第5章 身代わりの王女(1)
西の国アムランは平和で自由を好む国だが、最近は豊かさに溺れ、腐敗に向かっている。国王は寵妃とたわむれ、王妃も贅沢を好み、将来を危ぶむ賢者や憂国の若者たちの意見には耳を傾けず、王子や王女もわがまま放題だ。
そこへ突然飛び込んできた(ジュリア王女を差し出せ)というダイゼン王太子の要求に、王も王妃も驚いたが、拒絶すれば攻め滅ぼすと脅されては受け入れるしかない。青い軍隊の勇猛さとクラード王の恐ろしさは承知している。なんとか王女を説得することになったが、今まで自由気ままに暮らしてきた王女が聞き入れるはずがない。
「私はこの国が好きなの。戦争の好きな恐い国なんて、誰が行くものですか。私の肖像画を送った人が責任を取りなさいよ」
王女は断固として拒絶する。王族の一人であるオルセン宰相は豊富な食料や香料をダイゼンに送り、平和を保ってきたが、王女に断られた上に、娘のレナを身代わりに出せと迫られた。王女に似ているし、王宮の生活にも詳しいから、うまくごまかせるだろう。その頃の風習で、上流の娘は競って美しい絵を描かせ、これはと思う国の王族や貴族の許へ送り披露する。それは玉の輿に乗る幸運を掴む半面、大国や権力者の要求には逆らえないのだ。
レナは身代わりを断れば、自分も家族も罰せられるので、命令に従うしかなかった。王女の遊び相手として成長し、今は侍女同様の身だ。偽者とわかれば殺されるかもしれない。でも、もし気に入られたら大きな幸せを摑める可能性はある、とレナは強いて自分を励まし覚悟を決めた。弟のリョウは心配を隠して「姉さんはきれいだから、きっと気に入られるさ」と安心させ「そのうち革命を起こしてこの国を改善するから、遊びに帰れるよ」と夢を語った。改革の意気に燃えるリョウにとって、ダイゼンは強くて立派なあこがれの国だった。
出発の数日前、化粧をして別れの挨拶をしに行ったレナを見た王女は、身代わりを押し付けたことも忘れ、その美貌に憎しみを感じた。王子への当てつけもあり、自分に侍べる青年にレナを陵辱させてから解放したのだ。
泣きながら帰宅したレナに気づいた母のリタ・オルセン夫人は、話を聞いて心を痛めた。
「かわいそうに…でも弱い者は強い者に逆らえないのですから、従う以外に生きていけません。上位の人ほど模範を示さないといけないのに勝手なことばかりして…みんな平等の権利を得たいというリョウの理想が早く実現すればいいけれど。レナ、済んだことはどうにもならないのですから、この国のことは全部忘れて、新しい幸せを見つけにダイゼンへ行きなさい。そして王子がどんな方でも愛情を捧げるのです。心は通じるものですよ」
「でも気に入って頂けなければそれで終わりですもの。私はどうすればいいのか…」
「私が知っていることは教えますよ。幸せが待っているのだという希望を持って、決してあきらめてはいけません。リョウが憧れている王子ですから、力になってくださるかもしれません。勇気を出して頂戴ね、レナ」
リタ夫人は娘に愛の技を教え、注意を与えてから、隠してきた秘密を打ち明けた。実をいうと国王は結婚の際に寵姫リタをオルセン大臣に押しつけ、宰相に昇らせたのだが、お腹には子が宿っていた。つまりレナはジュリア王女の姉だから似ているのも当然だ。宰相は極秘のうちに自分の子として愛し育ててきた。その事実を知ったレナはやっと立ち直った。愛を注いでくれた父母や、弟のリョウの理想を実現させるためにも頑張らなければ・・・。
出発の日が来てレナは馬車に乗った。レナの不安と期待を乗せて馬車はゆれながらダイゼンへと進んでいく。やがて密かな入国はアマリ大臣の部下が護って、無事に王宮へ入り、用意された部屋にレナは落ち着いた。
その少し前、思いがけない不幸がハラド公家を襲った。モリスとリサの挙式を目前にして、母ハラド夫人が事故で亡くなったのだ。その日、調教を終えたばかりの若駒に乗って、夫人が森を通り抜けようとしたとき、何かが急に馬の前を横切った。馬は驚いて立ち上がり、夫人を振り落として嘶きながら駛り去った。従者は鹿らしいというが、駆け寄ったとき夫人は木の幹に強く頭を打ちつけて意識をなくし、必死の看護も空しく他界してしまったのだ。
聡明で典雅だった夫人の死を多くの人々が悼み、リサの両親は式の延期を申し出た。
モリスは母を失った悲しみと、リサを待たせてしまうせつなさにうち沈んだが、リサは何年先になってもふたりの愛は変わらないとモリスを励ます。その様子を見た王子は、もっと早く結婚させたかったと思ったが、どうにもならない。ユリア公妃も従兄のハラド公を親しく訪ねて慰め、王宮に戻っても憂い顔をしている。そんななかでジュリア王女到着の報告を聞いても、王子はすぐに秘密の部屋へ行ってみようという気持にはなれなかった。
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