新世界 -2
翌朝、コテージの扉を開けると素晴らしい一面の銀世界がまぶしい。少し離れた山々も何もかもが白に染められ、昇りはじめた朝日にそのすべてが照らされているような錯覚も覚える。
尖った空気感にしばし我を忘れていると、轟音と共に重機がスキー場への道を下ってきた。除雪用ブルドーザーの人の丈ほどもあるタイヤに巻かれたチェーンがちゃりちゃりと音をたてているのを聞いて、藤沢は昨夜の夢を思い出した。
夢の中ではサンタクロースがトナカイに引かれたソリに乗って雪空を駆け巡っている。なぜかサンタクロースは「あ、そんなに頂いては申し訳ないですよ。」と藤沢が言うのも聞かず、プレゼントをどんどんと積み上げ、シャンシャンと鈴をならしながら空に帰っていったのだった。
今の今まですっかり忘れていたが、どうやら夜を徹して除雪作業をしていた重機のチェーンの音が藤沢にシャンシャンとした鈴の音を聞かせたようだ。そのおかげで、道路はアスファルトの黒がところどころに見えるほど除雪されていた。なるほどな。と藤沢は独り言を言うと、隣室の扉をふたつみっつ強めにノックした。
靖之は朝が弱い。遊びに行くといつも藤沢に明日起きられる自信が無いから念のため起こしてくれと言う。念のためと言いながらもまず先に起きていた試しはない。気心が知れていることからか、少々の甘えがあるのでは? と藤沢は常日頃から思っている。そして起こすと大抵「あと十分寝かせてくれ。」と言われるが、頼まれてわざわざ先に起きて起こした手前、藤沢はいつも気分が悪い。折角の遊びに来た朝なのだから時間を大事に使いたいと常々思っているところにこれだ。自分でも少し愚痴っぽいとも思うがそれが自分の性格なのだから仕方が無いだろう。史也などはそこまで言わなくてもいいんじゃないか。と靖之を擁護することもある。
「今日も起きないか。」
舌打ちをしたい気持ちを堪えていると、ガチャガチャと扉を開ける音がする。めずらしいな。と少し喜ぶと、すっきりした顔をして史也が顔を出して言った。
「おう、おはよう。」
「ずいぶん早いな。」
藤沢は昨夜の酔いで忘れていたが、史也と靖之はいつも同じ部屋を借り切っているので二人部屋。藤沢は神経質で少しの物音でも起きてしまい一人でしか眠れないので一人部屋。といった感じに史也の采配で部屋割りをしていたのだった。
なるほど、ここでは史也が靖之を起こす係りなのかと思いながら、
「靖之起きたか?」
と聞くと、ものすごい寝癖のついた髪の毛で部屋の隅にだるまのように座ってこちらをうかがっていた。
「ああ、おはよう。」
挨拶はすれども、眼が開いている様子が無い。
「和人、よく眠れたかい?」
半分寝ているような姿だが靖之は人が良い。これで寝起きが良ければさらに良いのだが。
窓際に置かれた缶コーヒーを史也が二人に渡してくれる。これは良く冷えている。冷静に考えれば当たり前のことだが雪国では冷蔵庫の用は外気が為してくれそうだ。そんなことも藤沢には新鮮だった。
この快晴の素晴らしいコンディションとこのコテージの雰囲気に、藤沢は少しのためらいも無く数年ぶりのスキーをすることに決めた。靖之に言われるままに、慣れないスキーの準備をしていると、
「よう。」
とちょっと流行りのダンスグループのメンバーに居そうな、顔の彫りの深い男が部屋に顔を出した。藤沢たちと比べるといくらか若い印象だが、顎鬚を生やしてなかなかの面構えだ。男は志村といって今は違う会社に勤めているが、昔靖之の会社の後輩だったと言う。見た目とは少し違って、初対面の藤沢に遠慮しながらも真面目さのなかにも楽しさもあり、気持ちの良い男だ。近頃の若者はほとんどスノーボードをする傾向があるらしいが、若いにも関わらず志村もスキーヤーらしい。
「藤沢さんは結構やるんですか?」
今日藤沢がスキーをやると知って聞いてきた。
「五年ぶりぐらいのほとんど初心者だよ。靖之がぜんぜん教えてくれなくてさ。」
笑いながら言うと、
「靖さん、教えてくれないですよね。」
と志村も気持ちの良い笑顔を見せて答えた。
藤沢以外はこういった準備も慣れたもので、身支度から車への荷物の積み込みなどすぐに終わってしまった。藤沢はただウェアを着て、渡されるままにビーニーとゴーグルとグローブを手に持たされてそのまま車に乗り込んだ。ニット帽のことをビーニーと言うんだな。藤沢はここでも全く異世界の住人であったが、いつもの二人に今日会ったばかりの仲間を交えてのゲレンデに心躍るものもあり、果たして滑れるだろうか? といった不安もある。靖之は教えてはくれないものの必ず面倒を見てくれるので安心感もあるが、いろいろな感情が交錯して若干の緊張感を感じていた。
諸星オーナーと岳野さんが見送ってくれる中、靖之が車を出す。先発は靖之と藤沢。後発は志村と史也と二台の車でゲレンデを目指す。
「ずいぶん掻いちゃったな。これじゃ滑るかもよ。」
靖之が不思議なことを言う。雪が掻いてあればあるほど滑らないのではないかと藤沢は思ったが、何年も雪道を走ってきた靖之が言うのだからそうなのだろう。おそらく藤沢が不思議そうな表情をしているのを察したのか、
「雪でアスファルトが見えないくらいの方がスタッドレスは食うんだよ。まあ、除雪隊もどんどん降るとキリが無いからできるだけ掻きたいんだろうけど。」
と教えてくれた。藤沢の知らないこんな知識も興味深い。
少し昇りかけた日が、道の両側で雪をかぶった木々を照らす。雪と枝とその陰が幾重にも重なり角度を変えながら眼前を走ってゆく。昨夜はずるずると滑る後輪に戦々恐々としていた感も否めなかったが、今日は窓外に気持ちを預ける余裕も出てきた。
駐車場では数人の係りが誘導棒、いわゆる“にんじん”を器用に振り回して駐車スペースに誘導している。係員たちの活発な動作や声は朝からとても気持ちが良い。
「結構滑ってたねえ。」
キャリアからスキー板を降ろしながら、隣に停めた志村が言った。どうやら、後ろから見ているとかなり靖之の車は車体後部を滑らせて走っているらしい。実際に乗っている感覚とは結構差があるようで、藤沢は静かに驚いた。そういう志村の車は4WDで、史也曰く今日の雪では全く滑る様子も無かったようだ。
ここでも三人の準備は手際良い。藤沢は靖之の手を借りながらなんとかスキー用のハードブーツに足をねじ込み、靖之に言われるがままにスキーとストックを手にし、ロボットダンスのようにカクカクよたよたとセンターハウスに向かった。
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