第9話 お隣さん・弥生 その4


「なるほど……」


 紅茶を一口飲んだ弥生が大きくうなずいた。


「悠人さんの幼馴染の一人娘……えへっ、えへへへへっ」


「……なんか知らんが、また変な妄想をしているようだな」


「いえいえ悠人さん、ただ私は新しいヲタの属性が生まれたと喜んでいる次第で……これまで幼馴染や妹、委員長や後輩萌えは多く語られてきましたがなるほどなるほど……確かにヲタも30代40代が増えてきて、妄想にも限界が生じてきた昨今……その中にあっての幼馴染の娘さん属性とはあまりにも必然でしかも斬新」


 目が爛々と輝いていく。


「しかも幼馴染鉄板の体育会系ボディ。スレンダーかつ微乳、我々萌豚の妄想が具現化したようなキャラは正に国宝級で、えへっ、えへへへへっ」


 小鳥の全身を舐めまわすようなその視線に、思わず小鳥は赤面して胸を隠した。


「おい弥生ちゃん、おっさんの目になってるぞ」


「ぐへへへへっ、お譲ちゃん可愛いねぇ」


「悠兄ちゃん、弥生さんって……」


「ああ、悪い人じゃない。いい人なんだ、いい人なんだが……何と言うかその……確か変態淑女とか自分では言ってたな。人類は皆ヘンタイだから恥ずかしくないんだとかなんとか……自分に正直にあり続けたらこうなってしまったらしい」


「ひゃっ!」


 小鳥が小さく叫ぶ。いつの間にか弥生が小鳥の足元に近づき、小鳥の太腿を撫でていた。


「おお、この引き締まった太腿、この太腿は陸上部部長クラスとお見受けしました。触ってもいいですか小鳥さん……って、もう触ってますけど」


「いい加減にしろ」


 と言って、悠人が再び弥生の額に人差し指を突きつけた。


「びっくりした……でも弥生さん、当たってますよ。私中学の時、陸上部の部長でした」


「種目は短距離……」


「そう、短距離でした」


「やはり……どこまでも我々を裏切らないお方で……舐めてもいいっすか」


 ゴンッ!と弥生の頭に衝撃が走る。悠人のゲンコツだった。小鳥は赤面しながら笑った。


「悠兄ちゃん、近所にこんな面白い人いたんだ」


「ああ、でもここまでのヘンタイ値を出したのは初めてだけどな。よっぽど小鳥のキャラが気に入ったらしい」


「うんうん、小鳥も弥生さんのこと、好きになったよ。弥生さん、これからもよろしくお願いしますね」


「ふぅむ……萌えキャラにしてこの好感度、悠人さん、このお方は只者ではないですな」


「このお方って、弥生ちゃんと二つしか年違わないだろ」


「でも弥生さんのキャラもかなりたってますよね。メガネにポニーテールでしかも巨乳」


「ほほぉ、小鳥さんもその手の心得があるようですな」


「悠兄ちゃんの嫁を目指してるんです、その道に進まずしてどうしましょう」


「なんだか横で聞いてたら、君らの会話って本当にディープだよな」


「弥生さんも真性だよね」


「ああ、なんでもこの人、それなりに有名人らしいしな」


「そうなの?」


「俺は知らなかったけど、BMBの窯本やおいって言う同人作家なんだって」


「窯本先生っ!」


 その言葉に、いきなり小鳥のテンションがマックスになった。


「な、なんだ小鳥、知ってるのか」


「勿論だよ悠兄ちゃん!窯本先生って言ったら今をときめく超売れっ子先生だよ!すごいすごい、小鳥、ものすごい有名人に会っちゃってる!」


「いえいえ小鳥さん、何もそこまで……」


「謙遜!小鳥、先生のファンなんだから!先生の『ナイト・シド』は全部持ってるんだから!」


 キラキラ瞳を輝かせる小鳥の横で、悠人が頭を抱える。


(小百合……心労、察するに余りあるぞ……)


 小鳥の勢いに圧倒されながら、今度は弥生が珍しく赤面した。


「なんだか照れますね」


 頭をかく弥生。玄関先で見た時に芽生えかけた警戒心が、話していくにつれて不思議と好感に変わっていく。年も二つしか違わない。小鳥に対して変化していく不思議な感覚を覚えていた。


「悠人さん」


「なんだい」


「私、小鳥さんのこと、どうやら好きになってしまったようです。勿論恋のライバルとしてのスタンスは変わりませんし負けたくありませんが、それとは別に小鳥さんとはいいお友達になれそうです」


「ほんとに!」


 小鳥が弥生に抱きついた。その勢いに弥生も負けじと、小鳥を抱きしめた。


「小鳥さん!共にヲタ道を目指しつつ、恋のよきライバルになりましょう!」


「うんっ!」


 悠人の前で、お隣さんと幼馴染の娘が抱き合って妙なことを言い合っている。


「盛り上がってるところ悪いけど」


 と悠人が、少しとまどった表情で言った。


「よく分からない言葉がさっきから出てるんで……」


「なんでしょうか悠人さん」


「……さっきからその……弥生ちゃんが恋の……ゴホンッ……ライバル云々を連呼してる訳だけど、それはその……」


 頭をかきながら言葉をつまらせる悠人。その言葉に弥生が顔を真っ赤にした。


(……今の状況ってよく考えたら私、悠人さんに間接的に告白してることになってる……勢いとは言えこんな形で……)


 弥生が勢いよく立ち上がった。


「きょ、きょ、今日はこれにて失礼します悠人さん小鳥さん!また明日、お会いしましょう!失礼しますた!」


 そう言って一目散に玄関に走り、


「おやすみなさい!」


 一度振り返り、敬礼をして出て行った。




「あ、お土産……」


 慌てて出て行ったため、秋葉原での戦利品がリビングに置かれたままになっていた。


「これ……持っていってあげたほうがいいかな」


「いや、これは弥生ちゃんのある意味全てだけど、今日はそっとしておいてあげよう。また取りにくるだろうから」


「分かった。でも悠兄ちゃん、いい人だよね、弥生さんって」


「あ、ああ……」


 悠人が動揺を隠しながらうなずいた。


(弥生ちゃんって……そんな風に俺のこと見てたのか……明日からどんな顔して会えばいいんだ……)


 一方弥生は、家に入るとベッドにもぐりこみ、シドの抱き枕を抱きしめていた。体が熱を持ったように熱くなって治まらない。動悸も静まらなかった。





 明日からまた月曜日、仕事が始まる。大変な週末だったけど、ある意味明日からが小鳥との生活の始まりだ。小鳥のアルバイトのことも気になる。しばらく色々と大変だな……そう感じながら、悠人が自分に問いかけた。


 考えてみたら、他人との関わりでの気苦労なんて何十年ぶりだろうか。


 今までは毎日職場と家の往復、家では人と話すこともなく、アニメやフィギュア作りに明け暮れていた。自分にとっては楽しい日々で、煩わしい人間関係もなく楽な毎日だが、考えようによっては希薄な日々でもあった。


 小鳥が来てからのこの3日間はバタバタしっぱなしで、ろくに自分の時間もなかった。でも不思議とそのことを苦痛に感じていない自分もそこにはいた。そのことがある意味不思議でもあった。


「そろそろ寝よっか、悠兄ちゃん」


「ああ、小鳥もバイトだしな」


 その時、悠人の携帯にメールの着信音がなった。


「弥生ちゃんかな」


 悠人が携帯を開いた。




『時は来た。出迎え無用 カーネル』




「カーネル……ついに来るか、ここに……」


 悠人の顔が少しほころんだ。


「しかし……なかなかのタイミングだな、カーネル」


「悠兄ちゃん、誰から?」


「ああ、ネット仲間のカーネルってやつから。もう一年ぐらいネットで付き合ってるんだけど、なかなかいいやつなんだ。近いうちに会ってみようかって言ってたんだけど、こっちに遊びに来るみたいなんだ」


「カーネル……それって男の人?」


「ああ。まだ俺も会ったことはないんだけどな。小鳥の一つ年上だったかな、こいつは。小鳥も気に入ると思うよ」


「そうなんだ、小鳥の一つ年上のお友達か」




 悠人が笑顔で『楽しみに待っている。夜20時以降なら伝えた住所にいる。また来るときに連絡頼む 遊兎』そう返信した。

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