第2話

 カフェに入ると、一番奥の席に梨蔵がいて、剛士に向かって手を振ってきた。

「いったい、どういうことだ?」

 席に着くなり、剛士は梨蔵に問い詰めたが、彼は同窓会の時と同じように、一点の曇りもない笑みを浮かべた。

「それは、先にお電話でお伝えした通りですよ」

 同窓会で受け取った梨蔵の電話番号。剛士は大いに困惑した。高校在学中もそして卒業後もほとんど接点がなかったのだ。それなのに突然、連絡先を寄越してきたのだろう。

 その時は無視しようと思ったが、同窓会が終わったあとも、何故か梨蔵のことが脳裏から離れなかった。

 好奇心だったのかもしれない。何が彼を別人へと変貌させたのか? それを知るだけでも面白いかもしれない、と思うことにして、梨蔵に電話をかけてみた。

『どうも臼田くん。そろそろ、連絡が来る頃だと思っていました』

 梨蔵からのいきなりの言葉に、剛士はたじろいだ。

「お、俺の考えが読めるとでも言いたげだな」

『ええ、あなたのことなら。何せ僕はあなたと会うために、同窓会へ行ったようなものですから』

 この言葉を凛子から聞けたならどんなに良かっただろう。しかし相手はほぼ赤の他人の梨蔵。気色が悪かった。あまり長くは関わらない方がいいと直感した剛士は、すぐさま本題に入った。

「俺になんの用だ?」

『是非、臼田くんにお話ししたいことがありまして』

「それは、同窓会の時じゃだめだったのか?」

『他人の前ではちょっと。できれば臼田くんと二人きりで話したいです』

 全身に悪寒が走った。

「お、おまえ、まさか……」

 梨蔵のくすりと笑う声が聞こえた。

『臼田くんが想像しているようなことでは、決してありません』

「じゃ、じゃあ……、なんだ?」

 警戒心むき出しの声で問うと、数秒の間をおいて梨蔵は答えた。

『電話では少し難しくて。明日、直接会えませんか?』

「どうして電話じゃ無理なんだ?」

 と、剛士は訊ねたが、梨蔵は『難しい』と言って、それ以上のことは話してくれなかった。

 とても怪しい。断ろうとも思ったが、ここでも剛士は好奇心に負けた。どうせ明日もバイトしかない、つまらない生活。刺激を求めていた。それに、梨蔵が指定してきた場所は、駅前のコーヒーチェーン店。危険な目に遭うこともないだろう。

 こうして、剛士は梨蔵の誘いに乗ることにした。


「では、本題に入る前に……」

 梨蔵はコーヒーカップを持った。その仕草は、一杯二百円の安物コーヒーがホテルのラウンジ並みに高級なものに見えてくるほど洗練されていた。

「十年ぶりに僕を見て、臼田くんはどう思いました?」

「どう思うって……」こちらの思惑を読んだような質問に、剛士はまたまた面食らった。「まあ、随分と変わったよな」

「ええ、僕は変わりました。高校の時は、他人と目を合わせることすら怖くて、ずっと殻に閉じこもっていたんです。みんなから根暗だとか空気みたいな存在と言われるほどに。臼田くんだって僕のことをそう思っていたでしょ」

 剛士は何も言わず、梨蔵から目を逸らした。当時、彼のことを一番そう呼んでいたのは、剛士たちのグループだからだ。

 しかし、暗い過去の話にも関わらず梨蔵は、楽しいパーティーに参加しているかのような弾んだ声で言った。「否定しなくても大丈夫ですよ。僕自身がそうだったと認めているんですから。臼田くんは何も間違ってはいないです」

「あっ、ああ……」

 剛士は目を逸らしたまま、コーヒーを一気に飲み干した。

 手にじわりと汗が滲んできた。

 もしかして梨蔵は過去の自分に対する仕打ちをなじりたくて、俺を呼び出したのではないか? そして、職を失い惨めな生活を送っている俺を蔑み笑おうとしているのでは?

 なんて、執念深い野郎だろうか。十年も前のことを今も根に持っているなんて。

 なら、付き合うだけ無駄だ。席を立ち上がろうとした瞬間、梨蔵が剛士の腕を掴んできた。

「待ってください。不快にさせたのなら謝ります。でも十年前の僕ならいざ知らず、今の僕は決して臼田くんを恨んではいません。なぜなら、僕は変わったからです」

「だったら、どうして俺をここに呼んだ?」

「まずは、僕の変わった姿を臼田くんに見て欲しかったからです」

 結局、俺を詰りたいだけじゃないか。と剛士は憤った。一方は人生を謳歌する好青年、もう一方は無職でみすぼらしい男。立場が逆転した、と見せびらかしたいに違いない。

「そうか、良かったな」

 と言い残して、今度こそ、席から離れようとしたが、梨蔵は手を離そうとしなかった。

「待ってください臼田くん。僕の話の本題はここからです。どうして僕が変われたのか、知りたいと思いませんか?」

「……」

 梨蔵の顔を見返した。濁りのない瞳が真っ直ぐに剛士を捉えていた。

 一度、深呼吸をしてから、剛士は居住まいを正した。

「ありがとうございます」梨蔵は口角を更に吊り上げると、続けた。「大学に進学した後も、僕は相変わらず他人が苦手で、一人で隠れるような生活を送っていました。でもある日、僕はあの方と出会ったのです。それはまさに世界がひっくり返る体験というに相応しいものでした。その日以来、僕はずっとあの方の元で経験を積むことで、新しい自分を手に入れることができたのです」

「まっ、待て」剛士は堪えきれず言葉を挟んだ。「き、急に話が見えなくなってきたぞ。梨蔵、お前はその、あの方っていう人と会って、性格が変わったと言いたいのか?」

 梨蔵は首を左右に振った。「性格なんてレベルじゃありません。自分そのもの、いや、世界が変わったのです」

「えっ、ええっと……。つまり、その、あの方って何者なんだ?」

「やはり興味ありますよね」

 梨蔵はますます目を輝かせた。

「いや、その……、なんというか、話を整理したいだけで……」

「あの方はあの方です。僕は総統とお呼びすることもあります」

「そ、総統!」

 なんだその、全体主義国家元首みたいな呼び名は! 剛士の混乱はますます深まっていく。

「ええ、総統とそのご親友たちである四天王が僕の第二の親なのです」

「四天王……」また謎の言葉が飛び出してきた。「梨蔵、頼むから、俺にもわかるように話をしてくれ」

「ああ、失礼しました。つまり僕は今、総統と四天王が創設した組織に所属しているのです。それはより良き自分と世界を生み出すための場所なのです」

「おっ、おう……。つまり、NPOみたいなものか?」

 それにしては中二病感溢れる役職名だが。

「いいえ」それまでずっと、穏やかな口調だった梨蔵は、ここで始めた語気を強めた。「そんな中途半端なものではないです。それに、宗教でもありません。現代において祈りや空虚な正論など、なんの役に立ちましょう。僕たちの組織は、具体的な方針と手段によって自分自身を生まれ変わらせ、そして世界を変えていくのです」

 なんと答えていいのだろうか、と剛士が頭を悩ませている間にも、梨蔵の言葉は更に熱を帯びていく。

「最初は僕も、なかなか変われない自分に憤っていました。ですが、総統、四天王、それに他の幹部の方々の支えもあって、ようやく世界を変える力を手に入れることができ、幹部にも昇格できました。しかし、現状に満足することなく一層、自分を磨いて世界を変えていきたいと思っています。それで、臼田くん」

 突然名前を呼ばれたことに驚いて、剛士はつい背筋を伸ばした。「な、なんだ」

「あなたも、僕と一緒に自分自身と、世界を変えてみませんか!」

 しばらくの間、剛士の思考は完全に停止してしまい、言葉を返すまでに一分以上かかった。

「えっと、つまり……、俺もお前のNPOに入れってことか?」

「だから、NPOじゃありません。もっと崇高な組織です。世界平和に貢献できるし。臼田くんにはぴったりだと思っています」

「俺に相応しい、仕事……」

 どうしてそんなことが梨蔵にわかる、と思う一方で、にわかに興味も湧いてきた。いつまでもコンビニバイトを続けるわけにはいかない。理由はどうあれ、仕事を紹介してくれるなら願ってもないことだ。

「今度、総統を紹介します。自分自身の豊かな生活と世界平和のために、一緒に頑張りましょう」

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