第38話 貧民街(6)

 グループが居る場所は、市場の直ぐ近くだった。市場と言っても上の世界のそれとは全く雰囲気が異なり、雑多な雰囲気がゴチャゴチャになっており、纏まっている様子が見られない。上の世界の市場は未だ何処に食べ物が売っていて何処に武器が売っていて、という区別がされていたが、この場所にある市場は食べ物屋が大半を占めていて、武器防具の店はあまり客が来ない端っこに集中している。これも顧客層の問題なのかもしれない。


「……うわぁ、何かジャンクな食べ物ばかりだな」


 見てみると、肉を焼いただけの食べ物だとか、麺を炒めただけの食べ物だとか――味付けはしているが――豪快に作っている食べ物ばかりが並んでいる。そして値段を見ると上の世界のそれと比べると非常に安い。きっと上の世界で貧しい暮らしをしている人間が、ここにやって来たとしたらそれなりに生活水準を引き上げることが出来るかもしれない――ユウトはそう思っていた。


「美味しそうには見えるだろう? ただ、こういう食べ物を食べられると思う人と食べられない人ってなかなかどうして出てくるのかは分からないけれど……、要するに人の価値観の違いというものだよな。……まぁ、意外と美味しいものだよ、ジャンク感は拭えないがね」


 アンバーはそう言いながら、市場をそそくさと歩いて行く。普通、市場に来る人は大抵何かを購入する人が殆どだと言われており、ウインドウショッピングをするのは少数派であると言われている。であるならば、何か買わない人間というのが珍しいと思われるのは自然であり、さらに何とか商品を買ってもらおうと画策する人間も出てくる。

 相手も商売をしているのだ――商売をしているということは、生活をしているということである。ハンターは遺物を遺跡から探して収集しているが、商人は自分で作ったり入荷した物品を相手に売ることでそれを利益としている――やり方は違っていても、商売としてのメカニズムは変わらない。


「……取り敢えず、後で何か買ってあげようか。ええと――」

「アンナ。名前ぐらい覚えて」


 ユウトは叱責されて、少し狼狽える。


「あ、あぁ……済まないな」

「ユウト。少しだけ、人の名前を覚えた方が良いのではないですか?」


 ルサルカの言葉に、ユウトはばつの悪そうな表情を浮かべる。


「……ルサルカ、最近きちんと喋るようになってくれたと思ったら、結構突き刺さるコメントするんだよなぁ。いや、別に悪いこととは言わないし、喋ってくれるようになったのは全然良いことではあるんだけれどさ。もっと、世間話が出来るようになれば良いんだけれど……」

「駄目駄目、ルカちゃんにそんなこと望んじゃ。ルカちゃんは色々と学ばないといけないことがあるんでしょう。だって、聞いた話だとアレなんでしょう? あの――」

「……マナ。目の前に居るのは誰だ? 新聞記者だろ」


 ユウトの言葉を聞いて、アンバーは表情を歪ませる。明らかに不満な態度を取っているようだった。


「……ユウト、だったか? 安心しろ、一応俺はちゃんと分別はつけているつもりだぜ。俺の親友だからな、マナは。そしてユウト、お前はマナの知り合い。そんな人間の個人情報をべらべらと新聞に書く程ネタに飢えちゃいねえよ」

「まぁ、彼は結構口が堅いから。……新聞記者としてはどうかと思うけれど」

「新聞記者としての品位を問われても困るな」


 アンバーは少しだけ表情を崩すと、再び歩き始める。


「……さて、急がないと逃げちまうぜ」

「何が?」

「ネタだよ、ネタ。ネタは新鮮であればある程良い。とはいえ、ここを知っている記者は少ないし、別に奪われることもないんだけれどさ」

「そう思っているなら別に良いじゃないか……。ルサルカは疲れていないか?」

「疲れてはいません……。けれど、美味しそうな香りがしますよね」

「美味しそうな香り……、そりゃあそれぐらいはするさ。ここは市場なんだからな。あぁ、あそこで売られているのはマキヤソースで炒めたゴイ貝だな」

「ゴイ貝?」


 鉄板で炒められているそれは、蜷局を巻いた貝殻ごと焼かれていた。ある程度火を通すと、閉められている蓋からゆっくりと中身が出てきて、それを抜き取ってからはボトルに入っているマキヤソースをかける。そしてそのまま炒めると料理の出来上がり、といった感じだった。マキヤソースが鉄板にかけられると、焦げる香りがしてまた香ばしい。


「……ユウト、マキヤソースとは一体何ですか?」

「マキヤソースというのは……何だっけ? 昔からある調味料だよな。何か豆を使っているとか香辛料を使っているとか聞いたことがあるけれど、詳しい話は知らないんだよな……」

「第一シェルターに工場があるけれど、レシピは明らかになっていないからね。工場で働く人ですらレシピは知れ渡っていないらしいわよ。知っているのは取締役クラスの数名だけ、とか」

「へぇ……、美味しそうです! ねえ、ユウト。買ってくれませんか」

「いや、自分で買えよ……と言いたいところだが、」


 ユウトは深い溜息を吐いた後、財布を取り出す。


「――そういや、ルサルカはこないだ防具を買ったばかりだからお金がないんだったな。じゃあ、これぐらい出してやるよ」

「うわっ、珍しい……。アンタ、私との食事でお金なんて出したことないじゃない!」

「マナ。そりゃあお前は稼いでいるからな。ルサルカは未だお金を稼いでいないから。……正確にはアネモネでメイドをしているけれどさ、あれは結局マスターの裁量で給料が決まるからな……」


 そうじゃなければこないだのように二日働いただけで金貨十枚など配る訳がない。

 ユウトは鉄板の向かいに居る女性に声をかける。


「あの、ゴイ貝の炒めを一人前下さい」

「一人前で良いのかい?」


 女性は柔和な笑みを浮かべたまま、営業トークを始める。

 どうやら女性は全員分のゴイ貝を買わせようとしているようだった。


「今はる……ルカしかお腹が空いていないので。また買いに行くから、駄目かな?」

「駄目とは言わないさ。一人前でも買ってくれるなら、それで立派なお客さんだよ。……じゃあ、ちょいと待っていてね」


 そう言って、炒めていたゴイ貝を空の透明な容器に入れていく。五つ入れた段階で蓋を閉めると、それをユウトに手渡した。


「はい、銅貨二枚で良いよ!」

「銅貨二枚……! 安過ぎないか。まぁ、良いけれど。はい」


 銅貨二枚を財布から取り出したユウトは、そのまま女性に手渡した。


「はい、まいどあり!」


 そしてユウトはルサルカにその容器を手渡す。


「あ、ありがとうございます……!」

「良いよ、別に。……こういうもの、食べるの初めてだろ? 熱いうちに食べなよ」


 ユウトの言葉を聞いて、ルサルカは容器の蓋を開けた。

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