第43話 貧民街(11)

「意味がない……か。そりゃあ、その通りだろうさ。けれども、それを何とか世論を焚き付けていく役目なのが、新聞記者の役目じゃないのかね?」

「そんな役目なのは、旧文明の話だよ。今は、世論よりも管理者が大事だという判断が非常に重い。よって、世論のためよりも管理者の機嫌を損ねないようにする記事を執筆しなくてはならない。……面倒臭い世の中ではあるが、致し方ないことではある。一人の力は、あまりにも弱いんだよ」

「……そう言われたら、アタシは何も言えないな」


 ティアは首を横に振って、水を一口呷る。


「グループについては、疑問を解消してくれたかな?」


 ティアの確認に、アンバーは頷いた。


「グループの問題は、色々とあるようだね。それについては、記事に出来るかどうかを吟味しておくとしよう。そして、指摘出来るようなら指摘する。それが出来るであるならば、の話ではあるが」

「……あんまり新聞を見ないから申し訳ないんだけれど、貧民街の記事って書けるのか?」

「セブンス新聞社は何も新聞だけ出している訳ではないのでね。ゴシップ誌も出しているのさ。新聞と比べたら敷居は下がるけれど、その分ファンタジーな記事も書けるって訳だ。尤も、この記事も上の世界で起きていることだと勝手に書き換えてしまうけれどな」

「……それってオーケーなのか?」

「逆に考えろ。貧民街の状況をそのまま書くのは悪いことではないが、管理者に見つかったらお終いだ。それを新聞記事で堂々と発表するのか? 最低限のオブラートも必要って訳だよ。そうしないと、色々面倒だ。俺の首が吹っ飛ぶ、物理的にな」

「……新聞記者も大変だね。こっちにゃそういうものがないから、古新聞ぐらいでしか見る機会がないけれど。そもそも文字を読める人間も少ないしな」


 シェルターの識字率の問題は、そのシェルターごとに大きく異なる。第一シェルターは管理本部があるためか高い識字率を誇っており、そこに追随する形で第七シェルターの識字率は高い数値をキープしている。概ね八十パーセント以上が、管理者が公表する数値だ。

 しかし、それは貧民街を除外した数値である。貧民街に住んでいる人間は、元々住んでいる人間に至っては文字を勉強する時間があまりにも惜しい。何らかの事情で貧民街にやって来た人間は、上の世界では地位がそれなりに高いこともあるためか識字率は高いために、識字率の差が生じている。文字を理解出来れば、貧民街でも頭脳労働に就くことが出来るために、文字を勉強した方が圧倒的にメリットが大きいのは、誰もが知っていることではない。


「闇を暴く仕事なんて言われることもあるが、そんなのはもう古い。とはいえ、権力者に尻尾を振るのもつまらない。だからこうやって活動している訳だ……、何とか上手く立ち回っているが、死なないことを祈るしかないね」

「縁起でもない。……取り敢えず、何処の世界も大変だってことだね。それでも、ここよりは楽だと思うけれど。ここ、扉が閉まっているから良いけれど、上の世界の出入口よりも消毒が簡単になっているからな。外に出るにもマスクがないといけないけれど、そんなものは高級品だし……」

「でも、どうしても外に出ないといけない時はあるんじゃないか? 他の出入口はないという認識だったけれど」

「……それだったら、簡単だよ。貧民街から上の世界へは色々と地下道が繋がっているんだ。だから、そこを通れば色んなところへ行きたい放題さ。……まぁ、そこへ行くための服がないけれどね。大方、ゴミ捨て場から金になりそうなものを漁ることぐらいしか使っていないけれど」


 つまり、貧民街の人間は自由に上の世界へ行き来することが出来る――ティアはそれを言っていた。

 しかし、そうなると問題が浮上する――殺人鬼『ファントム』に該当する容疑者の数が莫大な数になってしまう、ということだ。


「……どうした? 顔色が悪いようだが。もしかして、何か不味いことでも言ってしまったか」


 ティアの言葉に、アンバーはここにやって来た理由について、顛末を語り出す。

 昨今、上の世界では『ファントム』と呼ばれる通り魔が出没しており、何人も被害者が出ているということ。

 事件現場の傍にある隠し階段を通ったら、貧民街に到達したこと。

 長老に話をして、捜査することを認めてもらったこと。


「……ふん、成程ね。つまりアタシ達貧民街の人間は、差し詰め殺人鬼の容疑者って訳だ」

「……済まない。騙すつもりはなかったのだが」


 アンバーが謝罪すると、ティアは首を横に振る。


「いいや、別に。……寧ろ、慣れちまっているよ。こうやって人に駄目なレッテルを貼られているのはさ……。本当は、やり返したいつもりもあるんだけれど、やり返したら同じところに落ちちゃうような感じがするだろ。だからあんまり言いたくないんだよ」

「……そうか。その性格は大事にした方が良いだろうな」


 アンバーも言っている通りだ――ユウトはそう思った。

 上の世界では、正直に生きている人間程馬鹿を見ることが多い。騙すのも生きる上では大事なことだ、と考える人も居るのかもしれないが、しかしながら、それをそう思ったところで案外意味がなかったりする。結局のところ、人を見る能力が高ければ高い程、そして場数を踏んでいる人間であればある程、生きていくことが容易になっていく。


「……あなたは、優しいですね」


 そして、それはルサルカも思っていることだったようだ。ルサルカがぽつりと呟いたその言葉は、アンバーもユウトもマナも思っていることだったが、しかし誰も声に出すことはなかった。

 

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