第30話 初めてのデート その6
駅につくと、雨はやんでいた。陽が落ちて少し肌寒く感じられる。
「ちょっと寄り道していいか?」
マンションに着いた悠人がそう言った。
「どこに?」
「そこ」
悠人が指差したのは、マンションのそばを流れる川の堤防だった。
堤防に二人が腰掛ける。小鳥は寒いのか少し震えていた。悠人が手渡した缶コーヒーを飲むと、
「あったかい」
そう言って笑った。悠人はジャンパーをぬぎ、小鳥の肩にかけた。
「ありがとう。でも、悠兄ちゃんは寒くない?」
「ああ、俺は真冬生まれだから、寒いのには強いんだ」
「そうなんだ。小鳥も冬生まれなのに、なんで寒いの苦手なのかな」
「女の子だからしょうがないよ。冷え性とか、女の子の方が圧倒的に多いだろ」
小鳥が残りのコーヒーを一気に飲む。
「はぁ、ちょっと落ち着いたかも」
「お、星発見」
悠人がそう言って指を伸ばす。その先には宵の明星、金星が光っていた。
「ほんとだ。空、晴れたんだね」
「あの星だけは、なんとかここでも見えるんだよな」
「金星も見えなくなったらおしまいだよ。なんたってマイナス五等星、一等星の170倍も明るいんだから」
「さすがは星ヲタ」
「今日のプラネタリウム、楽しかったぁ」
「そう言ってもらえると、連れて行ったかいがあるよ」
「ほんとに楽しかったんだもん」
「そんなに喜んでくれたら、また連れて行くしかないじゃないか」
「また行きたい!それから出来たら、悠兄ちゃんとほんとの星も見たい」
「望遠鏡持ってか?」
「うん」
「じゃあ車を借りて、一度遠出するか」
「楽しみにしてるね」
話が弾む中、悠人が少し考え込み、小鳥に何か言おうとしたその時、携帯がなった。
「遊兎か……私だ……」
沙耶だった。いつもの覇気がまるで感じられない声だった。
「昼はなんとかしのいだのだが……そろそろ空腹も限界になってきた。なんとか……なんとかならないものか」
「沙耶からだ。腹減ってるみたいだ」
苦笑しながら小鳥に言う。
「どの程度緊急だ。もう限界なのか」
「うむ……目の前が暗く……なってきた……」
「昼はどうしたんだ」
「お前の部屋にあった、ポテトチップスなる物を……」
「ポテトチップスってお前、そんだけしか食ってないのか……っておい、お前、俺のポテチを、俺の家に入って食ったのか」
「そこは食いつかなくともよい。それより今すぐ食べれるものはないのか。冷蔵庫の中は素材ばかりでさすがに……」
「ちょっと待て。お前、今も俺の家にいるのか」
「あと10分が限界……と言ったところか」
「困ったやつだな全く……分かった、じゃあ食べに連れていってやるから、今から降りてこい。俺もマンションの近くにいるから」
電話を切り、二人がマンションの下まで歩いていった。
「小鳥、今日は牛丼デーだ。構わないか」
「いいよ。すぐ食べられるってことなら、そうなるよね」
「あいつが食べられるかどうか、分からないけどな」
そうこう言ってるうちにエレベーターが着き、中からミンクのコートを着た沙耶が出てきた。
「おかえりなさい」
沙耶が力なく二人に頭を下げた。
「あ、ああただいま……ってか、やっぱその格好なのか」
「こんばんは悠人さん、小鳥さん」
エレベーターの中から、沙耶に続いて弥生も出てきた。
「弥生ちゃんもお出かけ?」
「いえいえ、私も今帰ってきた所だったのですが、部屋に入る時にこの胸元プレス機に出くわしまして。今から悠人さんたちと食事だと聞いたので、ご一緒しようかと」
「そっか。じゃあみんなで行こうか、牛丼屋」
「牛丼ですか、いいですね」
「ああ、沙耶にも庶民のご馳走を食わせてやるよ。なんたって『早い・安い・うまい』の三拍子だからな」
「なんでもいい、早く食べさせてくれ……もう……限界だ……」
店内に入ると、沙耶は一段と浮いて見えた。カウンターの丸椅子に座り、
「一度ここには来たことがあるが……何とも不思議な店構えだな」
と、いぶかしげな表情をするその美少女は、金髪でミンクのコートを着ている。牛丼屋には全く似つかわしくない出で立ちだった。
「沙耶、おまかせでいいか」
「うむ、なんでもいい。とにかく早いものを頼む」
「心配するな、一瞬で来るからな」
食券を受け取った店員が、元気よく返事をしていくらもたたない内に、牛丼が運ばれてきた。
「何、もう出来たと言うのか。さては遊兎、ここに来る前にあらかじめ注文していたな」
「そんなことしなくても大丈夫なんだよ、ここは。さぁ食べよう」
「いただきます」
「いただきます」
「遊兎、卵はどうしたらいいのだ」
「ああそうだな。沙耶、俺がやる通りにしてみろ。いいか」
悠人が卵を割って小皿に入れると、醤油を差して混ぜた。
「サーヤ、卵割ってあげるね」
小鳥が卵を割ると、沙耶も悠人にならい、醤油を差してかき混ぜた。
「そしてこれを牛丼に入れて……そしてさらに混ぜる!」
「なんと面妖な!」
沙耶も慣れない手つきで牛丼をかき混ぜる。
「そんなもんだな。よし沙耶、食ってみろ」
「う……うむ……」
「どうしましたブルジョア幼児、牛丼に恐れをなしましたか」
見ると弥生はすでに牛丼を頬張っていた。
「な……何を言うかこの牛めが。共食いとは恐れ入るぞ」
そう言いながら、沙耶が恐る恐る牛丼を口に運んだ。
「……!」
口の中いっぱいに広がった味に、沙耶が驚愕の表情を浮かべた。
「な……なんだこれは!庶民はこんな美味な物を食しているのか!」
ここに一人、牛丼に魅せられ、虜となった者が誕生した。
「今宵は素晴らしい体験をしたぞ遊兎。こんな所を今まで隠していたとは、意地悪なやつだ」
「いや、お前がほんとに食えるかどうか、分からなかったからな」
「庶民侮りがたしだ。まだ他にもあるなら教えてくれ」
「そうだな。これからずっとお隣さんなんだし、また連れていってやるよ」
「頼む。だがまずは牛丼を究めることにしよう。しばらくはあの店に日参しなくてはならないな」
「ははっ」
「ほほう、庶民の味を極めようとは、中々見上げた心がけ。私もあの店の常連ですが、誇らしい限りですね」
「何?牛乳石鹸はあの店によく行くのか」
「庶民ですから。それになにより、あのスピードは現代人には魅力ですので」
「ならば頼みたい。また行く機会がある時は、是非声をかけてくれ」
「お安い御用です」
「肉饅頭、感謝するぞ」
「いえいえこちらこそ、ミス・フローリング」
沙耶と弥生が握手を交わす。
「悠兄ちゃん、あの二人」
「ああ、さしずめ『牛丼同盟』ってとこだな」
悠人と小鳥が笑った。
「また明日ね」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
玄関先で4人が別れ、それぞれの家に戻っていく。よくよく考えると奇妙な光景だった。
「これが当たり前の光景になっていくんだな、これから」
悠人が感慨深げにそうつぶやいた。
うがい手洗いを済ませて一息ついている頃に、弥生から電話がかかってきた。小鳥が、
「うん……うん……分かった」
そう言って電話をきり、悠人に向かって親指を立てた。
「よし、行くかっ」
悠人が玄関を開けた。
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