第7話 揺れる想い-7

 コーナーの外から仕掛けられた。前についていくのが精一杯。抜かれる、と思う間もなく、あっさりとかわされた。前走者とともに抜かれ去った。

 今、何位なんだろう。

 とにかく、前へ。


 ミーティングの終わりに、あたしを呼び止めてアドバイスをくれた。特別扱いのようで、照れ臭かった。笑顔で激励してくれる姿はいつもと同じだった。前の試合のことは忘れろと、言ってくれた言葉も、いつもと同じ声だった。

「こないだは、いきなりだったから、調子が出なかっただけさ。大丈夫、今日は。いつもの、練習と同じ調子で、頑張って」

 あたしもいつもと同じ風で頷いてみせた。

 それでも、どこか違うかったんだろうか。小早川先輩がそっと近づいてきて囁いてくれた。

「大丈夫。ベストを尽くしてね。それでいいから。応援してるわ」


 応援してる、という言葉が嬉しかった。


 その瞬間、川井先輩の言葉も忘れ去ることができた。それだけが、ずっと、どこかに引っ掛かっていた。ようやく、忘れることができた。んん、そうじゃない。気にならなくなった。何もかも全部、気持ちの整理がついた。

 暑さも心地よかった。風もよかった。競技場も気に入っていた。中嶋先輩のことも、思い切れていた。


 体が軽い。心は緊張している。適度な集中力の中にあたしは浸ることができた。


 号砲があたしを解放した。あたしは、ランナーになった。


 前へ。前へ。


 もう完走は頭になかった。ただ、脚の動くままに、前へゴールへ。


 思い切って仕掛ける。コーナーに差し掛かる前にかわすことができた。一人、取り戻せた。


 脚を前へ。腕を大きく振って。息を整えて。ピッチを保って、ストライドを大きく。

 先輩の声が蘇る。

 先輩の笑顔も。

 でも、それは、本当は、あのショートカットの彼女に向けられる笑顔。

 あたしには、先輩としての笑顔が向けられる。違う感情の込められた笑顔が、あたしには、向けられる。


 前走者は遠い。追いつけそうもない。

 あと何周だろう……。


 前へ。リズムを狂わせないように前へ。

 後ろは、いい。どうでも、いい。

 前へ。

 息が上がる。苦しい。それでも、脚はしっかりと地面を蹴ることができる。まだ、大丈夫。

 完走できなくても、いい。

 前へ。

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