小鳥の胸に、熱い物が込み上げてきた。


「え……」


 気がつくと小鳥の頬を涙がつたっていた。


「なん……で……」


 涙に気がつくと、次から次へと涙が流れてくる。


「はい」


 悠人がタオルを差し出した。


「感情がおおらかでよろしい。買ったかいがあるよ」


 悠人がそう言って、小鳥の頭を優しく撫でた。小鳥は涙をぬぐいながら、悠人の手のぬくもりに、


「あったかい……悠兄ちゃん、ありがとう……」


 そう言った。





 布団の中で、小鳥は胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 枕元に置いている人形を何度も手に取り、抱きしめる。そしてその度に動悸が激しくなっていった。


(どうしたんだろう、私……悠兄ちゃんのことを考えると、胸の中が熱くなってくる……こんなの……初めてだ……)


 布団の中で丸くなり、人形を抱きしめる。

 これまでも、悠人のことを考えると胸は高鳴っていた。しかしそれは、嬉しい、楽しいと言った、幸せな感情だった。

 しかし、今夜のそれは明らかにいつもと違っていた。心臓が口から飛び出しそうなぐらい、鼓動が早くなる。悠人のことを思うと、胸が苦しくなっていく。こんな経験、初めてだった。


(悠兄ちゃん……)


 布団から顔を出し、少しひんやりとする空気を吸い込む。目をつむると、人形を渡した時の悠人の笑顔が浮かぶ。するとまた、胸の鼓動は高鳴った。


(お母さん、私どうしたんだろ……胸が……苦しいよ……)


 その時小鳥の脳裏に、母、小百合がかつて言った言葉が思い出された。





「小鳥は本当に、悠人のことが好きなんだね」


「うん。悠兄ちゃんのお嫁さんになるのが、小鳥の子供の頃からの夢なんだから」


「小鳥は悠人のことを思い出したら、どんな気持ちになる?」


「幸せな気持ち……そして楽しい気持ち、かな」


「そっか……小鳥は本当に、悠人のことが好きなんだね。だったらいいよ、母さんが譲ってあげる。でもね」


「何?」


「小鳥の今の気持ち、本当なんだと思う。でも小鳥が今よりもっと、もっともっと悠人のことを好きになった時、その時には『幸せな気持ち』『楽しい気持ち』の他にもう一つ、『苦しい気持ち』が生まれてくる。その時、小鳥は心から、悠人のことを一人の男の人として考えられるようになるからね」


「好きなのに苦しくなるの?よく分からない」


「今はそれでいいよ。でも覚えておいてね、母さんの言ったこと。母さんも悠人のことを好きになって、そうなった。そしてその時、母さんのような後悔が残らないように、自分の気持ちに向き合って欲しいんだ」





「お母さん……」


 小鳥がつぶやく。


「お母さんも悠兄ちゃんのことを考えて、こんな気持ちになったの?お母さんが言ってた苦しみって、このことだったの?小鳥、よく分からないよ……」


 再び布団の中に顔をうずめる。


(悠兄ちゃん……悠兄ちゃん、悠兄ちゃん、悠兄ちゃん……)


 体が熱い。小鳥は体を丸めたまま、眠れぬ夜を過ごした。

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