第18話
「長く歩かせてしまってすまなかった。ここなら話を聞かれる事はないだろう」
初老の男がそう言って立ち止まったのは、古びた民家の前だった。
「ここは王都に数ある我々の拠点の一つでね。教団関係者以外には見つけられないように偽装しているんだ」
初老の男はそう言いながら古びた民家の中へと入っていった。それを追うようにアニーも民家へと足を踏み入れる。
そして足を踏み入れた瞬間、アニーは驚きに包まれた。
そこに広がっていたのは外の外観とはまるで違う、別世界のような空間であったからだ。
自分の身長の何倍もある高さの天井、王都の国民全てを収用出来そうなほどの広さの内部に、大理石で作られた内装。
その光景は古びた民家のような外観とは程遠い、まるで大聖堂のような空間であった。
「拠点の多くはレリフによって少し手を加えていてね。万が一魔術師が攻めてきても大丈夫なように扉から先は別の空間に繋がるように作っているんだよ」
そんな事を説明しながら初老の男が聖堂をある程度歩いていくと、そこには内装と同じく大理石で作られた長机が設置されていた。
そして男は長机の一番端に腰かけると、アニーにも着席を促すように合図をする。
アニーはやや躊躇しつつも男の対面の椅子に腰かけた。
「……話の続きを聞かせていただけますか?」
アニーは単刀直入にそう尋ねた。初老の男は長机の上に肘をつく。そしてやや時間を置いた後、初老の男は背もたれに体をあずけ軽く息をついた。
「……魔術師達が作戦を変えて行動を初めるようになってから我々の戦況は徐々に厳しくなっていった。レリフという便利な道具を用いたとしても、やはり魔術師というのは強大な存在であることに変わりはなかった」
男は目を細めながら話を続ける。
「しかし、魔導戦争に敗北してしまえば今まで犠牲になってきた教団の者や協力してくれていた力無き民達に申し訳が立たない。そこで我々の祖先は一つの考えに至った。皆を鼓舞し、戦線を覆し、勝利へと導く存在……『救世主』ともいうべき存在が我々には必要である、と」
そこまで話終えた初老の男は一旦沈黙した。今まで何も言わずに男の話を聞いていたアニーは何ともいえない気持ちになっていた。
学園で教わった魔導戦争に関する内容とはまるで違っていたからだ。
『黒の教団』は王都アルバを支配していた魔術師達を圧倒的な力で叩き伏せ、王都の民を自由へと導いた英雄、というのが学園で教わっていた内容であった。
「その『救世主』ともいえる存在……それがクロウだと、そういう事ですか?」
アニーの質問に男は首を横に振る。
「厳密にいえばクロウだけではない。教団の計画によって作られた『鴉』は一人だけではなかった。あの資料にはいくつか抜けている点がある」
「――どういうことですか?」
「……『救世主』は何も一人だけ居れば良いという訳ではない。多ければ多いほど戦力として価値がある。故に我々の祖先はクロウ以外にもわずかではあったが成功した被験者をいくつか誕生させていたのだよ」
初老の男は俯いた。
祖先が行った事とはいえ、まだ年端もいかない子供達に拷問のような手術を行った事。その咎は血縁である自分にある。そう言いたげな様子だった。
「そしてクロウ……いや『彼等』は我々にとってまさしく『救世主』となってくれた。その力は魔術師と同等、いやそれ以上に強いものだった。そして、クロウを含む被験者は我々を勝利へと導いてくれた。しかし――」
男はそこで言葉を切った。ここから先が男が言っていた『一般人に聞かれたくない内容』なのだろうとアニーは理解した。
「――魔導戦争の終結と同時に彼等の体に異変が起こり始めた。戦争という過酷な環境下で体内に強引に埋め込まれたレリフの力を何度も使用し続けた負荷が体を蝕み始めたのだ。そして数少ない被験者の多くは死亡した。死を免れた者も二人ほどいたが、一人は両足に異常をきたし、一人は意識不明に陥った。そしてクロウは……」
アニーはその続きを聞きたくは無かった。しかし、ここまで踏み込んでしまった以上『聞かない』という選択肢は無くなっていた。
男はアニーを見やり、その表情を伺っているように見えた。そして覚悟が決まっていることを確認すると、重い口を開いた。
「――『壊れてしまった』。度重なる体内のレリフの使用により自分が持っていた本来の人格が完全に破壊され、『鴉』として本能のままに魔術師を狩り尽くす残忍な人格と、何もかも忘れてしまった無垢な少年の人格が共存する、非常に不安定な状態になってしまった」
その言葉にアニーは絶句した。
クロウには何かが欠けている。まるで人ではないような、そういう思考をしている時があったからだ。そしておそらくその背景に過去が関わっているということも。
しかし、アニーは微かに希望を持っていた。
もしクロウの中にある『自分自身』を取り戻すことが出来れば元に戻るのではないか、と。
だが、その微かな希望も男の言葉によって無残に打ち砕かれた。
クロウにはアニーから出会う前から既に『自分自身』など無かったのだ。
過去によって破壊され、既に消滅していたのだから。
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