遭逢 -1

 さらりとした小雪舞う中、テクニカルコースを滑り降りて来た和人は、あとから合流する史也とその友人を探そうとチケット売り場方向に目をやる。

 薄雲をかき分けて照らす朝のやわらかい陽光に、ちらちらともったいぶるように降り注ぐ雪がスローモーションのようでもある。今日は気温が低く水上特有の水分の少ない軽い雪が和人のウエアの袖にも降り注ぎ、暫時その形をとどめている。

「雪の結晶だ!」

 口元からほんのわずかな音として、見知ってはいたが知識だけであったことへの新たな発見に対する大きな驚きが発露された。子供のころに学習百科事典に図示されていたそれと同じく、正六角形を基とした結晶を目の当たりにするのは初めてだった。

 経験に勝る知識は無いと常々思っていたものの、知識としてさも当然と思っていた事象が眼前に露わにされた驚きとはこんなにも衝撃的なものなのかと、その結晶が姿を消すまで凝視せずにはいられなかった。自然美とはなんと美しいものかと、陳腐な表現しか脳裏に浮かばないことを思いながらも現実を目の前にしてそれ以上の言葉は浮かばなかった。文字通り子供のように、新しい結晶をその手にしようとグローブをかざすが、ひらひらと舞う雪はするりとその手をくぐり抜け、思うようには留まらない。それでもなお、その一つとして同じ形を創らない結晶をまた見たいと思わずにはいられなかった。


「和人何してるんだ?」

 どうやらゲレンデまで和人を探しに来てくれた声に振り向くと、史也のゴーグルには一際大きい雪の結晶が彫刻のように輝いているように見えた。



「たまちゃん、聞いてよ。今日の雪めっちゃ綺麗だよ! おれ初めて雪の結晶見たよ!」

 と興奮気味に和人が話す相手は、このノニエル水上スキー場のチケット・インフォメーションのスタッフ玉田幸恵である。

「私地元だから見ることはあるけど、中で仕事してるとなかなか見られないよ。かずくんラッキーだね!」

 たまちゃんこと幸恵は気遣いもやさしく、毎週のようにシーズン券で滑りに来る和人、史也、靖之とすっかり打ち解けてくれ仲良くしてくれる。

「お前子供みたいだな。まあ、今日の雪は軽そうだし結晶もきれいだろうけど。」

 笑いながら史也に言われるが、地元生まれ地元育ちのたまちゃんが共感してくれるのがうれしかった。

 たまちゃんは温泉街のコーヒーの名店「楓」の娘でご両親もすこぶるやさしく、史也がふらっと寄った際には、本人が居ないのにも関わらず思いもよらぬ歓待を受けとてもうれしかったと話していた。しかもお父さんはドラムの名手でかつては有名バンドとの共演で名を馳せたと言うのだから一度その名演奏を聞いてみたい。


「あ、たまちゃん、この子おれの友達のアキ。長野からわざわざきてくれたんだよ。」

 アキと紹介された子が少し照れくさそうにたまちゃんに会釈をする。

「おれに紹介するのが先じゃ無いか? 」

 と和人が言うと、

「だよねえ。」

「そうだな。」

 とたまちゃんと史也が口を揃えたので4人はそろってひとしきり笑ってしまった。


 アキと言う子は史也の取引先の子で、営業に行った際にスキースノーボード談義で盛り上がり、わざわざ雪の量も質も良い長野から水上まで来てくれたのである。アキはスキーの腕前は検定で1級を所持するほどの手練れだが、スノーボードはやったことがない。とのことで史也に習いに来たのだ。

 レンタルを借りるとのことで史也はコテージでアキと待ち合わせ、その間に和人が先に滑っていたといったところだ。二人がアキのリフト券を買いにインフォメーションの丁度反対側にあるチケット売り場に行っているころ、

「アキちゃんってフミくんの彼女なのかな?」

「いや、まだ知り合って間もないからそんな感じじゃなさそうだけど。」

 とたまちゃんと話が盛り上がる。今日は雪予報だったからか人出もまばらでインフォメーションにお客さんが来る気配も無いので、たまちゃんと他愛もない会話を楽しむ時間もあった。

 和人は滑るようになって知ったのだが、スキー場は繁忙時と閑散時の差がとても激しい。

 リフト輸送能力が高く、平時ではリフト待ちがあることはごくごく稀なノニエル水上スキー場だが、繁忙時はリフト待ち数時間。果てはチケット待ち数時間。レンタル待ち数時間。駐車場入場待ち数時間などという日もある。最寄りの高速インター出口からその手前のインターまで渋滞といったことも過去にはあったらしい。

 ただ、バブル期のスノー人口爆発期にくらべれば恵まれていると和人は思う。いつも靖之の家で飲ませてもらうときにそのご両親にバブル期のスキー場の状況を聞くにつけ、とてもおそろしい状況に目がチカチカする思いをしていた。

「かずくん、聞いてよ。あの頃は暗いうちにリフト券に並んで、そのあとリフトが動くまで一本歩いて登って滑ってたんだよ。」

「そうそう、リフトが開いたころにはすぐ滑れるけど、二時間待ちなんて当たり前だからね。」

「まず歩いて登って滑って。体慣らして、一本目のリフトで一番上まで乗り継いじゃうんだよ。そうすればしばらくは上のリフトまわせるからね。」

 靖之のお父さんお母さんの実体験からくる話はとても興味深く、同じような話になることもたびたびだが、飲みに行かせてもらう時の楽しみの一つでもある。大変な思いをして滑りに行っていたんだなと思いながらも、当時の話は全てが活気に溢れている。

 週休一日だった当時は、会社から定時で帰ってきてノーマルタイヤからスパイクタイヤに履き替える。外しておいたキャリアを車に付け、スキー用具荷物一式を載せ暗いうちに家を出るのが常だったそうだ。関越トンネルの無い時代に三国峠を夜中に抜け、滑った当日は帰ってくるのは暗くなるころ。雪道移動とスキーで疲れ切った体で、それからキャリアを外してタイヤを履き替えて翌朝出勤する。

「当時はそれが当たり前だったからね。」

 とお父さんは事も無さそうに教えてくれるが、その頃のスキーヤー達には圧倒される。


 和人はスノーボードをはじめるのは遅くなったが、それはその時の自分に合った最良のタイミングだったんだろうとよく自分に言い聞かせている。運命論者でもなんでも無いがそう思っていないと「早くはじめていれば良かった」との常の後悔とも言える思いに支配されてしまいそうな自分が怖かった。

 ただ、冷静に考えてみるとそこまでスノーボードにのめり込んでいる自分がとても不思議で客観的にみて滑稽にも思える。「寒くて面倒くさくて痛いから」とゲレンデに出向くことを敬遠していた時の自分と今の自分は紛れもなく同一人物なのだ。まだまだ連続ターンが出来始めたところとは言え、このスポーツの奥の深さや楽しさの虜になってしまったのだろう。

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