第3話

 剛士は梨蔵の誘いに応じることにした。

 しかし、家に戻った頃には随分と頭が冷えてきて、なんだか変な話だなと思えてきた。

 気になってネットで調べてみると、すぐに似たような事例が見つかった。カフェで会う、自己変革について語る、そしてカリスマの紹介……、これらは典型的なネットワークビジネスの勧誘手順だったのだ。

 何が世界を変える、だ。馬鹿馬鹿しい。情弱な下っ端から搾取するだけではないか。

 最初は呆れ果て、それから梨蔵に対して強い怒りが湧いてきた。

 あの男は、俺のことを何も知らない子羊として、しゃぶりつくそうとしていたに違いない。

 それでも約束の日、剛士は指定された場所に向かうことにした。

 タネさえわかってしまえば、恐れることはなかったし、こちらを鴨にしようとする梨蔵に一泡吹かせてやろうと思ったからだ。しかし、それ以上に剛士を動かしたのは、自分ならもっと上手くやれるのではないか、と思ったからだ。搾取される側ではなく、搾取する側になってやる。あの根暗梨蔵でも幹部になれる程度なのだ。俺が少し本気を出せば、あっという間に総統とやらにとって代われるのではないか。


 そして当日、指定された場所に行ってみると……、

「わーっ、はっはっはっ!」

 ステージの上で、真っ黒なマントを羽織り、髑髏をモチーフにしたマスクを被った男が大笑いを上げていた。

「グレイトマンよ、まんまと罠にかかったな。ここがお前の墓場となるのだ!」

 ステージの奥から、六人の全身黒タイツの男たちが現れ、梨蔵と相対していた赤いヒーロースーツの男を取り囲んだ。

「髑髏伯爵、なんて卑怯な真似を!」

「わっはっはっ! 悪の組織にとっては最高の褒め言葉だ。お前たち、やってしまえ!」

「ひーっ!」

 という掛け声とともに、黒タイツの戦闘員たちがグレイトマンに襲いかかった。袋叩きにされたヒーローは膝をついてしまった。

 次の瞬間、ステージの下に集まっていた大勢の子どもたちが、一斉に叫び出した。

「負けないで、グレイトマン!」「がんばれ、グレイトマン!」

 ここは、郊外ショッピングモールの催事場。ヒーローショーの真っ最中だった。

 子どもたちの声援を受けたヒーローが、すっと立ち上がった。

「声援が力を与えてくれた。今の俺なら誰にも負けない! 覚悟しろ髑髏伯爵!」

 グレイトマンが空に向かって拳を突き上げると、雷のような効果音が鳴り、続いて戦闘員たちは一斉に尻餅をついた。

「と、とても敵わない!」

 悲鳴を上げながら、戦闘員たちはステージの奥へ逃げていってしまった。

「おっ、覚えていろグレイトマン。この借りは必ず返すぞ」

 髑髏伯爵に扮した梨蔵もステージの奥へ逃げて行ってしまった。

 一人だけになった赤いヒーローは腰に手を当てて、ステージ下にいる子どもたちに語りかけた。

「君たちのおかげで、今日も正義は勝つことができた。これからも応援よろしく!」

「グレイトマン! グレイトマン!」

 子どもたちの歓声がいつまでも響いていた。

 広場の片隅で、剛士はこのショーを終始唖然とした表情でみつめていた。


 楽屋裏。髑髏マスクを脱いだ梨蔵の顔には、無数の大粒の汗があった。

「いかがでした、臼田くん」

「えっと……、お前の仕事って、ネットワークビジネスじゃないのか?」

「はい?」梨蔵は心底驚いた様子で目を丸くした。

「だって、総統だとか幹部だとか、カフェで相談とか、人生が変わったとか、いかにもネットワークビジネスが使いそうな言葉だろ。それが……、俳優だなんて」

 梨蔵の今の仕事は、特撮番組からヒーローショーまで手広く出演する悪役専門の俳優業だった。所属事務所もそれっぽい感じを出すために、経営陣のことを総統だとか四天王だと呼び、俳優側も演じる役の種類によって、幹部だったり一般戦闘員だったりと呼んでいる手の込みようだった。

「最初は恥ずかしかったです。人前でコスプレしてバカ笑いしないといけないのですから。でも、繰り返すうちにいつしか快感になってきました。おかげで、自然と人見知りも克服できましたし。僕の人生は変わりました」

「なるほど……」

 梨蔵はずっと真実を言っていたのだ。勝手に勘違いしていたのは剛士の方だった。

「でもどうして、俺をこんなところに連れてきたんだ?」

 梨蔵が俳優を初めて人生が変わったのはわかった。しかし、剛士を呼び寄せた理由がまだわからない。

「それは、最近人手が足りなくてですね。有望そうな人をスカウトしているんです。で、僕は臼田くんのことを思い出して声をかけさせてもらったんです」

「俺に俳優になれって、言っているのか?」

「はい」

「演劇なんてやったことないぞ」

「僕も総統に誘われるまでやったことありませんでしたが、それでもここまでできるようになったんです。それに、臼田くんなら才能あると思うのです」

「どういうことだ?」

「だって、臼田くん。高校時代からずっと演技してたじゃないですか」

「なっ……、何馬鹿なことを言っているんだ」

 梨蔵の言葉を否定した瞬間、剛士の胸の奥で激痛が走った。

 ――見透かされていた。

 子どもの頃から、ずっと凄い自分を演出していた。友達の前ではリーダーを気取り、凛子の前では気の利いた彼氏を気取り、みんなの前で格好いい自分を気取っていた。でもそれは、自身に自信がないことの裏返し。

 幼稚な虚栄心から作り出した仮面は、年齢を重ねるとともに剥がれ落ちていった。その結果が、仕事にも就けない、自身が置かれている現状だ。

 本心ではわかっていた、でも認めたくなかった。自分には何もないことを。

「ずっと僕は臼田くんに親近感を抱いていました。君は何もない自分を隠そうとしてひたすらに中身のない笑みを周りに振り撒き、一方僕は、それを隠そうと人との関わりと絶ってきました。でも、根は一つなんです」

「な、梨蔵……」

 胸の痛みは治まり、代わりに優しい温もりに包まれていくのを感じていた。それは、初めて俺自身のことを理解してくれる人間が現れた、という安心感だった。

 梨蔵は続けた。「臼田くん、今は定職についていないんでしょ。だったら一緒にやりませんか? 給与は決して高くはないけど、非常にやりがいはありますし、それに自分を変えるチャンスです」

「自分を変える……」

「そうです。何もない、ということは、何にでもなれる可能性があるってことですよ。まさに俳優業にぴったりです」

 梨蔵が手を差し出してきた。

 剛士はその手を握った。

 ついに理解者と居場所を見つけた。

 あふれる涙を抑えることができなかった。


 薄暗い室内に、低く重い声が響き渡った。

「髑髏伯爵」

 自分のコードネームを呼ばれた梨蔵は一歩前に出て、首を垂れた。

「例の件、うまく行ったか?」

「はっ」

 梨蔵は俯いたまま答えた。今、目の前で声をかけてくださるのは総統。それを直視するなど恐れ多くてとてもできるものではなかった。

「臼田剛士を、我々の戦闘員に加えることに成功しました」

「よくやった、髑髏伯爵。幹部就任早々、見事な働きだ」

「もったいなきお言葉です」

「うまい手を考えたものだ。いきなり、我々秘密結社に勧誘するのは困難が伴う。だが、ヒーローショーの俳優なら誰も我々の正体を疑わぬ、ということか」

「さすが、総統閣下。慧眼でございます。臼田は今やすっかり我々を信用じきっております。扱いやすい男でした。ちょっと理解者面をすればすぐに騙されるのだから」

 総統は淡々とした声で言った。「しかし、あの男もまったくの間抜けでもあるまい。悪役俳優業が隠れ蓑に過ぎず、我々の本当の計画が存在することに気付いてしまうのではないか?」

「問題ありません。適当に理由をつけて、洗脳そして改造手術を施せばいいのです。こうして我々は秘密結社の悲願、世界征服を成し遂げるための先兵を手に入れ、そして彼自身も新しい自分に生まれ変わることができるのです」

「……髑髏伯爵、お前のようにな」

 総統の高笑いが響き渡った。

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