第6章 薔薇を愛す(1)
アリサ妃は平静を装っていたが、微笑みが消えて冴えない顔色に気づいたのは毎朝顔を合わせる隊士たちだ。ダリウスは黙っていたけれど、女性の存在が影響しているのではないかという会話が交わされるようになった。
その朝も広間で王子を待っているとき、
「王子はどう考えておられるのだ。俺は繊細なお妃の愁い顔を見ていられないよ」とロベールが、王子はまじめすぎると言ったことを忘れて吠えた。「何とかならんか!」
「少し遊んだほうがいいと言ったのは誰だ? 節操のない奴だな」
「それは独身のときはいいさ。俺だって結婚したら妻だけを大事にする」
「私はこっそり秘蜜の味を楽しむつもりだよ」
「セキトこそ無節操だぞ。まあセキトはどうでもいい。王子はお妃を大事にすると日ごろから公言しておられたはずだ」
「アニタをかっさらってくるかと言っていたのに、今度はお妃の心配か。王子の代わりはとても無理だ」
「セキト、ふざけるのはよせ。どこで妙なことになったのか私も心配だよ」
「あんな黄金色の髪に迷われたかと思うと情けないよ」「私も怒りたい」とダリウスが唸る。
「タクマは王子が決めることだと言ったが、お妃の気持ちはどうなんだ。これでいいのか」
「王子に訊け。私は本人ではないから見守るだけだ。不満でも王子に意見できるか!」
「いなくなればどうにもなるまい」「ぶっ殺すか」「毒を盛ってもいいぞ」「馬鹿を言うな。何かわけがあるのだろう」「何かとはなんだ」「わけもくそもあるか」「やってしまえ」「どうする?」
そこへ当の王子が入ってきた。
「雷鳴が響いているぞ。何の話だ」
みんなは一瞬黙り込んだ。
「どうした。私に言えない話か?」
「いいえ」とジョウは明るい顔で答えた。
「ロベールの友人が結婚して、一年も経たないのに愛人ができて、あまりよくない女性なのでロベールは女を少し痛めつけてやるというのですが、モリスは放っとけと言うのです」
ダリウスは聞いていて、すぐに話を作ってしまうジョウに呆れたが、王子は笑って、
「そんな女性を好きになる男のほうが悪い。ロベール、女よりその友人を殴ってやれ」
と言ってのけ、「さあ、行くぞ」とみんなを促した。隊士たちは急いで後につづきながら、ロベールとモリスが参ったなという目を見交わし、マリウスとジョウは笑いをかみ殺している。ダリウスは苦い顔をしたが、タクマのそ知らぬふりとセキトのまじめくさった顔を見て、何とか心を鎮めた。(男のほうが悪い、か)ため息が洩れる。(お妃はこの問題を自分で解決されるだろうか?)
アリサ妃は女性に憎しみは感じなくても、もし子供が生まれて将来の王位継承に問題が生じたら、と考えると排除したいとも思う。自分も妃という地位と誇りだけで安心してはいられない。大臣からの返書を待ちながら、お妃は自分の気持ちを王子に話したいと思った。
王子がいつものように居間で寛ぎ、何も女性について訊こうとしない妃に警戒心がゆるんだとき、「私はあなたの何なのですか」と、お妃が真剣な顔で問いかけた。
「何といって、アリサ妃は私の妃ではないか」
「妃というのはあなたにとってどのような存在ですの?」参ったなと王子は言葉を選んだ。
「妃は私の大切な妻。未来の王妃。すべての頂点に立つ我が国最高の女性だよ」
「あなたにとって私はそれだけの存在ですか。私はすべての愛を差し上げたつもりですけれど、あなたは私を心から愛してはくださいませんの?」
「私もアリサのすべてを愛し、誇りに思っている。命を懸けて一生アリサを護る。それでも不満なのか? 私にそれ以上何を望むのだ」
「それなら私が悲しむこと、嫌がることはなさらないでくださいますわね?」
お妃はそっと王子の肩に顔を寄せ、王子の腕が抱えてくるのを感じながら尋ねた。
「もちろんだよ、アリサ。私の気持ちは初めて会ったときから変わらない。いや、それ以上に深まっているよ。私たちの子も生まれたのだ」
「それなら私はうれしいのですが。広くて深い愛に満ちた生活が私の望みでした。どんな時でも互いに伴侶だけを愛し合っていけると信じていました。私は理想を求めていたのかもしれません。でも私の誇りを傷つけないでください。私もあなたの誇りを傷つけることは決して致しませんから、もっと私を愛して」
お妃の声が細くなった。うつむいた頼りなげな首筋がアリサ妃の傷ついた心を雄弁に語っている。王子は胸が苦しくなって妃を抱き寄せ、唇をふさいだ。それ以上言わせたくないし、聞きたくもない。アリサにすべての愛を捧げるとはどうしても言えないのだ。
自分が悪いのだ、と思ったとき、隊士たちが騒いでいたのは自分のことではなかったかという疑問が湧いた。ロベールの友人ぐらいであんなに真剣になるだろうか。面倒なことは嫌だ。王子は頭が痛くなってきた。
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