第14話 穏やかな日々 その3
桐島家は病院のすぐ裏手に隣接していた。
立派な門構えを見て柚希は、漫画に出てくる大金持ちの邸宅のようだと思った。
屋敷に足を踏み入れると、大広間になっていた。
ここでダンスパーティーでも開けるんじゃないか……柚希はそのスケールに圧倒されて息を呑んだ。
「柚希さん!」
奥から、紅音がコウと一緒に小走りで出迎えてくれた。
今日は鮮やかな濃紺のワンピースを着ている。
髪には黒いリボンが結ばれていた。
「お父様、柚希さんの具合はどうでしたか?」
「ああ、心配ないよ。症状は安定している」
「よかった……ありがとうございます、お父様」
そう言って紅音は明雄を抱擁した。そして柚希の方を向くと、柚希の手を取って言った。
「柚希さん、今日は来てくれてありがとうございます。折角の日曜なのにすいません」
「いえ、僕も……ありがとう紅音さん。家に呼んでもらって、お昼までご馳走に」
「二人を見てると」
明雄が割って入ってきた。
「お見合いでもしてるみたいだね」
「お見合い!お父様ったら」
紅音が顔を真っ赤にしてうつむいた。柚希も思わず赤面する。そうだった……今は紅音さんのお父さんと一緒だった……考えてみたらこのシチュエーションって、かなり恥ずかしいぞ……
「はっはっは。さあ食堂に行こうか。晴美くんが待ってるよ」
「そ、そうですね……柚希さん、食堂はこちらです」
紅音が柚希の手を引いて誘う。
柚希はうつむきながら小さくうなずき、紅音の後に続いた。
食堂も広かった。
何より天井が高い。
そして十人は座れそうな長いテーブル。
紅音は自分の隣の椅子をひき、そこに柚希を誘った。
「おまたせ致しました」
ワゴンに料理を乗せ、ドラマでよく見るメイドの様な格好をした女性が入ってきた。
年の頃は二十台後半ぐらいだろうか……綺麗な人だな、そう柚希は思った。
「藤崎柚希さんですね、はじめまして。私は山代晴美、ここで先生とお嬢様にお仕えしている給仕です。私の事はどうか、晴美とお呼びください」
「は、はい、あのその、晴美……さん……よろしくお願いします……」
「かっわいーじゃないですかお嬢様。お嬢様の殿方を見る目は大丈夫だと信じてはおりましたが、いやはや私の想像の更に上をいってました。お嬢様がご執心だったのもうなずけます」
「は……晴美さんちょっと……恥ずかしいじゃないですか」
「何をおっしゃいますかお嬢様。凛々しい中にも見え隠れしている少年のような澄んだ瞳、聡明そうなお顔立ち。そして柚希さんを見られるお嬢様の情熱的な視線……これで本日のお嬢様エキスは充電完了です」
そう言いながら料理を、上品な仕草でテーブル置いていく晴美を見て、なぜか柚希の頭には早苗が浮かんだ。
二人って息が合うかもしれないな……そう思って一人小さく笑った。
晴美の料理の腕は確かだった。
和食の頂点を目指しているのが早苗だとしたら、晴美は洋食の頂点に君臨していると言ってもよかった。
前菜から始まってスープ、魚料理、肉料理と続く料理はどれもこれも絶品だった。
フルコースを食べたことなどなかった柚希だったが、まさかこんな所で経験できるとは思ってもみなかった。
食事の間、紅音は終始上機嫌だった。
食べ方で悩んでいる柚希にフォークとナイフを持って手ほどきを見せ、柚希がそれを真似てうまく出来ると、手を合わせて喜んだ。
いつもの様にたわいもない会話に心弾ませ、嬉しそうに笑う。
そんな紅音を見て晴美が意地悪そうに冷やかすと、顔を真っ赤にして照れる。
明雄もそんな二人を見て、嬉しそうに笑っていた。
食事が済むと、紅音は柚希を自分の部屋に誘った。
「お嬢様、後ほどお飲み物をお持ち致しますね……ご心配なく、ノックは致しますので、むふふふふっ」
そう晴美が冷やかすと、紅音の顔はまた赤くなった。
「おじゃま……します」
紅音が扉を開け、柚希が後に続いた。
「……」
紅音の部屋も規格外だった。
足元が埋まってしまいそうな絨毯を踏んで中に入ると、柚希の部屋の三倍はありそうな広々とした洋間が広がっていた。
正面は全面ガラス張りになっていて、高価そうなレースのカーテンが掛けられている。
ベッドはクイーンサイズ、そのサイズのベッドを実際に見るのは初めてだった。
そして一番驚いたのは、ベッドの反対側にある、本格的な漆黒のグランドピアノだった。
コンサートにでもいかないと、こんなピアノにお目にかかることはないだろう、柚希はそう思い溜息を漏らした。
「あの……あんまりその……見ないで下さい……恥ずかしいですから……」
頬を染めて紅音が恥ずかしそうにそうつぶやく。
「す、すいません、つい……」
柚希が慌ててそう答えた。
部屋の中央に置かれている真紅のテーブルに招かれ、やわらかいクッションに柚希は腰を下ろした。
紅音は照れくさそうに笑いながら、柚希の正面に座った。
向かい合って視線が重なった瞬間、柚希は今更ながらに紅音の部屋で二人きりになっているという現状を認識し、緊張感に包まれた。
紅音も同じく、何を話せばいいのか分からず、落ち着かない様子だった。
妙な雰囲気が部屋に重くのしかかり、その重みに二人共押しつぶされそうになった。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
紅音が返事をすると扉が開き、晴美が紅茶を持って入ってきた。
「むふふっ」
晴美は二人の雰囲気を察したのか、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「失礼致します。お嬢様、柚希さん、お飲み物をお持ち致しました」
そう言ってテーブルの前で跪き、コースターの上にアイスティーを並べる。
「緊張の極みでお二人共、さぞ喉がお渇きになるだろうと思いましたので、冷たいお飲み物に致しました」
そう言って晴美が、柚希の顔を覗き込み、にんまりと笑った。
「え、あ……あのその、晴美さ……」
「むふふふっ、いやはや青春ですねぇ柚希さん」
「な、何がですか」
「いえいえ、その初々しい反応ですよ。婦女子の部屋に入るのは初めてですか?今のそのお気持ち、大切に覚えていてくださいね。年を取っていくと、そう言った感動もなくなっていきますから」
「初々しいって」
「何を話せばいいか分からないですか?いつも話してるのに、部屋の中だと勝手が違いますか?何かこう、初めて出会った時の緊張感の再現と言いますか……
でも柚希さん、それも二度目、三度目となると少しずつ薄れていくものなんです。勿論それが悪いことだとは申しませんが、今の緊張感は今しか味わえませんからね、大切に記憶しておいてください」
「は、はあ……」
「あー、でもお嬢様のその初々しい雰囲気は私、これからも何度も何度もお目にかかりたいです。でもそれは叶わぬことですので……仕方ないので今、網膜にしっかり焼き付けておくことに致します」
そう言って晴美が紅音をまじまじと見つめる。
見る見るうちに紅音の顔が赤くなっていく。
「もぉやだ、晴美さんったら」
耐え切れなくなった紅音が両手で顔を隠して言った。
「あー!今のお嬢様で私、ご飯三杯はいけます!ごちそうさまでした」
晴美が紅音に向かって合掌した。
「あははははははっ」
「もお、柚希さんまで……笑うなんてひどいです……」
「あはははははっ、ごめんごめん。でも、あははははははっ」
「ふふふっ」
柚希の笑いに、紅音もつられて笑いだした。
そんな二人を見て、晴美は親指をたててにっこりと笑った。
「任務完了であります、お嬢様。どうか楽しい時間をお過ごしくださいませ」
恐らく二人共、部屋の中で緊張しているだろう。その空気を少しでも軽くしてあげよう、そう思って晴美さんは入ってきたんだ。柚希は晴美の心配りに感謝した。
「窓、少し開けておきますね。今日は暖かい風が気持ちいいですよ。それから……お嬢様、食後のお薬とお水、こちらに置いておきますので」
そう言って晴美は窓を少し開けると、扉を開けて部屋から立ち去った。
「ではお嬢様、柚希さん……ごゆっくり……むふふふっ」
扉が閉まると、二人は互いの顔を見て再び笑った。
「面白い人だね、晴美さんって」
「はい。いつもあの笑顔に助けられています」
「そっか……でも本当、すごいね。晴美さんのおかげで僕、さっきの変な緊張感がなくなったよ」
「私も……少し気持が楽になりました」
紅音はそう言うと、晴美が置いていった薬を手にした。
「柚希さん、少し失礼しますね。先に私、昼のお薬を飲ませてもらいます」
「あ、うん。どうぞ」
そう言って柚希は、紅音が持つ薬に目をやった。
(え……)
三種類ほどの錠剤を手の平に乗せ、紅音は水で飲み干した。
そして薬のケースをゴミ箱に入れようとした時、柚希が声をかけた。
「紅音さん、ちょっと見せてもらってもいいかな」
「え、あ、はい」
錠剤が入っていたケースを柚希が手にした。
「……」
その薬に柚希は見覚えがあった。
「あの……どうかなさいましたか、柚希さん」
「あ、いやすいません……どんな薬なのかなって思って」
「はい、これは紫外線を防ぐ薬なんだそうです。これを毎日ちゃんと飲んでいないと私、コウのお散歩にも行けないんですよ」
そう言って紅音がにっこりと微笑んだ。
一年前、柚希は手首を切って入院し、退院後もしばらく薬を服用していた。
その薬を飲むと、少し体がだるくなるような感じがしていた。
たまに集中力が途絶えたり、記憶が曖昧になることもあった。
ただ感情の起伏が少なく、落ち着いた感じもあったので服用を続けていた。
この頃、病院が処方している薬がどういった物なのかを一般人でも調べられる、そんな本が出版されていた。
柚希はその本を購入し、自分がどんな薬を飲んでいるのかを調べていた。
今目の前で紅音が飲んだ、紫外線防止の為と言うその薬は、その頃に自身が飲んでいた薬と同じだった。
精神安定剤。
間違いなかった。
紅音が飲んでいるのは紫外線の薬ではなく、精神安定剤だった。
それもかなり強い物だった。
柚希の頭の中に、桐島院長の言葉が思い出された。
感情の起伏、記憶の混乱……それらは紅音の色素が薄い体質とは何の関係もないはずだ。
だが紅音はそれを、毎日服用している。
でもなぜ……なぜ先生は、紅音さんに嘘をついてこの薬を飲ませているんだ……
「あの……柚希さん、どうかされましたか」
柚希がその言葉にはっとした。
目の前に、笑みを浮かべた紅音の顔があった。
「あ、いえ……すいませんでした」
柚希はそう言って笑い、ケースをゴミ箱に入れた。
先生がどんな意図で、紅音さんにこれを飲ませているのかは分からない。
でも先生は医者で、実の娘である紅音さんにそれを処方している。
きっと何か理由があるはずだ。
昨日今日出会ったばかりの僕が、口を挟むべきことじゃない……柚希はそう思い、忘れることにした。
「でも紅音さんの部屋って本当、すごいですよね。お姫様の部屋みたいで」
「お姫様って……からかわないでください、柚希さん」
「ははっ。今日はいつもにも増して紅音さん、顔が赤くなってますよ」
「今日の柚希さんは……なんだか意地悪です……」
紅音がそう言ってうつむき、小さく笑った。
「あ……それって……」
柚希が、机の上に置かれている写真立てをみつけて言った。
「ひょっとしてそれ」
「はい。柚希さんが撮ってくれた私です。お父様にも晴美さんにも見てもらったんですけど、二人共驚いてました。こんな自然な表情をした私の写真、初めて見たって。
私って、カメラを見るとすぐに顔が強張ってしまうので、どの写真も固い表情の物ばかりなんです。晴美さんがこれは是非って言って、次の日にあの写真立てを買ってきてくれたんです」
「ちょっと……照れくさいです……ね……」
「柚希さん、ありがとうございます」
紅音が嬉しそうに笑った。
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