第2話 ん? あれ?
殺される覚悟を決めたのに、いつまで経っても攻撃が来ない。
もしかして気がついていないだけで、すでに死んだんだろうか。
その時はその時かと、とりあえず様子を確認してみることにした。
少しずつ薄くを開け、目の前にいる魔王を見ようとした俺は、とてつもなく驚く。
魔王はまだそこにいた。
でもその様子は、完全におかしい。
口元に手を当てて、プルプルと震えている姿は、大きな姿に似合わずどこか可愛い? 気がする。
恐ろしさを全く感じられず、俺は目を開けてまじまじと見てしまった。
よく聞いてみれば、何かブツブツと呟いているみたいだ。
「え、可愛い。天使? もしかして空から降ってきたの?」
死にかけたせいで、耳がおかしくなったのかもしれない。
可愛いだの天使だの聞こえてきたけど、魔王が言うわけが無い。
口を開けて呆然としていれば、向こうもこちらをチラチラと見てくる。
「うわー、全部小さい。おててもお口も小さい! どうしよう、触ったら壊れちゃうかな?」
信じたくはないけど、聞き間違いじゃなかったようだ。
思っていた感じと違いすぎて、どうしたらいいか分からなくて戸惑う。
「えー、どうしよう。迷子なのかな。怖がらせちゃうのは駄目だよね。話しかけるのはまずいかな」
話し方が完全に魔王らしくなくて、俺はさっきから混乱しっぱなしだ。
でも敵意を感じないことに、どこか安心している自分がいる。
今まで自分に向けられるのは、負の感情がこもった視線だけだった。
赤い瞳を見るたびに顔をしかめられて、冷たい言葉を吐き捨てられていた。
その時のことを考えれば、今の反応はいいことなんだろうか?
俺は信じきれなかったけど、とりあえず話しかけて見ることにする。
「あ、あにょ」
急ぎすぎて噛んだ。
恥ずかしくて口を押さえると、変な音が聞こえてきた。
音のした方に視線を向ければ、向こうは何故か鼻を押さえて悶えている。
「……て、天使っ……!!」
いや、普通に人間だ。
それも実際は魔王を倒す勇者である。
でも正直に言ったら、さすがにまずいことは分かるので、再チャレンジする。
「あの、俺……」
「僕もいいけど、俺も背伸びしている感じで……いい!」
どうしよう。もしかして変態なのかもしれない。
未だに敵意は無いけど、別の危機を感じて身震いする。
「ね、ねえ」
次のする行動が分からず固まっていれば、逆に向こうから話しかけられた。
「はい?」
一体何を言われるのか。
緊張しながら待っていると、モジモジしながら口を開く。
「君の、お名前はなんて言うんですかっ?」
「名前?」
名前を聞かれると思わず、首を傾げてしまう。
名前、名前か。
産まれた時から勇者としか呼ばれたことなく、俺に名前があることも知らない。
だから教えられる名前なんてなかった。
「俺の名前は……ゆう……です」
勇者だと名乗ろうとして、何とか途中で止める。
危なかった。
あと少しでも言うのが遅かったら、殺されるところだった。
また口を押さえて待っていると、プルプル震えるのがデフォルトになった魔王が、キャピキャピとした感じで足踏みをする。
向こうからすれば軽くしているのだろうけど、まるで地震だ。
体勢を崩して、俺は尻もちをついた。
「ユウ君って言うんだ。名前まで可愛い。ユウ君、ユウ君……いや、ユウたんだね!」
ユウたんって。
気が遠くなりそうになって、遠い目をしていれば、慌てた様子で手を差し伸べてくる。
「大丈夫? びっくりしちゃった?」
指一本でも俺の手よりもずっと大きく、少しでも力加減を間違えれば俺の命なんて簡単に奪えるだろう。
それでも傷つけることは無いだろうと、根拠の無い自信から手を握り返す。
「ありがと、ございます」
「ふくふくおてて。柔らかい。ずっと握っていたい柔らかさ」
本当に、さっきから何なんだろうか。
人差し指を握って立ち上がれば、悶えられてしまった。
こんなにも純粋な好意を向けられたことは無かったから、戸惑いしか感じられない。
気持ち悪い化け物だって言われて、今まで楽しいことも幸せなことも無かった。
倒すべき敵なのに、一番優しくしてもらっている。
魔族は悪い存在だと教えられてきた。
でも今は分からなくなっていた。
本当に悪い存在なら、どうして優しくしてくれるのか。
「どうしたの? ユウたん。何か嫌なことでもあった?」
指を握ったまま、気がつけば俺は泣いていてしまったらしい。
自覚すれば、更に涙が止まらなくなる。
「ユウたん? 大丈夫だよ、大丈夫だから」
自分でも何で泣いているのか分からないのに、なんで全て分かっているかのように慰めてくるんだろう。
掴んでいない指先で頭や頬を撫でられて、くすぐったさに自然と笑ってしまった。
「やっぱり笑った方がいいね。悲しい顔は似合わないよ」
俺が少し笑っただけなのに、とてつもなく嬉しそうにされると、ポカポカと胸が温かくなる。
あんなに恐ろしかったはずの顔が、今は全く怖くない。
むしろ愛嬌を感じられる。キモかわいいみたいなものだろうか。
これまでの人生で感じたことの無い温かさに、俺は指に顔を擦り寄らせた。
「……ありがとう、ございます」
その瞬間、ブシっという音がして俺に生暖かい液体が降り注ぐ。
何かの攻撃かと身構えたのは、視界が真っ赤に染まったからだ。
油断させておいて攻撃する作戦だったのか。
信じようとした自分が馬鹿だったと、絶望しそうになった。
でもすぐに、攻撃じゃないと気づいた。
「わわわー! ごごごごごめーん!!」
俺よりも焦っている魔王は、俺の体をその大きな手ですくい上げた。
「ユウたんが可愛すぎて、鼻血が出ちゃった! 全身真っ赤! ごめん!」
かかったのは、魔王の鼻血だったらしい。
攻撃じゃなかったことは良かったけど、鼻血は鼻血で微妙な気分になる。
魔王が大きいせいで、全身が血で真っ赤だ。
今の俺は、とてつもなく酷い有様になっているだろう。
「ととととととにかくお風呂! お風呂入らなきゃ! 今から連れていくから、ちゃんと掴まっててね!」
ぶわりと体に風を感じる。
魔王が転移魔法を使って、これからお風呂に入れてくれるようだ。
ということは、今から向かう先は魔王城。
まさかの敵の本拠地に、敵自らご招待。
予想外の展開すぎて、俺は引きつった顔をしながら魔王の手を掴むしかなかった。
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