第11話 過去の傷跡 その3
「ふうー、ごめんね柚希。今日は取り乱しちゃったよ」
そう言って早苗が笑った。
その笑顔はいつもの早苗だった。
「これで柚希は私の本当の弟分だね。隠してた秘密も見せたことだし」
「弟分って」
「なーにー?不満なの柚希。年は上かも知れないけど、これからも柚希は私の可愛い弟なんだからね」
「ははっ、やっぱりそうなるのか」
「勿論よ。今日のは本当の意味での兄弟の杯と思ってるんだから。それからさあ柚希、あんたほんとに山崎のこと、大丈夫?今日の態度見てたらあいつ、これからも嫌がらせしてくると思うよ」
「大丈夫だよ。気をつけようとは思ってるけど」
「まあ、学校では私がしっかり守ってあげるからね。何かあったらすぐに言うんだよ」
「うん、ありがとう」
「それから柚希」
「何?」
「もう一つ、私はあんたに聞いておきたいことがあるんだけど」
「え?え?早苗ちゃん、ちょっと顔、怖いよ」
「あんた!私に黙ってたでしょ、実はすっごく頭がいいこと!」
「え?そ、そんなこと」
「そんなことあるわよ。あんたねえ、私が今までトップをキープするのに、どれだけ頑張ってきたと思ってるのよ。それをまぁ、あんなにあっさりとひっくり返されて、しかも点数的にも完敗で……あんたに勉強教えてあげるって言った私の優しさ、今すぐ返せ」
「いや、そんなこと言ったって……今回はたまたまだよ」
「たまたまで負かされてたまるもんですか。ちょっと柚希、あんた偏差値いくらよ。正直に言いなさい。ちなみに私は65よ」
「……」
「言いなさい!」
「首締めないでって早苗ちゃん、言う、言うから……確か74だったと……思う」
「74ってあんた……そんなやつに勉強教えるって言ってたの、私って……」
早苗が頭を抱えてうずくまった。
「でも早苗ちゃん。それって去年の実力テストの時のやつだから、今はもう少し落ちてると思うよ」
「……決めた!」
早苗が勢いよく顔を上げた。
「柚希、今日からあんた、私の家庭教師をしなさい。お風呂の後一時間でいいわ。あんたいっつも、私がお弁当作るのにお金を払うって聞かなかったでしょ。お金はいいから柚希、私に勉強教えて」
「教えるって言っても、人の勉強を見たことなんてないし」
「いいから。これはもう決定事項。私はもっともっと勉強していい大学に入らないといけないの。私の夢は、いつかハリウッドで映画を作ることなんだから。まずは学年一位を取り戻す!その為には敵の塩だって何だって、喜んで受け取るんだから。分かった?」
「わ、分かり……ました……」
「よし、素直でよろしい。それでこそ私の可愛い弟だ」
そう言って早苗は柚希を抱きしめた。
「え……」
「今日は色々ごめんね……それから、勉強よろしくお願いします……」
そう言って早苗は柚希から離れた。見ると早苗の顔も赤くなっていた。
「んじゃあ今日はこれで戻るね。一時間ぐらいしたらご飯だから、またその時にね」
玄関先まで見送りに行くと、玄関を開けた早苗が振り返らずに言った。
「……柚希が撮る写真って、やっぱ風景写真ばっかりなの?」
「うん、風景ならどこでも撮れるから」
「人……とかは撮らないの?」
「え?」
「ううん、なんでもない。じゃあまた後でね」
そう言って早苗は帰っていった。
夜。
早苗は布団にもぐりこんで、混乱した頭の中を整理していた。
慌しい一日だった。
まず柚希の頭のよさに驚いた。
早速始めた勉強会、自信がないと言っていた柚希の教え方は分かりやすく、丁寧で見事なものだった。
山崎のことも大変だ。
これはクラス委員としての血が騒ぐ。
そしてこれまで自分の胸にしまっておいた、柚希の心の傷に少しだけ触れることが出来た。
哀しくて悔しくて泣いてしまったが、柚希との距離は縮まったように思えた。
そのことは嬉しかった。
そして……
「あの子、誰なんだろう……」
柚希の部屋で見た、フイルムに写った少女の顔が浮かんだ。
柚希はあの写真の事を私に隠している、そんな気がした。
別に柚希が何を撮ろうと、誰を撮ろうと自由のはずだ。
たまたま会った人を撮っただけかも知れない。
しかしあの女性の顔を思い浮かべると、今までに感じたことのない妙な感覚に見舞われた。
今日の出来事で、ひょっとしたら一番どうでもいいことなのかも知れない。
しかしどれを頭に思い浮かべても、気がつけばあの女性のことを考えていた。
「何なのこれ……私、ほんとに今日は変だよ……」
何度も何度も寝返りをうちながら、早苗はこの日遅くまで寝付くことができなかった。
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