第6章 薔薇を愛す(2)

 レナの気持ちも複雑だった。自分に罪はないと思っても、同じ女性として一人の男性を共に愛する今の状態を、お妃はどう思っているのだろう。自分にとっては思いがけない幸せでも、この先を考えると心配で胸騒ぎがする。

 レナは王子がアダの妖艶な舞い姿に魅せられ、官能をゆさぶられて、アダの代わりを求めたのだとは知らない。アダは夏の嵐のように強烈な光を投げつけ、勢いよく旋風をまきちらし、熱い恋情を残したまま、さっと姿を消してしまった。

 王子は思い出すたびにかっと躰がほてり、もう一度会いたい、いや、自分の胸に抱きしめてみたいとあれこれ想像をめぐらせてしまう。それでも、代わりに来た女性の優しさに心が落ち着いたのだが、半年以上経つと、忘我のときを過ごしても一眠りすると、醒めた目で見ている自分を感じる。これは愛だろうか?

 妃の悲しみを理解し、受け止めた今は、なんとか善後策を考えなければならないだろう。

 ちょうどライラ王妃の姉アガシアの女王即位十五周年の祝宴に、王子は国王の名代として王妃、サラ王女と一緒に行くことになっていたので、悩みを抱えながら出発した。それは冷静にこの問題を考えるのに良かっただろう。ダリウスが傷ついたときに妃を責めた自分が、妻の痛みに知らぬ顔はできないし、妃に理詰めでこられたら返答に困る。最近自分を見てあどけなく微笑みかける小王子の顔を思い浮かべながら、王子は馬を駛らせていた。


 一方、セイランでアリサ妃からの密書を受け取ったアマリ大臣は驚愕した。馬車の中を検めたときの美しい女性がジュリア王女ではなかったとは…。しかし華やかな装飾品が相変わらず王宮へ届けられているといううわさは聞いている。急いで密偵に調べさせると、王女は確かに王宮で贅沢に暮らしていることが判った。大臣は困惑したが、嘘の報告は書けない。事実が明らかになれば責任を取らされる。幸い極秘の調査なので、自分も騙されていたと繰り返して謝罪し、大臣はお妃に返書を送った。そして王子へも身代わりの王女だったことを知らせた。その密書は王子の留守中に届いた。


「お妃さまがお越しです」と侍女に知らされてレナはびっくりした。なぜこの部屋が判ったのだろう。あわてて身支度を整え、いつも王子を迎える表の間に入ると、すでにお妃は上座の椅子に掛け、下座の椅子を示して、「お掛けなさい」と促した。怒っている様子ではないのでレナは挨拶をして腰を下ろしたが、

「あなたはオルセン宰相の娘、レナですね」

と、いきなり言われて息が止まりそうになった。反射的に立ち上がったが動悸が激しい。

「なぜ、王女の身代わりになったのですか」

 お妃が調べたのだと察して、レナはひざまずいた。

「王女が嫌がったので、似ているあなたが代わりに来たというわけですね」

「どうぞ…どうぞお許しくださいませ」

「偽者と判った以上は、王子がお許しになりませんから、早くアムランへ帰りなさい」

「そんなこと…それはできません」

「あなたの命が危ないのですよ。ちょうど王子は留守で、あなたが逃げても追う人はいません。私が馬をあげましょう」

「いいえ、帰れません」レナは震えながらも断った。どうしてアムランへなど戻れようか。(お妃さまは確かに気品があってきれいだけど、男女の情愛は別じゃないかしら。あれほど狂おしく愛してくださった王子さまはきっと私を庇ってくださるわ。私を認めてくださる良い機会かもしれないし…)

 レナは王子との夜を思うと、女として自分のほうが勝っているという気持ちになった。

「あなたがアムランのつもりで安心していても、この国は厳しいのです。陰の花は陰にいる間だけの存在で、陽に当たれば枯れてしまうのですよ。殺されてもいいのですか」

「私は王子さまを信頼しておりますし、王子さまのご命令でなければ退がれません」

 お妃はレナがどうしても帰らないと知って、

「残念ですけれど、もうあなたを助けてあげることはできません」

と腰を上げ、剣を振り切るような衣擦れの音を残し、昂然と部屋を出て行った。

 レナはじっとうずくまりながら、まだ勝負はついていないと自分を励まし、希望と不安のなかで王子が帰城するのを待った。

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