第26話 初めてのデート その2


「なんなんだこの部屋は……」




 同じマンションの隣なので、基本的に悠人の家と同じ間取りのはずだった。

 しかし悠人たちが足を踏み入れた沙耶の部屋は、奥の二部屋の壁がぶちぬかれ、14畳の洋間になっていた。台所も最新式のシステムキッチンになっている。


「隣で工事してるのは知ってたけど、お前だったのか、沙耶」


「ああ。流石に死ぬまでとは言わぬが、当分ここに住むのだからな。私の住みやすいように変えさせてもらった」


「これだけのリフォームをわずか2、3日で……一体いくらかかったんだよ」


「すいません、これはどちらに?」


「ああ、一番奥に頼む」


「悠兄ちゃんよかったね。これでずっと、弥生さんともサーヤとも一緒にいれるよ」


「いや、そうなんだがな……」


「遊兎、仕事が出来たぞ。私のベッドだ、組み立ててくれ」


「分かった分かった」




「このベッドも、これまた規格外の沙耶仕様だな」


 小柄の沙耶が何人寝れるのか、そのベッドはキングサイズの域を超えていた。しかも屋根がついていて、そこから高価そうなレースがかかっている。どこかの王室ご用達と言えるような豪華なベッドだった。


「お前、どこのプリンセスなんだ」


「何を言う。これでも実家にあるベッドに比べれば、ランクはかなり落ちるのだぞ。さすがにこの部屋には大きすぎるからな」


「……お嬢様ってのは、本当のようだな」


「だから最初からそう言っておるだろうが」


 天井には小型のシャンデリア、大画面液晶テレビにレコーダー、最新式のパソコンにデスク、リクライニングチェアーには両サイドにスピーカー内臓。フローリングの空いたスペースには雲のような絨毯。カーテンもレースだけで何万するのだろうか?そう悠人が思ってしまうほど高価なものがつけられていく。同じマンションの部屋とは思えない豪華な仕上がりだった。


「なぁ沙耶、お前ここまで金があるのに、なんでまたこんな過疎マンションに住むことにしたんだ。もっといい所に住めただろうに」


「……そ、それは」


 悠人の問いに、沙耶が口ごもった。


「悠兄ちゃん、本当に鈍感だね。そんなの決まってるじゃない」


「え?」


「悠人さんのそう言う所、魅力でもあるのですが確かに……ゲームに出てくる典型的な鈍感キャラですよね」


 弥生も腕を組みながらうなずく。


「それはだな……」


 赤面する沙耶が、小鳥と弥生を制して言った。


「うむ、確かに……もっと便利な場所に住むことも考えたのだがな……何よりこの土地は、私にとって初めての場所であってだな……そう……何かと助言をしてくれる人間……いや違う、今のはなしだ……

 下僕……そう、下僕だ。私の身の回りの世話をする者がいないと、何かと不便なのだ。これまでもメイドのいる生活をしていたからな、この土地で住むきっかけを作った遊兎には当然、私の生活を守る義務がある。そう、義務だ。よって私がここに住むのは当然の権利なのだ」


 赤面のまま、分かるような分からないような理屈をまくしたてる沙耶に、小鳥も弥生も苦笑した。しかし当の悠人は、沙耶の口から出てくる言葉がよく理解出来ずにいた。


「悠兄ちゃん、深く考えないで。とにかくサーヤは、悠兄ちゃんの近くにいたいってことなんだよ」


「そうなのか……よく分からんが、まぁいいか」


「そうだ遊兎、深く考えることはない。それに……そうだ!大事なことを忘れていたぞ。うむ、そうだ。私がここに住む決意をした一番の理由、そう、それだ!」


「何をきょどってるんだ、お前は」


「私はだな、遊兎。よく聞くのだ。あさってから小鳥と同じ所で働くことになったのだ。そう、だから私には、ここで住む以外の選択肢はなかったのだ!」




「働くってお前……えええええええっ!」




「サーヤも、あのコンビニで働くことになったんだよ」


「働くってお前……大丈夫なのか?」


「失礼なことを言うでない。確かにこれまで労働に勤しんだ経験はないが、なぁに私の本気が目を覚ませば、物売りの仕事など造作もないことだ」


「小鳥、大丈夫なのか。おばちゃんもいいって言ったのか」


「うん、おばさんも喜んでたよ」


「そうか……あのおばちゃんも、人だけはいいんだよな……明日挨拶しとくか」


「まあ見ておれ遊兎、私の覚醒した姿を。とにかくだ、それがここに住む一番の理由なのだ。さあおしゃべりはここまでだ、仕事に戻るぞ」


 沙耶がそう言って、無理矢理会話を切った。





 それから半日ほどで引越しは終わった。その後、手伝った報酬として沙耶が寿司を振舞い、皆で食べ終わった頃にはもう暗くなっていた。

 悠人たちが我が家に戻っていくと、賑やかだった部屋が急に静けさに包まれ、沙耶は少し寂しそうな顔をした。


「だ、大丈夫だ……隣には遊兎も小鳥もいる。乳妖怪もいる……寂しくない、寂しくないぞ……私は今日からここで、新しい生活を始めるのだ……」


 独り言をつぶやきながら両手で頬を叩くと、風呂に入っていった。

 風呂から上がるとパソコンに向かい、いつものようにブログの更新を始める。




「本日、我、カーネルは新たなる第一歩をここに刻むーー」




「今日もすごい一日だったね」


 風呂から上がった小鳥がそう言って、悠人の背中に抱きついてきた。


「小鳥はどうだ、嬉しいか」


「当然。サーヤは悠兄ちゃんの友達だけど、小鳥の友達でもあるんだから」


「だな。でもこの過疎マンションも、賑やかになったもんだな」


「初めてここに来た時は、ちょっと怖い感じがしたんだ。生活感がないっていうか、音がないっていうか……でも弥生さんがいてサーヤもやってきた。これからもっともっと、賑やかになりそうな気がするよ」


「沙耶も、上流階級のわりに騒々しいしな」


「でもやっぱり……お嬢様ってすごいよね。私、あんなふわふわの絨毯初めて見たよ」


「寿司も特上ばっかりだったしな」


「おいしかったー」


「まあでも考えてみたら、沙耶が隣でほっとしたよ」


「そうなの?」


「ああ。これで何かあっても、すぐに駆けつけることが出来る」


「さすが悠兄ちゃん」


「それはそうとして、小鳥……」


「え?」


「いつまでしがみついてるんだ?」




 久しぶりに静かな夜だった。もう沙耶が布団に潜り込んで来ることはない。小鳥が張り合って一緒に来ることもない。悠人はその日、久しぶりに布団の上で大の字になった。

 これまでずっとそうしてきた、当たり前のこと。たった数日それがなかっただけで、随分布団が広く感じられた。どことなく物足りなくも思えた。


(なんだ……俺は寂しいのか?いつも通りに戻っただけだろ?大体俺は39だぞ。思春期の子供じゃあるまいし……)


 そう思いながら布団をかぶる。しかし悠人の心には、間違いなく「寂しさ」が存在していた。

 そしてそれは、やがて来るであろう、小鳥との別れを考えさせられた。


 小百合が告げたゴール、3ヶ月以内に俺の心が動かなかったら、小鳥はここから出て行くことになる。俺が小鳥との結婚を考えることは……ない。俺にとって小鳥は娘みたいな存在だ。俺自身も結婚を考えたことはないし、想像も出来ない。


 と言うことは俺は、また一人でここに住むことになる。その時、俺の心にはどんな穴があくのだろう。


 たった二週間しか小鳥とは住んでいない。それより前、俺は10年以上ずっと一人で生活をしてきた。その生活に戻る、ただそれだけのことなのに、なんでだ?なんでそのことを考えると、俺はこんなに不安になるんだ……そんな思いを打ち消しながら、悠人は眠りについていった。




 小鳥は悠人のことを考えていた。子供の頃から憧れていた、大好きだった悠兄ちゃん。

 しかし思い叶わず、悠人と会うことはままならなかった。会いたくて涙することもあった。しかし今、小鳥はその悠人を一番近くに感じている。そのことが嬉しかった。


「え?」


 小鳥の耳に、弥生が打ち上げる花火の音が聞こえた。

 なんだかんだと言いながら、弥生も沙耶の引越しを喜んでいる。そう思うと、また嬉しさがこみ上げてきた。


 カレンダーを見る。タイムリミットまであと2ヶ月と少し。小さく笑ったあとで、小鳥は窓に目を向けてつぶやいた。




「お母さん、小鳥、がんばるからね」

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