第37話 貧民街(5)

「やぁ、そこで何をしているのかな?」


 アンバーは腰を低くして、優しい口調で語りかけた。これは他人からいきなり声をかけられて、まともに反応出来る人間の方が少なく、寧ろ不審者だと思われてしまうことを恐れてのことだった。


「……何?」


 少女は顔を上げると、ぼそぼそと呟くように答える。


「今、誰と話していたのかな? 俺……いや、僕達にも教えてくれないかな?」


 いきなりそれを突っ込んで、何が帰ってくるか分かったものではない――ユウトはアンバーの言葉にそんなことを考えたが、しかしながらそれをするのが最短ルートであったのもまた事実だ。

 少女はその言葉に一瞬顔を顰めたが、直ぐに態度を変える。


「……やっぱり、あなた達にも見えないのね……。私にしか見えない、私だけの存在なのだわ」

「えーと、話が見えてこないけれど……。つまり、そこにはもう一人誰か居るのかい?」

「ジョージって言うのよ。いつも仲良く遊んでいるの」


 少女の言葉を聞いて、アンバーはメモに書き留める。


「ジョージ……ね。うんうん、じゃあ、君はそのジョージ君とは何処で出会ったのかな?」

「この貧民街の入り口だよ。入り口で泣いているところを見つけたの。私も大変だったけれど、一緒に遊ぼう、って言って。それからずっと友達。けれど、皆はジョージを見つけていないみたいなの」


 見つけていない、というよりはそもそも視界に少女以外の存在が見受けられない、というのが正解だろう。

 いずれにせよ、彼女のことをもう少し詳しく調査する必要がある――アンバーはそう考えていた。


「ジョージ君とは、いつもどんな遊びをしているんだい? 例えば、今日は――」

「お絵かき!」


 少女の足下を見ると、似顔絵のような――お世辞にもクオリティは高いとは言えない。図形で構成された顔らしきものだ――何かが幾つか描かれている。


「これを全て君が? それともジョージ君も?」

「私だけだよ。ジョージは絵を描くことが出来ないから」

「絵を描くことが出来ない?」

「うん。何かは知らないけれど、遊ぶ時はいつも私の一人遊びをただ見ているだけなの。それについてアドバイスをしたりコメントをしたり……。でも、一人で居るよりは全然楽しいわ」

「……理屈が全然見えてこないけれど、つまりジョージ君は行動をしない、と?」

「だから言っているじゃない。ジョージは、コメントをするだけだ……って」


 少女の言葉は、どうにも理解し難いものがあった。幾ら友達が居るからといって、その友達と遊ぶのに友達は何も手を出さない――というのは少々滑稽である。

 しかしながら、イマジナリーフレンドという言葉もある。つまりそれは、自分の脳内で作り上げた友達のことを言って、時折それは現実世界にも侵食する。それがどの状態に起きるかは定かではないものの、やはり何かしらの問題が生じた結果生まれるというのは当然だろうし、仮に現実が順風満帆なものであったとするならば、イマジナリーフレンドは存在しないだろう。


「……彼のことをもっと詳しく知りたいな。君の家は何処かな?」

「私……、家というものを持っていないの。グループ、に所属しているから」

「グループ?」


 ユウトの言葉に、アンバーは補足する。


「……貧民街じゃ、上とは比べものにならないぐらい生活するのが厳しい。それは人が増えれば増える程、当然のことだ。子だくさんの家族にもなると、末端の子供を切り捨てる傾向にあると言われている。当然と言えば当然だが、人が増えれば増える程、食い扶持が増える訳だからな。……でも、それをそのまま殺す訳にもいかない。だから最後の温情として、あくまでも捨てるという形を取る。ただ、それだと捨てられた側が生きていけないから、捨てられた者同士でファミリーを構成することがある。それがグループだ」

「補足説明どーも」


 ユウトの理解を確認してから、アンバーは再度少女に問いかける。


「グループ、か。確かに聞いたことはあるよ。自助或いは共助を目的とした組織だろう? 同じぐらいの年代を集めたり、敢えて年の離れた子供だらけを集めたり……、そのコンセプトはグループによって違うと聞いたことがある。そのグループに行っても良いのかい?」

「多分良いと……思う。リーダーは、その辺りちゃんとしているから。私とジョージの関係にも、あまり首を突っ込んでくれなくて済むから」


 つまり、少女はジョージが他人には認識出来ない存在であるととうに理解していたし、認識していた――ということになる。それは当然と言えば当然なのだが、意外とそこを認識出来ていないケースがある。そしてそれからトラブルに発展することも半ば珍しくない。


「それじゃあ、そこに案内してくれるかな? 勿論、報酬は出すよ」

「報酬……?」


 言葉の意味を理解していないようなので、アンバーは少女に補足する。


「ご褒美、ってことさ。……さぁ、案内してくれないか。ええと、名前は」

「アンナ」

「アンナか、良い名前だ。それじゃあ、宜しく頼むよ、アンナ」


 その言葉にアンナは頷くと、横を向いて、


「じゃあ、行こうか。ジョージ」


 立ち上がるとそのまますたすたと何処かへ歩いて行った。

 それを見たユウト達も、少女について行くのだった。

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