第37話 贖罪の十字架 その4


「こんばんわーっ」


 紅音の屋敷のインターホンに向かい、早苗が元気よく声をあげた。


 そしてしばらくして、紅音が晴美と共に玄関から出てきた。




 一歩一歩と近付いてくる紅音の浴衣姿に、また柚希の顔が赤くなった。


 その柚希のわき腹を肘で殴り、早苗が意地悪そうに笑った。


「げほっ、げほっ……早苗ちゃん、いきなりの攻撃は……」


「馬鹿柚希。みとれる前にちゃんと褒めなさいって、さっき言ったよね」


「え?う、うん、そうなんだけど」


「何?何か不満でも?」


「ないですないです。あ、紅音さん、こんばんは……」


「こんばんは、柚希さん……」


「あのその……浴衣、とっても似合ってます……」


「そ、そんな……柚希さん、恥ずかしいです……」


 紅音がその場で真っ赤になった。


「紅音さん、やったね」


「むふふふっ、お嬢様、これでまた野望に近付きましたよ」


「なんですか晴美さんまで……」


「むふふっ、浴衣美女に囲まれて、柚希さん男冥利につきますね」


「ねえ師匠、折角だから私たち三人、撮ってもらえません?」


 そう言って早苗が柚希に手を出した。


「は、はい……」


 柚希は観念した様子で、早苗にポケットカメラを手渡した。


「お願いしまーす」


 紅音を呼び込み、柚希の隣に立たせると、早苗も反対側に立った。


 晴美がポケットカメラを構え、ファインダーを覗き込んだ。


「では参ります。お嬢様、ご発声を」


「あ、はい。1+1は?」


「にーっ!」


 ――カシャッーー


「お粗末さまでございました」


 晴美が柚希にカメラを返す。


「お嬢様も、ご発声お見事でございました」


「やだ、晴美さん……」


「じゃあ行こうか。紅音さん、出店、いっぱいあるからね。思いっ切り遊ぼうね」


「はい」


「では、行って来ます」


「はい、お楽しみくださいませ」


 一礼する晴美に手を振り、三人が歩き出した。


「あ、お父様です」


 紅音が見上げると、窓の向こうから明雄が手を振っていた。


「お父様―っ、いってまいりまーす」


 嬉しそうな紅音の様子に、明雄も満足そうに笑顔で答えた。




「早苗さん、今日はお元気そうです」


「そうかな?」


「はい、いつもよりお元気です。と言うか、自然体で元気です」


「あははっ。まあ何と言うか……ほら、昨日言ってたこと……」


「はい」


 後ろで早苗が紅音に耳打ちしている。


 前を歩いている柚希が振り返って言った。


「今度は何の密談してるの、早苗ちゃん」


「秘密の会話に興味持つんじゃないわよ。いいからさっさと歩きなさいってば」


「何の秘密だか……」


「ひょっとして早苗さん……柚希さんに?」


「うん。ごめん紅音さん、先に走っちゃった」


「そんなこと……おめでとうございます。それでお返事の方は」


「しばらく考えさせてくれってさ」


「そんな……柚希さん、酷いです……折角早苗さんが勇気を振り絞ったのに」


「まあそれも想定済みだったからね、大丈夫だよ」


「早苗さん……格好いいです。私が男なら、今早苗さんに心を奪われていたかも……」


「このままでもいいよ、私は」


「実は私も」


「あはははっ」


「ふふふっ」


「あのぉ、そろそろ歩いてもらってもいいでしょうか?」


「あ、悪い悪い、あんたのこと忘れてたよ」


「ふふふっ、早苗さんひどいですよ。今行きまーす」




「すごく賑やかです……」


 出店が立ち並ぶその様を見て、紅音がそうつぶやいた。


「提灯がこんなにたくさん……何だか夢の世界みたいです……」


 瞳を輝かせている紅音に、柚希も早苗も満足そうにうなずいた。


「さあ紅音さん、行きましょう」


「そうそう。祭りはみんなが主役だからね。見てるだけじゃ駄目だよ」


「あ、はいっ」




 一軒一軒を食い入る様に見ながら、時折紅音が尋ねてくる。


「あれはどう言った遊びなんですか」


「あれはほら、あの的にボールをぶつけるんだよ」


「雲みたい……あれは食べ物なんですか」


「はい、あれは綿菓子って言って、とっても甘いんですよ」


 これまでずっと家の中で生活してきた紅音にとって、そこは正に夢の国だった。


 しかも隣には、これまで欲しくても出来なかった友達が二人もいる。


「柚希さん、輪投げがあります。やってみてもいいですか」


「勿論」


 渡された五つの投げ輪が、正確に、いとも簡単に高得点の場所に投げ込まれた。


「やりました、柚希さん」


 景品のぬいぐるみを手に紅音が笑った。


「紅音さん、輪投げ得意なんだ」


「はい。家でお父様とよく遊びましたので」


「しっかし人が多いよね。紅音さん、ちょっとどこかで休もうか」


「お姉ちゃん?」


「あれ、昇?」


 早苗の弟、昇だった。


 昇の顔を見た早苗は、何やら考え込んだ顔をした後で、小さくうなずいた。


「柚希、紅音さん。私ちょっと、弟と遊んでくるね」


「早苗ちゃん、それなら僕らも」


「いいからいいから。たまには弟にも構ってやらないとね。じゃあ紅音さん、また後で」


「はい、早苗さんまた後で」



 歩きながら早苗が、昇の頭に手を置いた。


「あんた、たまにはいいタイミングで来るじゃないの。お父さんは?」


「向こうで一杯やってるよ。お姉ちゃんはいいの?友達じゃなかったの」


「いいのいいの。ちょっとは恋敵にもチャンス、あげないとね」


「なにそれ、どう言うこと?」


「いいから。奢ってあげるから、好きな物言いなさい」


「いいの?やったー」


「柚希、紅音さん……頑張ってね」

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