第23話 それは……





 あんなにうるさかった声が、全く聞こえなくなった。



 耳が痛くなるぐらいの静寂に、俺はもう死んだのかと疑問に思う。

 なんせ斧で首を切られるのは、生まれて初めての経験である。

 痛みを感じなくても、そういうものだと言われたら納得するしかない。


 もし死んでいるとしたら、天国に行けたのか地獄に落ちたのか。

 それを確かめるのが怖くて、目を開けられずにいた。



「ま、魔王」



 あれ?

 そう思ったのは、上から震えた声が聞こえて来たからだ。

 それは魔道士の声で、耳に入った途端に俺は反射的に目を開けた。



 あまりに恋しすぎて、幻覚でも見ているのか。

 視界に入った姿が信じられず、俺は何度も目をこする。



 俺に振り上げられた斧は、中途半端な位置で止まっていた。

 戦士がためらったのではなく、その刃が途中で止められたおかげだ。

 刃を素手で掴んでいるのは、見知った姿だった。



 死ぬ寸前まで考えていた、助けを求めていた、魔王がそこには立っていた。




「……これは、一体、どういうことだ?」



 一言一言区切るように、魔王は静かな声で尋ねた。

 その視線の先には、この国の王がいた。

 可哀想なぐらいに青ざめていて、魔王の視線を受け固まっている。



「我の目が確かなら、ここにいるのは勇者だと思うが、何故殺そうとしている?」



 魔王の言葉に人々は驚き、それ以上にこの中で一番俺が驚いていた。

 俺のことを、魔王は勇者だと言った。

 どうしてそのことを知っているのだ。


 瞳の色は変わっているが、それ以外は魔王城にいた時と変わらない姿なのに。



「我は言ったはずだがな、きちんと聞いていなかったのか。勇者が死んだら、戦いを挑むと言った。それなのに、何故殺そうとしているんだ?」



 国王が話にならないと判断したのか、魔王は視線を魔道士に移した。

 ビクリと体を震わせたが、それでもさすが倒そうとしていただけあって、声は震えながらも答えを返す。



「そ、そいつが偽物だから」


「偽物?」


「そ、そうだよ。……見てみろ、この瞳を。こんな真っ赤に染まった目を持つ奴が勇者なわけがないだろ!」



 魔道士は俺の顔に手をかざしながら、魔王に言い訳をするかのように話を続ける。

 きっと魔法はとけていて、俺の瞳は元の赤さに戻っているのだろう。


 これで魔王が知っている俺になった。

 勇者だと知っていたみたいだけど、魔王も裏切られたと思っているのだろか。

 人々に言われた時以上に、そのことが怖かった。



「人間というのは、ここまで愚かなのか。それとも期待しすぎていたのか」


「何だとっ!?」


「お前達は、今まで誰に守ってもらっていたんだ。ここ十何年もの間、魔物の被害は少なくなっていただろ。それが、一体誰のおかげか、本当に分からないのか?」



 誰も何も言えなかった。

 みんな、そこでようやく気がついたらしい。

 誰が、今まで自分達を守っていたのかを。

 魔王に言われて自覚するなんて、なんておかしな話だろう。

 魔王じゃなくても呆れる。


 それにしても、どうして俺が勇者だと分かっているのに、庇うようなことをしてくれるのか。

 ここにタイミングよく現れた理由も、まだ分かっていないのに。


 はてなマークを浮かべていれば、魔王と視線が合う。



「……あ、まお……」



 勇者として会うのは初めてだ。

 そのせいでなんと言えばいいのか迷い、名前を呼ぶことしか出来ない。



「ユウたん」



 そんな俺に、魔王は優しく微笑んだ。

 人々が驚いてざわめくが、それに構っている余裕はない。


 ユウたんと、いつもと変わらずに呼んでくれた。

 それだけで胸が苦しくなって、俺は魔王に手を伸ばす。

 その瞬間、俺の体は魔王の腕の中に移動していた。


 転移魔法を使ったのだと分かっていても、驚いて状況を把握するのが遅れる。

 俺を抱きとめた魔王は、慈しむようにほっぺを撫でてくる。

 それだけで許してもらえたようで、涙が止まらなくなった。



「ユウたん大丈夫だよ。よく頑張ったね」


「ごめっ、なさっ……」


「どうして謝るの?」


「だって、俺っ、勇者で、ずっと騙してっ」



 いくら謝っても謝り足りないことを、俺は仕出かした。

 敵意がなかったと言ったって、ただの言い訳にしか聞こえないだろう。

 魔王にこのまま殺されたとしても、文句の言える立場じゃなかった。


 泣きながら謝っていれば、魔王の顔が近づいてくる。

 おでこにキスでもされるのかと避けることなく待っていると、唇に柔らかい感触があった。



「え、え、え?」


「どうしたの?」


「え、だって、今……」



 俺がおかしいのか。

 完全に今、唇にキスされたのに、魔王は涼しい顔で首を傾げている。

 いや絶対におかしい。

 でもあまりにも向こうが自然なせいで、俺は納得するしか無かった。


 嫌悪感を抱いていない時点で、何かしらの答えが出ているような気がしたが、今はそれを考えている場合じゃない。



 こうしている間にも、魔王の衝撃から抜け出した人々が、魔王に危害を加えようと機会を窺っている。

 愚かな国王が、戦士や魔道士に攻撃するように命令しているのが聞こえた。

 本当にやる気なのだとしたら、馬鹿としか言いようがない。


 その命令が俺に聞こえているのならば、魔王にだって聞かれている。

 不意打ちでも叶わない相手に対して、わざわざ予告して攻撃をしたところで、勝ち目があるわけない。


 ここまで考え無しだとは思わず、俺は本当に守る価値があるのか考えてしまう。

 徐々に嫌な興奮をし出した人々は、魔王と俺に向けて鋭い視線を向けてくる。


 魔王なら大丈夫だろうが、俺はいるせいで傷つくことになったら大変だ。

 そっと近くにあった服を掴めば、魔王がおでこを合わせてくる。



「どうしたの、ユウたん」


「えっと、攻撃するって言っているから。気をつけてほしくて?」



 言いたいことをまとめていなかったから、最後の方は疑問形になった。

 それでも魔王から魔力が湧き出るように増えたので、間違っては無さそうだ。



 今にも攻撃魔法を打とうとしている魔道士に視線を向けることなく、魔王は俺のことだけをまっすぐに見ていた。

 その視線の奥に熱を見つけて、俺は視線がそらせなくなる。



「大丈夫だよユウたん」



 こちらに向けて放たれた魔法は、届く前に消滅した。



「ユウたんのことは我が絶対に守るから」



 魔王が俺を抱きしめていない方の腕を振り下ろしただけで、たったそれだけの動きで国の中でもトップレベルの魔道士の魔法を消し去ったのだ。



「だから安心して少しの間だけ眠っていて。次に目を覚ました時は、城でみんなと会えるから。帰ろう」


「……はい」



 眠り魔法をかけられても抵抗しなかったのは、帰ろうという言葉があったからだ。

 次に目を覚ました時は、魔王の言う通り温かなあの場所に帰っている。


 それだけで安心して、俺は眠りについた。




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