第19話 魔王の気持ち




 ゴソゴソとしていたのは、温かい飲み物を作っていたかららしい。

 どうやら魔王も眠れなかったようで、落ち着こうと考えキッチンに来て飲み物を用意していた時に、タイミング良く俺が現れたということだ。


 魔王も緊張することがあるんだと、少し親近感が湧いた。

 でも評価が元に戻ることは無い。

 少しだけ気まずいものを抱えながら、俺は離れたところにある簡易的な椅子に座った。


 距離の遠さに、魔王が悲しそうな顔をしたのが見えたけど、俺は気付かないふりをした。



「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」



 何も話すことなく遠くを眺めていれば、目の前にカップが置かれる。

 湯気の立っているそれには、ミルクと甘い香りがした。



「ハチミツ入りのミルクだよ。熱いかもしれないから、気をつけて飲んでね」



 せっかく用意してもらったものを飲まないのも悪いので、両手で持って息を吹きかける。

 唇近くで温度を確認しながら飲めば、甘さと温かさがじんわりと体に広がった。



「美味しい、です」


「それは良かった。眠れない時には、これを飲むのが定番でね。バルデマーにも、よく作っていた。あの子、ああ見えて繊細だから」


「そうなんですか」



 俺の正面に腰掛け、一回り以上はあるカップを飲んでる姿は体を丸めているせいか、いつもより小さく感じた。





「ユウたんは怒っている?」



 そのまま静かな空間の中、お互いがカップをすする音しか聞こえなかったのだけど、恐る恐ると言った感じで魔王が口を開いた。



「怒っている? 何にですか?」


「話し合いを勝手に決めて、その結果次第で戦争を起こすって言ったこと」



 そのことに関して怒っているかといえば、答えはノーだ。

 怒りは感じていない。

 心の中を占めているのは、失望と悲しみだけである。


 それを伝えようか考えて、俺は首を振るだけにした。



「怒ってないですよ」



 こうして避けている今の現状では、何の説得力も無い言葉だった。

 でも実際に怒っていないのだから、嘘は言っていない。



「……我も、決して戦争を起こしたいわけじゃない」


「それなら、どうしてあんなことを」



 魔物を集めて焚きつけるように言えば、こうなることは分かっていたはずだ。

 今頃、魔物達は人間への攻撃の準備を進めていて、戦争が始まるのを今か今かと待ち構えているだろう。


 それを防げたはずなのに、魔王はそうしなかった。



「魔物達が不満を溜め込んでるのを感じていたし、実際に隠れて人間を襲っている者もいた。ああでも言わないと、納得しなかったんだ」


「でも、もしも明日話し合いが上手くいかなかったら、戦争は始まります。そうすれば、たくさんの犠牲が出る」



 魔王がどうしたいのか分からない。

 口ぶりでは戦争を起こしたくないように聞こえるけど、話し合いが上手くいくかどうかなんて誰にも予想出来ない。

 駄目になる可能性もあるのに、危険な賭けに出たのか。それはあまりにも無責任すぎる。


 思わず避難するような言葉を口に出してしまい、言いすぎてしまったと止めた。



「そうだね。でも我は、絶対に戦争を起こさない」


「……信用出来ません」



 俺はその言葉を信じたかったけど、信じきることが出来なかった。

 突き放すように視線をそらせば、カップを持っていた手に大きな手が重なる。


 振り払うことは簡単だった。

 でもそれをすれば傷つけると分かっていたから、俺はそのまま手を動かさなかった。

 ただカップの中の液体を見つめ、言葉を待つ。



「それじゃあ約束をしようか」


「約束?」


「そう、絶対に戦争はしない。明日の話し合いが上手くいくようにするっていう約束」



 柔らかな声と共に、するりと指が絡まる。



「破ったらどうするんですか」


「そうだなあ……指でも切ろうか」


「それは駄目ですよ」


「大丈夫、破る気は無いから。それに、これぐらいのことを言っておかないと、信用出来ないでしょ」



 約束の代償に自分の指を使うなんて、魔物の種類によっては切断された部位が再生することもあるらしいけど、魔王はどうなんだろう。

 どちらにしても、大きな覚悟を持っているのは伝わった。

 気がつけば小指と小指が絡められて、そして揺らされる。



「分かりました、約束します」



 魔王がそこまで覚悟を決めたのだから、俺もそれにちゃんと答えなきゃ。

 小指を絡めることに何の意味があるか分からないけど、なんとなく強い拘束を持ったものになった気がした。




「ユウたんは、人間が好き?」



 手が離れたので少しだけ冷めてしまったミルクを飲んでいると、ポツリと聞いてきた。

 その質問の意図を探ろうと、俺は魔王の顔を見る。


 真っ直ぐに向けられた目は、全てを見透かして来そうで、また視線をそらした。



「嫌いじゃありません」



 好きでもないけど。

 俺にとって人間は、守るべき存在だ。


 どんなに向こうから嫌われていても虐げられたとしても、昔からの刷り込みで嫌いになるという選択肢は無かった。


 この答えは正解なのか分からなかったけど、正直に話したのは魔王なら大丈夫だという自信はあったからである。



「我も同じ」


「嫌いじゃないんですか?」



 俺には嫌う理由が無いが、魔王は違う。

 人間のことを憎んでいると思っていた。



「前までは嫌いだったし、憎んでもいた。種族が違うってだけで、魔物は悪だと決めつけられたからね」


「今は違うんですか」


「人間にも良い人と悪い人がいるのを知った。全部を一括りにするのは、やられたことと同じだ。だから見極めようと思う」



 見極めるというのは、明日のことを言っているのだろう。

 話し合いに来る人は誰だか知らないけど、善人であって欲しい。



「我がこうして変わったのは、ユウたんのおかげだよ」


「俺の?」


「そう。ユウたんは否定すると思うけどね。ユウたんが我を変えてくれたんだ」



 魔王の言う通り、俺が何かを変えたとは全く思えなかった。

 出会ってからそこまで長い年月は経ってないし、変えられるほどの何かをした覚えもない。


 でもそう言っているのだから否定するのは違うと考え、何も言わずに残りのミルクを飲み干した。



「ユウたん。明日は頑張ろうね」


「はい。魔王も頑張ってください。一緒にはいられないけど、応援しています」


「ユウたんが応援してくれると思えば、百人力だ。なんでも出来そうだ」



 お互いに笑い合い、俺達は部屋へと戻った。

 魔王と話をしたおかげで落ち着いたのか、ベッドに入った途端、すぐに眠気が襲いかかってきた。

 それに抗うことなく、俺は眠りにつく。



 その夜、なにか夢を見た気がしたけど、どんな夢なのかは忘れてしまった。





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