第5章 身代わりの王女(5)

 目の前で見た情景が現実のものとは思えない。初めて知った夫の背信。豊満な姿と黄金色の髪はしっかり目の奥に残っている。マヤではなかった。あの女性はだれなのであろう?

 お妃はその晩、王子が中央宮殿へ出かけておそくなるのを知り、二頭の犬を連れだした。小布を嗅がすと犬たちはお妃の顔を窺い、納得したのか歩きだして階段を上がる。三階だ。お妃は激しくなる胸を抑えながら随いていく。西の方へ曲がり、奥まった一室に着くと、犬たちは足を止めてお妃を見上げた。百合の花模様が彫られた扉が立ちはだかっている。どこからか甘い匂いがした。どうしようかしら、とお妃は迷った。入って確かめるのは勇気がいる。しばらく考えてお妃は踵を返した。夫の背信行為をあばくのも恐いが、この先どうなるのか不安もある。部屋に戻るとお妃はアガタ女官長に打ち明け、調べるように頼んだ。

「なぜご遠慮あそばすのでございますか? 追放するなり毒酒を飲ますなり致しましょう」

「勝手なことをしてはなりません。私はしばらく様子を見て真実を知りたいのです」

「アムランのジュリア王女を呼び寄せられたという話を、侍女から聞いておりますが」

 女官長はやっぱりといった顔つきで言い、憤慨して決断を促したが、お妃は取り合わなかった。自分は王太子妃ではないか。まず事実を確かめてから考えよう。でもさっきの甘い香りは西の国独特の飲み物だ…。謎の女性を見た侍女は勇んで張り込みをしはじめた。

 数日経ちアリサ妃は、王子の顔も様子も変わらないのを確かめ、ダリウスと女性が黙っているのだと判断した。やがて侍女は、この前は五日後で、昨日は六日目でしたと報告する。お妃が注意していると、それから五日過ぎ、夕方になると王子は「仔馬が産まれたから見に行く。今夜はおそくなるから寄らずに私の部屋で休む。アリサは心配しないで早くお休み」と言った。「また仔馬ですの?」お妃は少し皮肉を込めて確かめる。微妙に(知っていますよ)と言いたいが、王子は普段と変わらぬ様子で出て行った。馬が好きでも今夜は違うだろうと思うと、お妃は悲しくなった。


 一方の王子は何か妃が不機嫌なのは察したけれど、まさか秘密がばれているとは思わない。それでもひっかかっていたのか、

「仔馬を見に行くと言ったら、また仔馬なのかと妃に言われてしまったよ」

 と冗談めいて話したとたんに、レナの微笑が凍りついた。

「どうかしたのか?」

「この前、王子さまをお待ちしていたとき、薔薇園でお妃さまと偶然出会ってしまいましたの」レナは内緒にしていた出来事を話した。王子は渋い顔になったが、まさかこの部屋まで突き止められているとは思わなかった。

 その頃、お妃はダリウスを呼び出して、レナについて詳しく聞いていた。しかし、アムランの王女と再び聞いても多少の疑問がある。生まれながらに上位の者が持つ、昂然とした誇りのようなものが感じられない。自分を見て、すぐひざまずいた姿が、それに慣れている侍女の姿と重なる。どうもおかしい。

 それでも、現在その女性とどれほどの仲かは判らないけれど、夫と自分が深い愛と信頼で結ばれていなければ、たとえ彼女がいなくなっても、いつまた別の女性が現れるかもしれない。どうすれば良いのかと黙ってしまったアリサ妃の傷ついた表情と、うつむきがちな白い首筋が痛々しく頼りなく見えて、ダリウスは思わずお妃を抱きしめてしまいたくなる恋情を必死で抑えつけながら、嘆きをこらえた凄艶な姿を惚れぼれと見守りつづけた。


 次の夜、寝室まで送ると王子は「まだ公務がある」と言ってすぐ出て行った。いつも朝まで一緒にいたことがない習慣を、お妃は初めて恨めしく感じた。部屋に戻った夫がどこかへ出かけても、自分には何も判らないのだ。部屋へ行って確かめるようなことはしたくない。王太子妃としての誇りがある。

 考えたあげくお妃は、セイランで親しく接したアマリ大臣に密書を送ることにした。重要な入国は大臣が関わっているはずで、王女のことや顔を知っているかもしれない。思い切ってお妃はひとつの賭けに出た。

 アムランから入国した王女が偽者あることは、すでに判明している。ジュリア王女が現在まだ王宮にいるのか調べよ。身代りを寄越すとは我が国と王太子を愚弄して無礼である。大臣は承知の上か、知らずに入国させたのか。ともあれ事実を調べ、身代りの氏名と詳細を知らせよ。大臣が咎めを受けぬよう、極秘の調査ゆえ、早急に私の許へ返書を送れ。

 後は返書が届いてから考えよう。王女であるはずはないのだから。お妃はダリウスに命じて使者を選ばせ、早馬が駛り出て行った。

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