第5章 身代わりの王女(3)

 何かおかしいと気づいたのはタクマだった。公務が早く終わると、王子は教練場に剣士たちを集め、タクマを相手に剣舞の練習をする。剣士たちはあこがれの王子と名高いタクマの剣技を夢中で見つめ賞賛し、王子の顕示欲を大いに満足させるのだ。ふたりは安全な範囲でやっているとはいえ、烈しく渡り合う姿は剣士たちの心を魅了し、剣の応酬に息を呑む。

 しかしタクマは王子が集中していないと感じた。以前の鋭さと緊張感が欠け、空色の瞳はどこか遠くを見ているようだ。どうも変だ。

 次の日、エド教授の館から帰ってきたダリウスに自分の疑問を話し、何か変わったことはなかったかと尋ねると、ダリウスは少し考えてから、そう言えば、と話し始めた。雑談中に王子が教授に「今まで愛された女性はいないのですか」とか「ずっとお独りで寂しく思われませんか」などと訊いたという。

「昔、つらい別れを経験しましたので、ずっと独りですが、毎日心の中で会っていますし話もしていますから、寂しくありません」

 教授が微笑みながら答えると、王子は「そんなことが可能だろうか」と首をかしげた。

「確かに落ち着けないときがありましたよ。若さに任せて遊びもしてみましたが、自己嫌悪に陥りましてね、結局自分をごまかしているだけだと悟って遊びはやめました。心の中で愛する人を想っているほうが私には幸せに思えますし、今は何にも囚われず自由でいられます」

 話を聞いたダリウスはふぅんと感心したのだが、帰り道に王子がため息とともに、

「エド教授でも遊んだことがあったのか…」と言ったのが、何か引っかかったという。

「何かありそうだな」とダリウスが言った。

「しかし、だれか女性がいるとは思えないが」

「いるとすれば王宮の中だろう」

「そんなことが可能だろうか」

「王子と同じような言い方だな」とダリウスは笑った。

「可能だよ。その気になればの話だがね」ふたりは思わず顔を見合わせた。

 そして王子の行動に注意し始めたのだが、しばらくして隊士たちは女性の存在を知ることになった。たまには外へ連れ出してやりたいと思った王子が、仔馬が産まれたから行ってみようとレナを誘ったのだ。妃は小王子に掛かりきりだし、隊士たちが告げ口することもない。レナは喜んで従いていった。

 王子にはレナを何気なく認めさせようという意図があった。ダリウスには事前に話し、彼から隊士たちにうまく話が通っているだろうと王子は楽観していたが、まじめなダリウスは困惑したもののタクマにも知らせず、先入観なしでみんなの反応を見ようと思った。

 男装の乗馬服でも黄金色の髪をした美女を伴い、平然と現れた王子は、「アムランから来たジュリアだ」と短く言い、隊士たちも表面には何の感情も表さず、短く挨拶はしたものの後は一切無言のまま。王子の問いかけに答えるだけでレナを無視している。レナは自分が歓迎されない存在だと敏感に覚った。

 アムランなら愛妾の存在は公認で、明るい冗談も出るのに、悪意のないまなざしを向けたのは王子の隣にいる青年だけ。特にレナの心をこわばらせたのは、おしゃれなアムランの貴公子より優雅で容姿端麗な青年の冷たく引き締まった顔だ。何が気に入らないのか、深く美しい瞳は完全にレナを拒否している。(この方はどういう方なのかしら?)どこか厳しさが感じられてレナは気にかかった。

 厩舎に着くと、王子は馬の親子を外へ出させ、立ち姿を丹念に調べて満足げに頷いた。

「思っていたとおり良い仔を産んでくれた。これは必ず立派な馬になるぞ」

 生まれたての仔馬を見て、成長した姿がすぐ想像できるらしい。王子の識別眼は確かだ。しかしレナは仔馬が可愛いと思う余裕もなく居心地の悪いひとときを過ごした。そして部屋に戻ると、もう隊士たちとは出かけないと心に決めた。嫌な思いをするだけだ。


 次の夜、王子が来たので、レナは少ししょげて隊士たちの印象を話した。王子もみんなの態度に釈然としないものを感じている。

(ダリウスは話さなかったのか。みんなジュリアを呼び寄せたことに不満なのか?)

 自分がしたことを容認してくれるだろうという甘い期待が覆された。さんざん女の話をしていたロベールでさえ、難しい顔をして黙っていた。やはりジュリアの存在は隠しておいたほうがいい。と思いながら王子が上着を脱ぎ、金の首飾りをはずすと、

「金茶色の髪をした美しい方はどなたなのですか?」とレナが尋ねた。

「タクマ・アキノという、国政大臣の息子だ」

「ずいぶん容姿の美しい方だと思いましたわ」

「剣の腕前も優れているよ」王子は少し自慢そうな言い方になる。だれであれ、自分の護衛隊士を褒められるのは気分がいい。しかしすぐに状況は変わった。

「王子さまはあの方をお好きなのですか?」

「好きだよ、良い男だ」

 軽く答えてから、王子はレナの顔にもっと深い意味が込められているのを感じた。

「何を馬鹿なことを考えているのだ」

 強い口調になっていたのか、レナはあわてて謝ったが、王子の機嫌は直らない。互いに受けた痛みを分かち合いたいのにうまくいかず、王子は後味の悪さを感じながら上着を取り、引き留めるレナを振り切って出て行った。

 レナは忍び泣くだけだ。(王子の愛を失ったら、もう私には何もないのだわ)愛人という立場の危うさと悲しみをひしひしと感じる。それでもアムランではよくある男同士の深い仲ではないと疑いが消えてほっとした。ふと傍らを見ると王子の首飾りが目に入った。

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