第12話
クロウが目を覚ますと見慣れた木製の天井が目に入った。
そこは喫茶店兼酒場『オリビア』の二階にある使われていない部屋だった。クロウがオリビアで働き始める際にエドワードが好意で用意してくれた部屋だ。
そのベッドの上にクロウは横たわっていた。
「僕は確か……セレニティ術士学園に行って、それから……」
記憶を辿ろうとした瞬間、クロウの頭に痛みがはしる。そして少しだけだが記憶がフラッシュバックする。
自分が手術台の上に固定され、二人の人間に体を切られる、あの記憶だった。
(思い出したくないものを思い出しちゃったな)
クロウはため息をついてベッドにふたたび横たわった。意味もなく部屋の天井を見つめていると、クロウの顔を覗き込むように無表情の銀髪の少女が視界に入ってきた。
「起きたんだね、クロウ」
アニーは表情が乏しく何を考えているのか分かりづらいところがある。しかしクロウからすれば声の質や動きの端々に感情が見えているのが分かる為、ある程度の理解は出来る。
今はクロウが目覚めた事に喜んでいるようだ。
「クロウ、お腹空いてない?」
アニーのその言葉にクロウのお腹がキュルル、と鳴った。丸一日何も食べていない弊害が今更になって出てきたようだ。
「少し待ってて。用意するから」
アニーはパタパタと部屋の外に出ていった。しばらくするとカレーライスが盛られたお皿を乗せたお盆を持って戻ってくる。
「今日は『まかない』の日だったんだね」
「うん。今日も沢山買っていってくれた」
喫茶店兼酒場であるオリビアでは『まかない』と称した日が何度かあり、その時には普段全く来ない客足が増えるのだ。
特にアニーが作るカレーライス、通称『オリビアカレー』は店の人気商品であり、季節によって採れる野菜を入れたものから本格的なものまで様々なレパートリーがある。
その味に魅了された人々はオリビアカレーが提供される日には開店前から行列を作っており、すぐに完売することも珍しくない。
また本人が幼児体型で見た目も小動物のようで可愛い、というのも理由の一つである。
「それじゃ、いただきます」
クロウはお盆の上のスプーンを手に取ると、アニーの作ったカレーライスを食べ始めた。
「クロウが学園で暴れた後、色々あったんだよ」
アニーは自分の作ったカレーライスを食べるクロウの横顔を満足そうに眺めながら、話を始めた。
クロウが気絶してからすぐに黒の教団の方達が駆けつけ、生徒と教師全員の安全確認の後、重傷者はすぐに病院へ搬送、精神的ショックを受けた生徒にはレリフを用いた沈静化の魔術を掛けて落ち着かせたこと。
その日のうちに破壊された実技棟の修繕作業が開始され、おおよそ半日程で破壊された実技棟は元に戻ったこと。
「あまりにも対応が迅速過ぎて、私としては少し違和感も感じたけどね」
アニーはクロウのベッドに腰掛けながら説明を終えた。
クロウは黒の教団は自分達にとって都合の悪い事態は表沙汰になる前に必ず揉み消す体制があるという事を知っていたが、あえて言わなかった。
黒の教団の威厳を守る為ではない。
教団の行動に不信を抱いたアニーを守る為でもない。
単に面倒事に巻き込まれるのが嫌だったからだ。
「それで?僕が学園で暴れたことはもう王都中に知れ渡っているの?」
クロウとしては王都に自分の危険性が知られていれば、自分はこのオリビアを出ていく決断をしていた。
元々住居に特別なこだわりなど持っていないクロウからすればここを出ることに躊躇いなど微塵もない。オリビア以外でも雨風が凌げるところはいくらでもある。
アニーはクロウの言葉から何となくそういうニュアンスを感じとったようだ。
自身の銀髪をつまんで指先でくるくると回す。言おうか言うまいか悩んでいるようだ。
「それは……そうかもしれない」
「そっか」
クロウはカレーライスを食べ終えると、ベッドから飛び起き何も言わずに部屋の出口へと向かう。
もうここに用はない。クロウは何の感慨もなく出口へ向かっていく。
「――待って」
アニーは無意識にクロウを呼び止めていた。なぜそうしたのか、アニーには分からなかった。
最初にオリビアに居候することになった時、すぐに出ていく事になるかもしれないから気にしないで、とクロウから告げられていた。
それから数年間ほど同じ屋根の下で寝食を共にしただけの相手、居なくなったとしてもアニーには特に何ということはないと思っていた。
ただいざクロウが居なくなるという現実に直面したアニーは戸惑いを感じた。
「……何?」
クロウは振り向かずにいつもの調子で聞き返した。
「あ……ごめんなさい、何でもない……」
「そう。それじゃ、さよなら」
クロウは部屋の外に出ていこうとする。アニーは何とか止めようとするが、言葉が出てこない。
そしてクロウが部屋の外に出ようとした瞬間――
「おいクロウ。お前何勝手に出ていこうとしてやがる」
部屋の外にいたエドワードがクロウを捕まえて強制的に部屋へと連れ戻した。
「――座れ」
クロウは部屋の中にあった木製の椅子へと投げられるように座らされる。アニーはとっさにクロウを庇おうとする。
「動くなアニー。これは俺達の問題だ」
エドワードの今までに見たことの無い様子にたじろいだアニーはその場で硬直する。
「良い子だアニー。それでいい」
エドワードはクロウの前に仁王立ちすると、クロウを上から見下ろす。ただならぬ気配をクロウは感じた。アニーへの届け物を忘れ、学園で暴れたという事にエドワードは憤慨しているのだ、とクロウは悟った。
「……クロウ」
そしてエドワードは表情を変えずに告げた。
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