貯金箱(八木)

貯金箱1

   

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■先輩と後輩と、貯金箱■</font>


 ドアの前で立ち尽くす、というのは、案外にも、手軽に絶望を表現してくれるものである。ここ最近、あいつは部屋から出てこない。

まあ、それはそうである。ぼくのことなど、今のあいつの中には、なかったことになっているのだし、ぼくが関わる理由もないのだから。本当は、こうして今、あいつの部屋の前に立つ意味もない。



いつからそうなったかは、はっきりしていて、だからぼくも、わざわざ確かめるようなことはしない。寂しいだとかは、思わない。他人だからだ。

 人間という、おおまかには同じ構造の内だとしても、回路や、優先するものは違うから。

向こうに合わせてもらおうとも、こちらが合わせたいとも、思わない。それが、冷たいとか、暖かいとかも思わない。



 こんな自分と、相手を同じ括りにする方が、相手を傷付けると、ぼくみたいなやつは、思ってしまうのだ。

まあ、ざっくり言えば、面倒なんだけどさ。



――で、そんな語りはどうでもいいだろうが、なぜ(自宅二階の)ドアの前でぼくが立ち尽くしているか。

『やほー! 元気? ご機嫌がいかがでよろしいですか。あ、無視? でな、まつり先輩に用事があるんだけど』


――という、ぐいぐい迫る勢いの電話が、ぼくの携帯にかかって来たからだ。電話番号は、極力伏せてあるし、ってことは知り合いからだろうと適当に思って出てみたのだけど。


『おれ、誰かわかる? なあ、なあ、無視? なあ、冷たいな相変わらず』


……全然わかりません。

名前を見ても、全くピンと来ない。



「……えーっと、その、同じ、クラス、の人?」


携帯に入っている番号のおおよそが、同じ高校の人たちに、半ば押し付けられるようにして交換に参加させられたときのものなのだ。 しかし大半からかかって来ない。これからもそうだろう。果たして、意義はあるのだろうかと、ちょっと考えてしまう。なにかコンプリートみたいなものか。

『そうそう、高校、同じクラスの八木 錦(はちぎにしき)』


「……そうなんだ。ごめん、名前覚えるの、苦手なんだ。で…… ハンナマに用なのか?ハンナマなら、ずいぶん前に、死んだ」



彼は、半熟の目玉焼きみたいな毛並みだった。白と、黄みがかった毛のハムスター。

餌を手渡しするとめちゃくちゃ怒ってケージを噛み削り、盛大に跳び跳ねるので、食料は、箱に丁寧に納めていた記憶がある。だが、めちゃくちゃ可愛かった。

 狂暴な生き物が好きなのだろうか。いや、まさか。そんなわけは。



『……いや、お前が昔飼ってた、やたらと荒くれたハムスターじゃなくてさ、っていうか、ハンナマに用事ねぇよ……おれのはなし聞いてた?』



「あ、うん……おれおれ、おれだよーグヘヘヘ、ってところまでは」


『そんな安っぽく喋ってないけど、まあいいや。まつり先輩って』


なんで先輩って呼ばれてんだろう。


「ん、ぼくは、お前が誰か……ああ、さっき聞いたか。まつり先輩がなんだって?」


「……あのなあ。まつり先輩と、連絡取れないかな。ちょっと、助っ人頼みたいんだけど」


「要件を聞いたら考える」


 なんでこいつはあいつを知っていて、先輩なんて呼んでいるかと考えて、確か、一度、あいつに世話になったんだったと聞いたはず。


 うちの高校に、あいつが来たときに、知り合った、らしい。来た、とは転校生的な意味ではなく、学校へちょっと用事をしにいったらしいが。ああ、そうか、その方面の知り合い?

     1


さてさて本編である。

事情を話してくれた彼によると『事件が発生したぁっ!』らしかった。なんだそりゃ、と、聞くだけ聞いてみたところ、佳ノ宮家のおじいさまで、設立者、そして旧校長(そうだったんだ……)の、まつりが言うところの、おじいさまの像(重たかったらしい)が、ある日パカッと割れて発見されたんだという。それは、校長室にあったらしい。

誰がやったか、弁償はどうなるかなどで、密かに何人かがもめている様子。


 ちょっとその像に興味が沸いてしまったぼくは、うっかり『なんとかしてみる』なんて言ってしまった。あーあ。さて、密室を開けさせるにはどんなトリックを使えばいいんだろう?


二階にも冷蔵庫、バストイレなど設置という多機能のため、降りてくる必要はあんまりないが…………

途方にくれてドアにもたれかかっていたら、急に後ろから圧力がかかり、ぼくは床に転がった。


「うわ」


ドアをあけた本人が、ネグリジェ(下に違うパジャマのズボンもはいているが、つっこみは無しだ)に、ニットの短い上着みたいなのをかけた感じの服装でぼんやり出てきた。


しばらく、きょとーん。と『おお、人がいた』という反応を見せたまつりだったが、再び『なんでこいつ寝てんの?』という視線でぼくを観察し、何に合点がいったか知らないが、蹴りあげようとしてきたので、あわてて止める。


「まて、まて、早まるなっ、落ち着け! 話し合おう!」


 すると、その台詞が気にくわなかったのか、とたんにどうでもよくなったのか、足をもとの位置に戻し、ぼそっと『関わり不要……』と呟いて、階下へ降りていく。なんだか、ちょっと楽しそうだ。無表情だけど。


置いていかれたと気づいて、ぼくもあわてて階段を降りる。台所から音がしていた。とんとんとんとんとん。壁からひょこっと顔を出して覗いてみると、分厚いなにかの肉が、どんどんぐちゃぐちゃになっていくところだった。



ちなみに、切ってる本人はすっごい笑顔で、鍋にお湯を沸かしたり、肉の血の部分を削いだりしている。もう一度言うが、すっごい笑顔だ。骨をぽーいっ、と投げて、ふんふふーんと、なにかの歌を歌ったり、食器を出したり、鍋の火加減を見ている。


――うわあ……機嫌悪っ。頼みごとしづらい。


「あ、あ、あの――」


とりあえず声を出してみる。しばらく返事がなく、聞こえていないかなと思っていたら、ふいにこちらを向いた。そして、何かを察知して、混乱し出す。


今になって、目をそらしていた『状況』を直視したようだった。


「……えっと。えっと。えっと……えーっと、待って、待って……」


誰だっけ、と、困った顔で、考えてから、まつりはようやく何か思い出したらしく、あわてて二階(ちなみに、ぼくが部屋に入ったことはほとんどない)に帰り、数分後に、その辺のカーディガンを着て、ブラウスと長いジーンズ姿で戻ってきた。


手にはどこかのアルバムから抜いたような、写真が数枚。それを差し出された。ぼくはどこにもいない。

あのお屋敷の人たちだろう。わーい、せっかくだから、顔を覚えておこうっと。しばらく眺めてから、ぼくをじっと見ているまつりに説明する。


「ぼくは、映ってないんだ。どこにも。だけど、きみの家の近くに住んでいたんだよ」



そう言って、写真を返すと、何かが繋がったのか、はっとした(というか『あっ』というような)顔をして、ぼくをじっと見つめた。


「……よく転んでた、間抜けた少年か」


──いやな覚えられ方だった。


 佳ノ宮まつりは、ぼくの同居人で、しかしそれだけで。この家は、ただの隠れ家で、ぼくらはなんというか、そこで、暗黙の協定をむすんで暮らしているだけ、みたいな感じだ。


 昔あった悲しいなにかの後遺症で、自分以外の人間を、ときどき忘れてしまうそいつは、とうとう、ぼくも忘れてしまっている。


 

 最近、引き金には充分な、つらいことがあったせいでもあるだろうが、しばらく、ぼくが用事で外に出ていたこともあって、あいつがぼくを思い出してくれる期間が止まっていたのも大きい。常に、頭に『更新』し続けなければならないのだ。


 自分を忘れられて、ぼく自身が悲しくない、などと言えば嘘になるが、しかしどちらかというと、相手が、初対面的な心情の中で、ぼくを不審者と認識するのか、そもそも人間として見てくれるのかという半ば絶望的な、曖昧な、不安が大きい。こういうときは、いつもそうだ。



 たびたび、面接みたいな気分になってしまう。ぼくは、何も知らないあいつから見ると、まず、どう映るんだろう?



佳ノ宮まつりの記憶が欠けていくと、相手のことを知ろうとする心理がやけに不安を押し退けるように働いているのだろうか。喚いたり泣いたりはしないが、人見知り、の積極的バージョンという感じになる。こんな感じ。


「……美味しい? 鳥肉好き?」


ただいま、ぼくは、さっきからまつりが作ってくれていた、やたらとミートボール?(でいいんだろうか)

みたいなのが入ったスープの器を差し出されたので、椅子に座り、素直に飲んでいるところだ。


ぼくがうろちょろしていると、考えごとの邪魔だったのかもしれないが、さっき、味見を頼まれたのである。


――で、包丁はとりあえず、右手からおろしてくれ。ぼんやりしてたら、いろいろ切るぞ。

まつりは興味深そうに、まるで拾ってきた猫に餌を与えるみたいに、ぼくを眺めている。


「うん、美味しいよ」


ちょうどいい塩加減で、胡椒だけは、ちょっと多め。いつも通り美味しかった。が……切り出せないぞ。


「わあい、嬉しいなー……ふふふ」


まつりは、机に顎を乗せるようにして、じっとこちらを観察していた。思い出せた範囲の記憶に引きずられるように、ちょっと言動が幼くなるらしく、極端な態度になる。しかしだいぶん慣れた。


人間味がある、という意味なら、今みたいな方だろうけれど、ぼくは人間味があまり理解出来ないので、やっぱり、いつもの、今までの方が、すきだ。


「あっ……鳥は、好き?」


鳥肉(?)を食べるぼくに、どういう意図で聞いたのかと一瞬思ったが、きっと特に考えていないのだろう。傷付けたいとか、嫌みを言いたいという心理は、今のタイプには無い発想だ。



「好きじゃないよ。あ、食えるなら好きかな」


あっさりした答えに、うー、と数秒何かに唸っていたが、切り替えが早いのは同じだ。すぐに、違う質問をした。


「好きなものは?」


「雑草、花、木、石、空……みたいな、外にあったやつを覚えて、帰ってから図鑑で全部、いろいろ見るのが楽しいんだ」


まだまだ、いろいろなものの名前や、種類を覚えたい。ぼくは世間を、外の世界をまだ何も知らないのだ。


「ふうん……変わってるなあ」


言いながら、ぼくの斜め前の椅子をひいて座り、スープを入れて、がっつく。


上品に、とすごくうるさく育てられていた、と聞いたことがあるが、今は一気に、ぐいぐい飲み干して、あまり行儀が良いとは言えない感じだ。口を腕で拭っている。


それから、にっこり笑ったまま皿を一枚落として叩き割り、欠片をほうきではいて、小さくためいきをついていた。皿一枚なら破壊衝動は少ない方だろう。たぶん。なぜ皿で、どうしてそれを割って笑っているかなんてぼくが知るわけがない。


「ごちそうさまでした」


表情を変えずに、ぼくもゆっくりスープを飲み干すと、スープを入れていた皿を重ねて流しに置き、欠片を拾い集めたりしているまつりに、ようやく声をかけた。

まず最初に切り出すのになんて言ったのかは、大したことじゃないので大幅に割愛。


「──その……なんていうか、そいつが哀れでさ」



「人のために動く、なんてタイプじゃないんじゃない? きみは」


じとーっと、ぼくを怪しむように見られてしまった。バレている。せっかくの好い人っぽい演技を早くも見破られた。

確かにその通りなんだが、どこを見てわかるんだろう。



「……いやさ、割れたのは、お前のいう、おじいさまに当たる人の像なんだと。どんな風に割れたかは、あいつが興奮してて聞き取れなかったけど。ぼくは、すっごく見てみたい。だから、行きたいんだけどさ、ぼくだけが行くわけにはいかないというか……在校生だけど……」



 正直に言えば、休日にわざわざクラスメイトになんか会いたくない。『依頼』っぽさがあれば、他人行儀にしていられるし、いざとなればこいつを盾に出来る。こいつは第三者にモテるのだ。


脳内で、黒い計算をするぼくだった。算数は出来ないがこういう計算なら考える。ぼくだけ来たらおそらく八木錦がうるさくなるだけだし。うるさいのは、勘弁だ。



「まあ、こちらの、おじいさまの像なんかのせいで、迷惑がかかっているというなら、行かないわけにもいかないか……」


おじいさまの像を『なんか』と忌々しそうに言うと、まつりは納得するように頷いて、ぼくを見た。やったあ。


 自分と身内が関わっていた事件、それからその辺りの物事の後処理。それが佳ノ宮まつりが責任を感じ、仕事としているところだ。これがその一環になるかはぼくの知るところじゃないが、あのお屋敷が権力を持っていた時代の名残は、少しでも無い方がいいのだろう。


「じゃあ、適当に出かける準備してきてくれ。ぼくは電話をかける」     2


 早速、気がすすまないが、『いいってさ』と連絡した。すると途端に、向こう側が、騒ぎ始めた。うるさいなあ。


――よし、やったーわーい! ありがとういいやつだなあお前、なあまつり先輩って何が好きだと思う? ついでに買って来よっかなー。なあ聞いてる? などを、はいはい。で片付けて適当に電話を切る。あいつが好きなものなんて、知るか。



 学校に着くと、まつりは辺りをきょろきょろ見渡していた。基本的には無意味な友人を作らないタイプみたいなので、不安だとか、寂しいとか、そんなのではないだろうが。



 校舎をざっと説明しよう。コンクリートの、やや寂れた四角い校舎は4階建てと3階建てだ。一、二年の棟と三年生の棟はそれぞれが、その左右で別れている。



 周りに有名なデザイナーさんが手掛けた小さな庭園があったり、謎の石像やら、泉(噴水?)っぽいのやら、用途不明の石橋があったりするが、校舎内に関しては、どこにでもあるような、タイル張りの床、貼り紙だらけの壁である。


 家から歩いて15分くらいかかるその学校は、公立の進学校で、授業は、一年生のときに、教科書を要点でだいたい終わらせるような感じで、二年生からはわりと選択科目が多く、補習も試験も多い。


とるべき単位数の授業は、最初の方に出来る限り詰めまくっているぼくは、今日はほとんど休みだったのだが、八木などは授業があったらしい。

 とりあえず依頼者が見つからないので、校舎の隣に、フェンスで囲われたグラウンドを、なんとなく見ていたら、坊主頭の、前歯が特徴的な少年が、ぼくらを見つけて走り寄ってきた。

ややよれよれのカッターシャツが、制服のベルトから中途半端にはみ出している。


彼が八木錦だろうか。

どうしよう。本気で見覚えがない。


「先輩先輩! お久しっす」


 まつりに嬉しげに手を振っていたが、まつりは不思議そうに彼を観察して、すぐに飽きたのか、ふいと校舎に体を向けた。ふらりと校舎の中に入ろうとするので、あわてて止める。


「許可をもらうか、在校生と行かないと、いけないんじゃないか?」


「……そうだった」


「まつり先輩、なにが好きかわかんなかったんで、これ、かぼちゃプリン。おれが好きなやつです!」


彼はまつりに、プラスチックのスプーンと、市販の、安くて大きいかぼちゃプリンを、買い物袋ごと押し付けた。まつりはきょとんと彼を見て、やっぱり不思議そうにしながらも、とりあえず受け取って礼をいう。


「ありがとう。あなたが、えっと……八木くん?」


「はい。先輩に助けていただき、彼、夏々都くんにも助けていただいて、その……二人にはなんといいますか。あっ、えっと……いや、食べ物、何が好きですか?」


助けた? そんなこと、あったかな。ぼくはピンと来ない。照れたように、はにかむ彼を放って、ぼくは先に歩き出す。

まつりは、どこか困ったように、彼に答える。


「丸焼き……」


それはまるっきり愛嬌のない言い方だった。

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