第5章 身代わりの王女(2)

 三階の西側にレナの部屋が用意され、大臣からそっと言いつけられたマヤは失望や不安を感じながら二人の侍女とともに準備をした。もし、お妃に知られたら、お妃はどうするだろう? と思うと心配になる。

 レナも落ち着けなかった。到着を知っているはずの王子は姿を見せず、(ゆっくり休息して疲れを癒すように)という伝言がもたらされただけだ。次の日も盛装のまま心待ちにしていたレナは、どんなに耳を澄ませても王子の足音を聞くことができなかった。

 三日目の夕方、少し不安になったレナの前に、何の前ぶれもなく王子は二頭の犬を従れて、「王子さまがお越しです」と侍女が告げるよりも早く入ってきた。上座の椅子に掛け、レナの挨拶を聞くとすぐ、「疲れはとれたか。この部屋は気に入ったか?」と気軽に問いかける。つづけて「ジュリアは肖像画より何倍もきれいだ」と微笑したので、レナは張りつめていた氷がさっと溶けたように気分がほぐれた。恐い男でも我慢しようと思っていたけれど、端正な顔をした好青年だ。アムランの貴公子たちが持つひ弱さや、きざなところはまるで見当たらない。たくましい躰と、強いなかに優しさを感じさせる空色の瞳が印象的でレナは一目で王子に惹かれてしまった。

 次の言葉を待っていると、「ジュリアはもう男を知っているのか?」と王子の率直な質問に、レナは何と答えればいいのかと狼狽えた。その様子を見て王子は敏感に察したらしい。

「まあ良い。アムランは自由に恋愛を楽しむ国だと聞いた。しかし、結婚を約束した相手はいないのか?」

「いいえ、おりません。」

「そうか。だれかいるなら、このまま帰ってもかまわぬが、ここにいるならば、私はジュリアを大事にするつもりだ」

「私は今までの自分を捨てて参りました。どうぞお側においてくださいませ」

「判った。私には妃がいて、もうすぐ子が生まれる。いちばん大切なのは妃だ。それを承知なら私はジュリアとの時間を大事にしたい」

「私のところにお越しのときだけ、王子さまの時間を私にくだされば、私は幸せでございます。お妃さまにご迷惑をおかけするようなことは致しません」

「では明日の夜。少し遅くなると思うが」

 王子はさっと立ち上がって帰りかけたが、レナの近くで足を止め、息をひそめたレナに、「匂いがきつ過ぎる。香りはすべて好まぬゆえ、以後、香水の類を用いることは許さぬ」

 と注意して、来たときと同じように素早く出て行った。後ろを犬たちがレナを睨めつけてから追っていく。レナはほっと吐息を洩らした。気づいてみれば、王子はレナの指一本にも触れていない。アムランの貴公子ならすぐにでも楽しもうとするだろうに……。(自分勝手な男ではない、すてきな方だわ。あとは愛される努力をするだけ)とレナは思った。

 王子はアリサ妃のほのかな香りを楽しんでいるのにレナには禁じた。絶対秘密を知られてはならない。それは妃への裏切り行為であり、妃が知ったらどんな思いをするか、充分承知しているからだ。大切な妃には無事に出産してもらいたいが、労りながらの行為はどこか物足りない。アダの奔放で情熱的な踊りを見たせいか、どうしようもなく荒れ狂う炎を抑えきれなくなってしまった。

 次の夜おそくやって来た王子は寝室に入ると、レナの黄金色の髪を包み込むようにして首を支え、躰を引き寄せた。

「美しい髪をしている。少し震えているようだが怖くはないだろう。ジュリアは知っているはずだ」王子はからかうような瞳をした。

「それとも私に一目惚れしたのかな」

 何か気の利いた言葉を返したいのに、レナは胸が苦しくて何も言えず、唇が触れると全身の力がぬけて、抱き上げられたのを遠く感じた。思っていたより初なのに驚いたのか、王子はレナの様子を見ながら、あまり注文も出さずにふたりの時間を過ごし、少しまどろんでから部屋を出て行った。あとは静かだ。


 レナは王子が自分を労り、優しく接してくれたのを感じて、安心と同時に喜びに浸った。そして王子との夜に慣れると、今まで知らなかった官能という恋の泉に愛の技を満たし、様々な形で非凡な才能を発揮し始めた。王子も誘発されて遠慮なく立ち向かう。まるで闘いのような激しさに疲れ切っても、若い躰は一眠りすると活力を取り戻すのか、夜明け前に王子はいなくなっていた。王子がいない夜は寂しいけれど、レナは自分の幸運を大げさに母や弟へ書き送るのが楽しかった。

 王子もレナの奔放な情愛に魅せられた。アリサ妃にはとうていできないことも平気でできたのは、この部屋では一人の青年であるという自由を満喫し、王子という束縛から逃れることができたからだ。気楽な解放感を味わい、王子は失いかけていた自信を取り戻した。

 レナの存在はうまく隠されつづけた。朝早く馬を駆けさせる王子が、お妃の眠りを妨げないように、自分の部屋に戻って休むという習慣が秘密を守ってくれた。幸いお妃は何も気づかず、やがて男児を出産し、みんなの祝福を受けて、クロードと名付けられた。

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