第4章 春雷と夏の嵐と(2)

セイランで静養中のアリサ妃はゆったりと自由な日々を過ごしているうちに心がやすらぎ、明日への希望や活力が湧いてきた。

 そしてお妃は新しい生命が宿ったことを感知した。王子の子を授かったという喜びとともに、自分の味方が増えるのだという嬉しさが込み上げる。お妃は急速に本来の自分を取り戻していった。

 一方、王子はお妃や公妃、そしてマヤから届けられる手紙で、アリサ妃が少しずつ快復して食欲も出てきたのを知り、心が明るくなったが、ジュリア王女のことを大臣に頼んだのが早まったかなという思いもよぎる。しかし、大臣が(ご懐妊あそばしたら、よけいお大切になさらないといけませんから)と言ったのを思い出し、王女への興味もあって自分を許した。リド公子などは自由に遊んでいるではないか、とも思う。が、それから間もなくお妃の懐妊といううれしい知らせがもたらされた。体調が落ち着くまで、もうしばらくセイランで静養したいと書かれた公妃の手紙を読んで、王子は喜びと戸惑いに心がゆれた。先行きを考えると不安もある。

 隊士たちにはジュリア王女を呼び寄せる秘密は伏せられ、控えの間にきて一緒に夜食をつまみながら談笑する王子から秘密の匂いはしないし、妃が良くなったと喜んでいるのだから、隊士たちも安心している。そうこうしているうちに日が過ぎて、アリサ妃の一行がセイランから帰ってきた。


 セイランに滞在中、マヤは何かお妃の侍女たちに見張られているような、嫌な気分が離れなかった。王子への報告書は侍女が持っていくし、王子からの手紙も先に読まれている。もっとも手紙はお妃の世話を頼むとか、たまには気晴らしをするようにと、ねぎらいの言葉が添えられているだけで何ということはない。

 それでも、もしかして疑われているのかとマヤは思い当たった。王子付きの私になぜ声がかかったのか。いつも王子の部屋に出入りしているし、だれかに薄桃色の衣装を見られたのだとしたら、危険な女を王子の側に残しておけないと思われたのかもしれない。お妃は変わらぬ態度だが、本心を表に見せない方だとマヤは感じている。

 それでも懐妊して明るさが見られるようになった。大役を果たさなければという思いが、良い方向へお妃を導き、笑顔で話す声にも張りがある。それはマヤにとってもうれしいことだ。やっとダイランに戻り、王宮に着くとマヤはほっとした。

 王子は優しくお妃を労り、すぐに懐妊が公表され、王宮は活気を帯びてきた。ユリア公妃も静養が成果をあげたので王妃に顔が立ち、アリサ妃の部屋にもよく現れる。そんな或る日、公妃からダリウスに縁談が持ち込まれた。王子も同意したのでダリウスは一度会ってみます、と答えたが、お妃は話し相手に来ていたケイトを見て、あら? と気づいた。落ち着かない様子で頬を染めていたケイトが、ダリウスの返事を聞いて寂しげなのだ。

 二人になってからお妃はケイトに尋ねた。

「ケイト、あなたはダリウスを愛しているのですね」ケイトは困った表情で肯定した。

「セイランへ行く途中、タクマと親しそうに話していたので、私はタクマかと思っていましたわ」

「アキノさまは私の気持をご存じなのです。でも私はダリウスさまご自身で早く私の気持ちに気づいてほしい。カナさまはおきれいですからわたしは…」

「ケイトもきれいで思いやりがあるわ。もう少し早く打ち明けてくださればよかったのに」

 そういえば舞踏会で、ケイトと踊っていたタクマが、次の踊りをダリウスに任せていたのをお妃は思い出した。

「踊りながらダリウスとお話しはなさるの?」

「いいえ。王子の行動ばかり気にかけていらっしゃいますの」

「困った人ですね。ダリウスはまじめすぎるわ」ふたりは顔を見合わせて吐息を洩らした。

 そんなこととは知らず、」ダリウスは貴族の娘カナを紹介されて心が動いた。アリサ妃にあこがれていても、想いが叶うはずはないし、そろそろ自分も恋人がほしい。決めてもいいかなと思いながら付き合い始めた或る日、ふたりで町の広場にある市場を覗きながら歩いていると、リド公子の姿が目に入った。ダリウスは公子が苦手なので、本能的に避けようとした。何か言われそうでカナと一緒にいるところを見られたくなかったのだ。いつだったか、冗談めいて

「私がもし王位に就いたらダリウスはどうするつもりだ?」と訊かれ、黙ったまま射すくめるように公子を見つめたことがある。公子は「ダリウスは偉大なる凡人だな」と薄ら笑いを浮かべて離れていったが、悔しくても言い返す言葉が見つからなかった。確かに自分は不器用で融通のきかない性格だと判っているが、公子などに負けないぞという思いもある。

 ともあれ、白馬に乗ったおしゃれな貴公子は、目敏くふたりを見つけて近寄ってきた。

「ダリウス、カナと婚約したのか?」

「いいえ、まだです」ダリウスは正直に答えた。公子は面白そうな顔だ。

「カナはなかなか良い女性だぞ。せいぜい可愛がってやれ」

 公子の口許にゆがんだ笑みが浮かんでいる。それはカナのすべてを知っているような言い方だった。カナの様子を見ると、あこがれとも羞恥ともつかぬ複雑な目で公子を見上げている。ダリウスはむっとして内心の怒りをこらえ、悠然と去っていく公子を見ながら、ふと疑問を覚えた。この話は公妃から出ている。

 公子と何かわけがあって、それでもカナを妻にしないのだとしたら? 嫌だ。まじめなダリウスは裏切られた思いで気持ちが冷めた。あの遊び好きな公子と…あとを想像しただけで、ダリウスは生理的にカナを受け容れることができない。この話は止めよう。ダリウスの夢はあえなく終わってしまった。

 王宮で、ダリウスが傷ついた心を抑えながら断ると、公妃は残念そうな顔をしたが、王子はどうも変だなと察したらしい。公妃がいなくなると「何かあったのか」と尋ねた。

「あの方はライアン公子を想っているようですから、私ではとうてい駄目です」

「なぜだ? リドは踊りや遊びは得意だが、剣などまるで遣えないぞ。ダリウスの良さが判らないような女はやめてしまえ。ほかにもっと良い女性がたくさんいるぞ」

 憤慨している王子の顔を傍らのアリサ妃はちらっと見て、すぐうつむいてしまったから、表情は隠れてしまったが、どうやらほっとしている様子だ。ダリウスは困った瞳でふたりを見比べ、一礼して退がっていった。

「アリサはダリウスが傷ついているのに平気でいられるのか」王子の𠮟責が飛ぶ。

「カナより、もっとふさわしい女性がいますもの」ケイトの想いを伝えたかったが、王子は恐い顔で、

「どんなに良い女性がいても、当分の間ダリウスは結婚話には乗らぬぞ。ダリウスはそういう男だ」と断言した。そう言われれば否定できない。お妃が事情を話すと、ケイトは気遣うお妃に感謝した。王子一筋だったダリウスが結婚を考え始めているのが判り、カナとの話が壊れて自分の希望がふくらんだのだ。

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