再会

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第1話

 やはり来るんじゃなかった。臼田剛士は、強烈な居心地悪さを感じていた。

 今日は高校時代の同窓会。貸し切った居酒屋には、それぞれのテーブルに集まった男女が、ビールジョッキ片手に談笑していた。久しぶりにあった友人と、高校時代の思い出話に花を咲かせる一方で、

「今度転職するんだ」

「親から、早く家業を継げってうるさいんだ」

「マンション買っちゃった」

 などなど、自分の近況を伝えあっている。

 剛士の目の前にいる、高校時代の親友だった二人の男も、その例に漏れなかった。

「うちの部長から、来年課長にならないかって打診があったんだ」

 と、ベンチャー企業に就職した一人が、出世の早さを自慢すれば、超がつく大企業に就職したもう一人が、

「当分平社員のままだけど、給料は悪くないし、ローンも組みやすいんだ」

 と、身の安定を誇りにしていた。

 卒業から十年、同窓会に集まった連中の眼前には、確かな人生設計、あるいはメラメラと燃える野望が広がっていることだろう。

 ああ、やっぱり来るんじゃなかった。剛士の後悔の念はますます強くなっていく。

 同窓会がこういう話題で溢れることは、わかりきっていたはずなのに……。

「おい剛士」

 不意に、目の前の友人から話が振られた。

「さっきから黙っているけど、最近どうなんだ。確か、〇〇会社に入ったんだろ?」

「あっ、ああ……」

 と、素っ気なく答え、ビールの残りを飲み干した。

「俺の知り合いも、あの会社に勤めているけど。評判はすごく良いよな。大企業なのにフットワークも軽くて。若くてもリーダーに抜擢されることもしばしばだって」と、別の友人。

「羨ましい。俺もそこに転職しようかな」

「で、実際のところはどうなんだ?」

 面白い話が聞けるんじゃないかと、二人は期待の眼差しを向けてくる。

 剛士はたまらず目を逸らした。

 確かに、一度はその会社に就職したが、世間の評判と内実は大きく異なっていた。毎日意味不明でつまらない仕事を押し付けられることに嫌気がさして、半年足らずで辞めてしまった。それから、自分にはもっと相応しい場所があるはずだと思い、転職を繰り返したが、理想の会社には恵まれず、気付けば、コンビニのバイトでかろうじて生計を立てている、という状況になっていた。

 だから、同窓会へ行くことは憂鬱でしかなかった。どうせ聞かされるのは仕事自慢、人生自慢だろうから。そして、それは予想通りだった。

 それでも参加を決めたのは、一ヶ月前、榊原凛子と再開したからだ。彼女も高校時代のクラスメート、そして元カノだった。

 付き合っていたのは半年程度。高校を卒業後、二人は別々の大学に進学したことで、なんとなく疎遠になってしまい、明確な区切りもないまま関係が終わってしまったのだが……。

 街角で見かけた彼女は、十年前と比べて、髪型も化粧も歩き方も変わっていたが、剛士はすぐに凛子だとわかった。

 そして次の瞬間、その場から逃げ出したくなった。今のみすぼらしい姿を、彼女に見られたくなかったからだ。

 しかし、剛士が逃げるよりも先に、凛子は高校時代と変わらぬ可愛らしい笑顔を見せ、大きく手を振ってきたのだ。

「やっぱり臼田君! 久しぶり」

「あっ、ああ」

 凛子の視線が剛士の顔から足元へと移動していく。「臼田くん、今このあたりに住んでいるの?」

「まあ」ジロジロと見られるのが恥ずかして、彼女から一歩下がった。「榊原さんもこの辺りに?」

「どうしたの改まって。凛子で良いよ、昔みたいに。わたしは仕事でたまたまこっちに来ただけ」

「そっ、そうか」

 剛士は凛子の顔を見た。彼女の笑顔が見えたとき、心臓が大きく跳ね上がった。

「……い、今は、どこに住んでいるんだ?」

「ここからちょっと離れた街。……あっ、ごめん。せっかく会えたのに。わたし今急いでて。本当は色々と話したいこともあるんだけど。そうだ、臼田くん、来月の同窓会来る?」

「ど、同窓会……」

 案内の葉書は来たものの返事もせず、ずっと眠らせていた。

「うん、わたしも絶対行くから。そこでお話ししよ」

「あっ、ああ……」

「良かった。じゃあ、またね」

 凛子は現れた時と同じくらいの速さで、剛士の前から去っていった。

 心臓が激しく脈打っていた。

 ――この出会いは偶然なのだろうか?

 もしかして、彼女ともう一度……? そして、それを彼女も望んでいる?

 身体中を久しぶりに熱い血が巡り始めた。

 だから、友人二人からの追求を受けている中、遠くから「凛子!」と声が聞こえてきた瞬間、何もかも忘れて、立ち上がっていた。

 会場の入り口、そこに凛子が立っていた。濃紺色のタイトスーツを着た彼女は、先月に会った時よりもより凛々しく、美しく見えた。

「凛子……」

 しかし次の瞬間、彼女の足元に立つ小さな女の子の姿が目に入ってきた。

「誰、その子!」

 宴会場の中央に陣取った女性集団から質問が飛んだ。

 凛子は少女に向かってにこりと微笑んだ。

「わたしの子ども。今日、旦那が仕事で、しかたなく連れてきちゃった」

「マジ! 超可愛いじゃん。何歳?」

「四歳。五年前に結婚して……」

 凛子たちの会話は続いていたが、剛士の頭の中は真っ白になって、もはや何も耳に入ってこなかった。

 力なく座り込んだ。畳はヒヤリと冷たかった。

「おい、大丈夫か」

 友人が心配そうに声をかけてきたが、剛士は何も答えられなかった。

 絶望が全身を覆っていた。どうして俺だけがこんな惨めなことになってしまった? 高校時代は友人に囲まれ、恋人がいて……、あんなに輝いていたというのに、何を間違えたというんだ?

 とにかく、これ以上ここにいてもますます辛くなるだけだ。逃げ出そうと思った直後、再び入り口から、今度はよく通った男の声が聞こえてきた。

「ごめんなさい、遅くなりました」

 剛士を含め、その場にいた全員が入り口へ視線を向け、そして首をかしげた。

 男が誰なのか皆目見当がつかなかった。十年間でみんな随分雰囲気が変わったとは言え、どこか面影が残っている。あれだけ変わった凛子だってそうだ。しかし今、入り口にいる男は、じっと目を凝らしてもまったく記憶が蘇ってこなかった。

「だ、誰だ?」

 と、入り口に近いテーブルにいた男が警戒感を含んだ口調で声をかけると、新参の男は晴れやかな笑みを浮かべた。

「ひどいですね。僕のこと忘れたんですか? 梨蔵ですよ」

「ええっー!」

 会場の全員が一斉に喫驚の声を上げた。

「嘘だろ、あれが梨蔵……」

 驚くのも無理はなかった。剛士たちの知る梨蔵とは見た目も雰囲気もまったく異なっていたからだ。高校時代の梨蔵は、根暗という言葉が相応しい影の薄い存在で、いつも一人でいた。ところがどうだろう、今目の前にいる梨蔵は、雑誌モデルと言われても納得してしまいそうになる好青年に見えた。

「まっ、まあ……、ここに座れよ」

 あるグループが、梨蔵を手招きした。

「ありがとう」

 梨蔵は晴れやかな笑みを浮かべたまま、彼らのグループに加わった。

「いやあ、人って変わるんだなあ」

 未だ驚きの隠せない様子で、友人が言った。

「まあ、十年経つからね。不思議はない」と、もう一人の友人。

「にしても、当時の男たちの憧れの的だった榊原さんは結婚、一児の母となり、影の薄かった梨蔵も衝撃のイメージチェンジ。時の流れを感じる」

「まったくだ。って、ああそうだ、剛士の話が途中だった。結局、お前今何やってるんだ?」

 逃げそびれたせいで、再び訊かれたくない話題に戻ってしまった。

「ええっと……」

 必死に言葉を探していると、突然背後から声が聞こえてきた。

「ここ、よろしいですか?」

 梨蔵が立っていた。友人たちが、どうしてここに? と言いたげな表情を浮かべると、梨蔵は小さく頷いた。

「是非、皆さんに挨拶がしたいと思いまして、こうして回っているんです」

 追求から逃げる口実ができた。剛士は安堵しつつ「ここに座れ」と言って、梨蔵に席を空けた。

「どうも」嬉しそうに、梨蔵は座った。

 改めて近くで見ると、当時の面影はまったく残っておらず、別人にしか見えなかった。

「梨蔵、今は何をやっているんだ?」

「ええまあ、色々と。それなりに充実した生活を送らせてもらっています」

 とても爽やかな声だ。毒気が抜かれていくような感覚がした。

「随分と印象が変わったな。何があったんだ?」もう一人の友人が単刀直入に切り出した。「まさか、クスリとかやってるんじゃないだろうな?」

「そんなわけないですよ。僕も色々あったんです。今ではすっかり生まれ変わることができました」

 梨蔵はぐるりと剛士たちの顔を見渡すと、すっと立ち上がった。

「では、僕は他の人にも挨拶をしてきます。お話しできて楽しかったです」

「もう行くのか?」

「ええ。臼田くん。あなたにも会えて良かったです」

 と言いながら、梨蔵が剛士の手を握ってきた。

「ん、ん? ……おい」

 剛士は呼び止めようとしたが、梨蔵はもう去ってしまった。

「な、なんだったんだ?」

 首を傾げる友人たち。

 一方、剛士は梨蔵に握られた手をゆっくりと開いた。

 そこには、電話番号が書かれた紙切れがあった。

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