第12話 穏やかな日々 その1


 試験が終わってから毎日、柚希はあの小川で紅音と会っていた。


 柚希も紅音も会えば会うほどに、もっと自分のことを知ってもらいたい、相手のことを知りたいと言った気持ちが強くなっていった。

 話は尽きることなく、いつも時計のアラームがなると、互いにがっかりとした表情を見せていた。


 別れる時、紅音は毎回柚希を抱擁し、頬に口付けをした。

 初めてされた時は驚き、気が動転してしまった柚希であったが、それが紅音の親愛から来る行動だと理解し、受け入れるようになっていた。

 流石に今でも気恥ずかしいが、受け入れた時の紅音の嬉しそうな顔が忘れられなくて、それが二人にとっての挨拶のようになっていた。



 柚希の撮った風景写真を見た時、紅音は感極まって涙を浮かべた。

 柚希は涙の意味が分からず慌てたが、紅音はこう言った。


「柚希さんの写真には、やっぱり柚希さんの心がそのまま写っています。私、構図とかはよく分かりませんが、柚希さんから見た私の街はこんなに美しくて優しいんだ、そう思うと嬉しくて……そしてそんな街で生きていることが本当に幸せです……柚希さんの撮る写真は、見る人全てを幸せにしてくれます……」


 流石にここまで褒められると、穴を掘って隠れたくなった。


 自分自身、写真の腕はまだまだだと思っている。

 シャッター速度や絞りのデータにしても、写真雑誌などで覚えたものをそのまま試し、出来上がった写真を見て試行錯誤しているのが現状だ。


 一言でデータと言っても、カメラやレンズの性能、その時の天候などの条件で大きく左右されるし、自分が思っているイメージをそのまま表現することの難しさに、日々悪戦苦闘している。

 フイルムの現像や、写真を手焼きする技術もまだまだである。

 そして何より、その時の自分の精神状態がそのまま映し出される事を、強く感じていた。

 世界と時間を切り抜く「写真」と言う物の奥深さに、独学での限界を感じてもいた。


 しかしここに越して来て、少し自分の撮る写真が変わってきたと言う感触は持っていた。


 確かに都会にいた時よりも、穏やかで温かみを感じる写真が増えていた。

 これまで撮ってきた写真にはどこか「儚さ」や「悲哀」があったように思っていた。

 ビルに囲まれた世界の中で、精一杯生きている雑草を撮っても、錆び付いた線路の石の間から顔を出した花を撮っても、出来上がった写真を手にした時に、どうしようもなく悲しい気持ちになっていた。

 撮っている時には、精一杯生きている「命」を表現したいと思っていても、正反対の表現しか出来ない自分に落ち込んだりもした。


 その原因が自分の内面の変化にあることを、柚希は少しずつ理解していた。

 この街に来て二ヶ月、気持ちの変化がそのまま写真に現れているのは明らかだった。

 それだけをとっても、この街に来たことを喜べた。


 そして何より、今目の前で笑っている紅音と出会えたことが、自分が何を撮るべきか、どう撮るべきかの道しるべになっていると思えた。




 紅音の写真を見せると、紅音は真っ赤になった顔を両手で隠し、身をよじらせた。


 想像していた通りの反応に柚希は微笑んだ。


「私……笑ってます……」


 陽の光で輝いている小川を背景に笑顔を向けている紅音、そして紅音の前方には紫の花がぼんやりと写り込んでいた。


 柚希がカメラを構えた時に、目の前にある花が目に入り、それを入れて写真の中に彩を重ねた。


 望遠レンズで絞りを開放させたので、前方と背景がぼやけて紅音がくっきりと浮き上がっているように見えた。



 紅音は、自分が柚希の目にこう映っていることが嬉しかった。


 しかし恥ずかしさが勝ってしまい、どうしても写真を直視できない。


 そんな紅音の気持ちを感じた柚希も、満足してもらえたことに胸を撫で下ろしていた。




 そんな日が続いた。

 雨の日も柚希は傘を差して待っていた。

 コウは雨が嫌いなので、紅音は一人でやってきた。

 会えなくても仕方がないと思いながらも、行かずにはいられなかった柚希は、路の悪い中を一人で来てくれた紅音の顔を見た時、胸が熱くなるのを感じた。

 近くのバス停で雨をしのぎながら、二人は言葉をいくつも重ねて時を過ごした。



 紅音が自分と同じ年だと分かったのも、この頃の話の流れからであった。


 紅音が、もし自分が学校に通っていたら今は高校三年生です、柚希さんの一つ年上のお姉さんですね、そう言って分かったことだった。


 今までたくさんの言葉を紡いできたが、柚希は紅音の年齢をつかめずにいた。


 見た感じでは、自分よりも二つ三つ年上に見えた。すらりとした長身、穏やかな笑顔。

 自分を包み込んでくれる母親のような雰囲気はまさしく、紅音が言う姉そのものだった。


 しかし話をしてみると、これまで人付き合いが少なかったからか、学校にも通わず家で過ごしてきたからか、かなり幼く感じる時があった。

 何度か聞こうとしたが、女性に年齢の話がタブーだと分かっていたので、これまで聞けずにいたのだった。



「僕は……一年間休学していたんです。だから僕、紅音さんと同い年になりますね」


 その言葉に紅音の顔が曇った。


 そしてまた、大袈裟に頭を下げてきた。


「ご、ごめんなさい柚希さん、私ったらまた……柚希さんの気持ちも考えないで、傷つけてしまうようなことを……」


「紅音さん、大丈夫ですよ。確かに同じ学年を繰り返しているのは、自慢できるようなことじゃないけど、でも……」


 柚希が少し頬を赤らめた。


「紅音さんと同じ年……また一つ、紅音さんとの共通点が出来たことの方が僕、嬉しいです」


 その言葉に紅音が顔を上げた。


「だから……そんなに謝らないで」


「私も……柚希さんと一緒の年で嬉しい……です……」


 少し安堵の表情を浮かべ、紅音もそう言った。


「私たち、一緒の年なんですね」


「はい、同い年の友達です」


 柚希も笑った。




「私は……来年の2月で18歳になります」


「じゃあ、ちょっとだけ僕のほうがお兄さんですね。僕は8月生まれです」


「もうすぐですね。何日なんですか?」


「あ、えっと……8月の31日、夏休み最後の日です」


「8月31日……柚希さんの誕生日……」


「はい。だから誕生日って言ってもそんなに特別な日じゃなくて……どっちかって言うと、明日から学校だって言う気持ちの重さの方が強くって。それに……」


「それに?」


「特別祝ってくれるような友達もいなかったから。父さんからお小遣いをもらえるのは嬉しかったけど」


「今年は、私にもお祝いさせてください」


「え……」


「柚希さんは、私にとって初めて出来たお友達です。今まで私、お父様と晴美さんの誕生日しかお祝いしたことがないんです。柚希さんさえご迷惑じゃなければ、是非お祝いさせてください」


「紅音さん……」


「柚希さんは私にとって、本当に大切な大切なお友達です……私の大好きな小説『赤毛のアン』にありました。腹心の友って言葉が……そんなお友達が出来たらどんなに楽しいだろう、幸せだろうってずっと思ってました。柚希さんは私にとって、腹心の友です」


 そう言って紅音はにっこり微笑んだ。



 こうして出会ってからまだ一ヶ月ほどしか経っていない二人の関係は、日を重ねるごとに深くなっていったのだった。

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