第17話 悠人争奪戦開始 その2


「……なんか最近、小百合の夢をよく見るな……」


 目覚めた悠人がそうつぶやいて起きようとすると、腕にまだ小百合の感触が残っていた。何やらいい匂いもする。


「なんでこんな匂いが……」


 腕を見ると、自分の腕にしがみついたまま眠っている、ネグリジェ姿の沙耶がそこにいた。


「え……」


「ん……むにむに……」


「う……うぎゃああああああああっ!」


 悠人の絶叫に、小鳥が飛び込んできた。


「どうしたの悠兄ちゃん」


「こ……これ……」


「あーっ!」


「ん……もう朝……か……遊兎、小鳥、おはようございます」


「おはようじゃない沙耶、お前、なんでここで寝てるんだ」


「……何を言うか遊兎、下僕として夜伽よとぎをするのは当然の義務だろう」


「な、な、な、何が夜伽だお前」


「朝から大声をあげるでない。全くこれだから育ちの悪い庶民は困る。もっとこう……優雅な朝を迎える気はないのか」


「平穏な目覚めを破壊したのはお前だ」


「まあ落ち着け。よく聞くのだぞ、私は昨晩、生まれて初めての土地に足を踏み入れたのだ。見知らぬ土地での初めての夜、心細くなっても当然であろう。大体、そんなことも考えず一人で寝かそうとするお前が悪いのだ」


「なんだその理屈は。大体心細いも何も、こんな狭い家の隣で寝てるんだ、問題ないだろうが」


「ビルがいない」


「ビル?」


「そうだ、私の寝間に必ずいるクマのぬいぐるみ、ビルだ。やつはまだ実家にいるのだ。ビルがいないと私は眠れない。やつがくるまでの間、遊兎にビルの代役という名誉を与えてやると言っているのだ。ありがたく思え」


「いやお前ビルって……ビル?まさかそれって、キルゴアのことか?」


「おお!流石は遊兎だ。そう、キルゴアから名づけた我が友なのだ」


 ビル・キルゴアとは『地獄の黙示録』に出てくる、カーツとは対照的な軍人の名前である。彼のヘリから『ワルキューレの騎行』と共に繰り広げられる戦闘シーンはあまりにも有名だ。


(しかし……ビルのあのシーンは有名だが、やつの名前を知ってるやつは中々いないぞ……)


「そんなことより!」


 小鳥が割って入ってきた。


「ずるいよサーヤ。私でも悠兄ちゃんと一緒に寝たことなんかないのに」


「ほほぅ、では遊兎の初めてを私が奪ったということか」


「誤解を生むような言い方をするな」


「そうかそうか……いや小鳥、なかなかよい抱き心地だったぞ、遊兎の腕は」


 沙耶がニタリと笑う。


「これからも私の寝具として愛用してやってもよいぞ、遊兎よ」


「あ……あのなあ……」


「にしても小鳥、お前遊兎の嫁だと言っていたが、一つ屋根の下で暮らしておきながら別々の部屋で寝ているとは、これは脈なしと言えるのではないか?」


「そんなことない!」


 小鳥が珍しく、顔を真っ赤にして大声を出した。


「初日には小鳥も布団に入ったよ。だけど悠兄ちゃんが『結婚するまでは我慢するよ』って言ったから、我慢してるだけなんだから」


「な……け、結婚だと!」


「……小鳥、嘘つきすぎ」




 その後三人はテーブルを囲み、朝食をとった。


「ところで沙耶、俺たちは仕事に行くんだが、一人で大丈夫か?」


「問題ない。今日は家を探しに行く予定だからな」


「家か……でも大丈夫か?不動産屋と言ってもたくさんあるし、迷子になっても困る。あさっては俺も休みだから、何ならその時一緒についていってやるぞ」


「心配無用だ。アポイントメントも取ってある」


「そうなのか」


「左様、私を甘く見るではないぞ」


「そうか……ならいいが、足元見られたりするんじゃないぞ」




 悠人と小鳥の出勤に合わせて、沙耶も一緒に出かけることになった。しかし玄関先に来た沙耶の姿に悠人は頭を抱えた。ミンクのコートを身にまとっていたからだ。


「おい沙耶……お前まさか、その格好で出る気なのか」


「何か問題か」


「大ありだ!お前、こんな住宅街をそんな姿でうろうろしてたら、目立ちまくってしまうぞ」


「なんだそんなことか。庶民と華族の違いだ、仕方あるまい。私は別に庶民の視線など気にしないぞ」


「いやいやいやいや」


「今はこれしかないからな……気にするな」





 朝、あまりに眠そうな顔をしていたので話しかけるのを遠慮していた菜々美が、昼休みになり、弁当を食べている悠人の隣に座った。


「悠人さん、今日はお疲れのようですね」


「え……ああ、そうかもね。ちょっと疲れてるというか寝不足というか」


「何かあったんですか」


「あると言えばあるし、ないと言えばないし」


 そう言って大きなあくびをした。


「そうだ悠人さん。『秘密の前奏曲』見ました?」


 いつになく反応の悪い悠人に気遣って、菜々美がアニメの話題を振ってきた。


「あ、いやごめん……まだ見れてないんだ」


「えーっ!」


 悠人の言葉に菜々美が大袈裟に叫んだ。


「本当、変ですよ悠人さん。悠人さんがアニメのチェックしてないなんて。いつも10話ぐらいから、頭の中がそれだけになってるのに」


「俺って……どんなキャラなんだ」


「で、どうなんですか悠人さん、何か心配事でもあるんですか」


「いや、心配ってことはないんだけどね……最近ちょっと、環境の変化に体と心がついていかなくて……」


 もう一度あくびをした後で、悠人が菜々美に説明を始めた。




「……つまりこう言うことですか。ネットの友達が昨晩やってきた。その友達のカーネルさんは男ではなく女だった、そして今現在、悠人さんの家に泊まりこんでいる……と……」


 お茶を飲み干し、目を伏せながら菜々美が静かにそう言った。


「そうなんだよ、家が見つかるまでとは言えしばらくの間、俺の家に女の子が二人も住むはめになっちまったんだ」


「そうですかそうですか」


 うつむいたまま菜々美が、淡々とした口調で答える。


「おかげで最近、アニメをゆっくり見ることも出来なくて。いきなり生活リズムが変わって、ペースがつかめないと言うかなんと言うか……ま、でもなんだ、今まで一人気ままに生活してたけど、これはこれでありなのかなって思ったりもしてるんだよね」


「へーそうなんですか」


 ついにはセリフが棒読みになっていく。


「憧れたこともなかったけど、電気がついてる家に帰ったり、一緒に食事してくれるやつがいるってのも悪くないかもなって思ったりも」


「あ゛―っ!」


「な……なんだ?菜々美ちゃん?」


「悠人さん、一体どういうことですか!」


「え?え?何が」


「なんで急に悠人さんの周りに、そんなに女の子が増殖してるんですか!」


「ぞ、増殖って」


「それも18歳19歳20歳のスリーカードって!」


「スリーカードって……ああ、弥生ちゃんも入ってるのか……てか、菜々美ちゃん声大きいって」


「あっ」


 我に返った菜々美は立ち上がり、


「お茶……おかわり入れますね」


 そう言ってやかんを取りに行った。


「……」


 菜々美は悠人にお茶を入れると、自分も一口飲み、一呼吸入れるとゆっくりとした口調で言った。


「それで悠人さん……約束してた映画のことなんですけど」


「ああ、実はそのことなんだけど」


「え?」


「悪いんだけど、この週末もバタバタしそうなんだ。沙耶の家のこともあるし、それにやつの……服とか日用品も揃えてやりたいと思ってるんだ。

 小鳥からも一日付き合えってずっと言われてるし……しばらく土日は時間が作れそうになくて」


「そ……そうなんですか……でも仕方ないですよね……」


「本当、ごめんな」


「いえ仕方ないですよ。でも悠人さん、体は大切にしてくださいよ」


「ああ、ありがとう。またどこかで埋め合わせするから」


「はい……」




 湯飲みを洗いながら、菜々美は思っていた。


(どうしよう……どうしようどうしようどうしよう……女っ気がない悠人さんの周りに、いつの間にか三人も……一人はお隣、そして二人は今同じ家にいて、三人共私よりも若くて……

 このままだと私が一番に脱落してしまう……なんとかしないと……悠人さんは誰にも渡さないんだから……悠人さんは私の運命の人なんだから……!)

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