実際の時間は一瞬だったろう。


 だが、恭一には自分に襲いかかろうとする炎がスローモーションのようにゆっくりに見えた。だからといって、避ける気になれず、ただそれを眺めている。脳裏には走馬灯のように瑠美との日々がよみがなってくる。



「依田!」


 そのとき、尚隆の声により恭一は現実へと引き戻された。

 

 恭一が大きな背中を見えたかと思うと、その体を炎が飲み飲んでいった。


「リーダー!!」



 恭一が叫ぶ。



 尚隆を包むんだはずの炎は彼の着ていた服を燃やし、あらわになった皮膚さえも焼いてしまおうとする。 


「おい!リーダー!!」


 それが見えたのもつかの間、炎がまるで尚孝の身体に飲み込まれていくかのように消え去ってしまった。


「リーダー?」


 恭一の目には狼狽の色をあらわにする。それを見ようともせずに、尚孝は、ただじっと彼女をにらみつけていた。 


 その様子が滑稽に思えたのだろうか。彼女は、口元に笑みを浮かべる。


「いなくなれ!!!」


 彼女が手のひらを尚孝のほうへと掲げると、瞬時に炎が現れ、尚孝たちを襲いかかろうとする。


「留美!!」


「やめろ!!」


 恭一は、咄嗟にいまにも倒れそうになっている尚孝をかばうかのように前へと立ちはだかった。


 そして、彼女と同じように両手の平を彼女のほうへと掲げると、炎が手のひらから浮かび上がり、襲ってくる炎とぶつかり合った。


 そして、渦を巻くように消え去る。


 彼女は、目を大きく見開いた。


「おまえ。だれ?」


「わからないのか?留美! おれだ!」


 恭一は何度も叫んだ。


 彼女は、動揺の色を露にする。


「だれ?」


「おれだ! 兄ちゃんだ!」


 恭一は叫ぶ。


 そのたびに瑠美はたしかな反応を示す。


「お兄ちゃん? 違う。お兄ちゃんじゃない。だって、お兄ちゃんは……」


「留美!!」


 恭一は、その隙に彼女に近寄ると、強く抱きしめた。


 彼女は、さらに目を大きく見開く。


「しっかりしろ! 俺だよ! 兄ちゃんだよ!!」


 恭一は、必死に訴えかけた。


 周囲は業火の炎。


 あの時、焼きついた炎により、父も母も焼き尽くされてしまった。


 逃げなさい。


 逃げて生きて


 両親が切に願った。


 生きてほしいと、幸せになってほしいと

 脳裏に響く声。


「おにい……」


 思い出した。


 兄だ。


 大好きな兄だ。


 唯一の肉親であり、だれよりも大切な兄が自分を抱きしめているのだ。


 そっか……このひとが……


「留美?」


 恭一は、彼女から少し体を離れて、彼女の顔を見た。


「お兄ちゃん?」


「そうだ。おれだよ。兄ちゃんだよ。」


「お兄ちゃん」


 彼女は、安心したような笑顔を向けた。


 恭一もほっと胸をなでおろした。


 しかし、それも束の間のことだった。

 彼女の顔がこわばり、脅威にさいなまれたように眼球が縮んで、遠くを見た。


「留美?」


 そして、恭一を突き放した。


 恭一は、バランスを崩し、しりもちをつく。


 それすら、気づいていないように彼女の視線は上へと向けられる。


「いや!こないで!」


 留美の声が振るえあがる。


「黒い翼の悪魔……悪魔……悪魔がまたきた!!」


 留美は錯乱状態で叫ぶ。


「いやああああああああ!!」


 悲鳴を上げると同時に、留美を中心に炎の渦が巻き起こった。


 恭一は、その巻き起こった風に吹き飛ばされて、近くのビルの壁に激突した。


 全身に痛みが走り、立ち上がることさえも困難でいた。


 どうにか、顔を上げると、炎に包まれた留美がかすかに見えている。

 

 その直ぐ側には園長がぐったりと倒れている姿がある。だが、尚隆の姿はどこにもない。いったいどこへ行ってしまったのだろうか。瑠美の炎に焼かれてしまったのか。


「大丈夫だ」


 すると尚隆の声がすぐ近くでした。恭一が目線だけを送るとたしかに尚隆がいた。いたるところに火傷の跡があるものの口調は比較的元気だ。


「それよりもあれはなんだ?」


 尚隆が空を見上げた。


 恭一は尚隆の視線の先に振り向く。


「こないでっ! いやっ!」


 瑠美の怯えた声がする。


 その視線はもはや恭一たちを見ておらず、空へと注がれた。


 バサッ


 ポタッ


 バサッ


 ポタポタ


 バサ、バサ、バサ、バサ


 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ


 バザバサバサ


 ポタポタポタポタ


 ザッーーー


 突然雨が降り注ぐ。


 ゴロゴロ


 バーン



 稲光と雷の落ちる音とともに、天空から突如として黒い羽をむつ群れが出現した。


 烏のように見えていたそれらは人の形をしてきた。


「きた!  悪魔がきた」


 瑠美が叫ぶ。


「黒い翼の悪魔!?」


 恭一も声を荒くする。



 尚隆は“黒い翼の悪魔”を凝視した。



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