第5章 身代わりの王女(4)

 隊士たちはレナを黙殺していたが観察はしていた。王子の寵愛を受けても不思議ではない美貌と容姿、謙虚な態度も好感は持てる。しかし王太子妃を脅かす存在であることに間違いはない。みんなは王子同様アリサ妃にも忠誠を誓って敬愛の気持を抱いている。レナを黙認はしても容認はしないのだ。小さな差でも大きな隔たりがある。たとえばお妃のために命を投げ出せと言われたら喜んで死ねても、あの女のためには何もしてやりたくない。王子は隊士たちの心の綾に触れることができなかった。そして思わぬとばっちりがマヤの身にも及んだ。忘れて行った王子の首飾りを、レナは急いでマヤに渡した。置いたままでもよかったのに、魔除けに着けていると聞いていたので不安になったからだ。マヤは絹の布に包まれた首飾りを、朝、中央宮殿へ出かける前の王子に手渡した。隊士たちは外で待っている。側にはダリウスがいるだけだ。マヤは安心していたのだが、偶然アリサ妃が二階の階段を下りかけて、下を見ると王子とマヤが何か話している。受け取った首飾りを王子が無造作に着けたので、お妃は疑念を抱いた。

 そんなものをいつはずして、どこへ置き忘れたのだろう? マヤの部屋とは思えないが、以前からマヤが王子の部屋へ出入りするのが心配だったし、マヤを気に入っているサラ王女の許へ移したい。早速、王女に意向を訊くと喜んで

「マヤが来てくれたらうれしいわ」と言う。王子の部屋とは離れているのだ。

 その夜、お妃は王子に「サラ王女からマヤに来てほしいと頼まれたので」と話をした。

「あなたは身の回りの世話くらい、だれでもやってくれると仰言っていましたわね」

 アリサ妃の少し硬い表情に、王子は不審を覚えたが、もし例の首飾りを手渡されたところをだれかに見られていたら、疑いは晴らしておいたほうが良い。ジュリアの存在がばれないだけ幸いだ。マヤは何も悪くないけれど仕方がない。王子はマヤを妹のほうに移した。

 しかし、運命の輪が逸れると思わぬ方向へ動いていく。当のレナがアリサ妃に遇ってしまうという事態が起きた。


 その日、レナは渓谷へ行こうと誘われ、供はダリウスだけと聞いてうれしかった。王子の言いつけどおり、目立たぬ西側の柱の陰で待っていたが、王子がなかなか姿を見せないので、つい少し離れた薔薇園に入ってしまった。背丈が隠れるほどの枝葉の間に咲き誇る花々は美を競いつつ甘い芳香をただよわせている。

 ふと、(王子さまはまだかしら)と目を向けた先に、典雅な貴婦人と侍女の姿を見とめたレナは、すぐにお妃と気づいてはっとした。どうしようかと迷っているうちに、お妃はまっすぐ近づいてくる。薔薇を見に来たのだろう。すらりと背の高い優雅な容姿は、ジュリア王女と比べようのない高貴さでレナを圧倒した。隠れたくても小道の先は丈の低い花壇だ。しかしこのままでは見つかってしまう。思い切って奥の小道に移ろうとしたときはすでにおそく、レナは入ってきたアリサ妃とばったり出会ってしまった。

 間の悪いことに、そのときなぜか約束の時間をとうに過ぎた王子がダリウスを連れて現れた。お妃は目の前に姿を見せた乗馬服の女性に驚いたものの、表面には出さず、素早く感情を隠して状況判断をする。夫である王子の姿を捉え、後ろから随いてきたダリウスの目と一瞬合ってしまったが、王子は前方を見ていて気付かないらしい。お妃は身をかがめ、うずくまっているレナに向かって、「早くお行きなさい」と声をかけた。レナは蒼ざめている。

「王子をお待たせしてはいけません」

 気品のある顔は穏やかで、優しいけれどきっぱりした言い方だ。

「申し訳ありません」あわてたレナは一言謝って、足速にその場を立ち去った。お妃はしばらくじっとして様子を見ている。ダリウスは気づいているのだ。ダリウスか女性が自分のことを王子に話すかどうか…。ふと下を見ると、女性が持っていたらしい小さな布が落ちている。お妃はそれをそっと拾い上げた。

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