第2話

 玄関先に立ち尽くし、彼女は何度も文面を読み返していた。差出人はいったい誰なのだろうか?少女のように胸をときめかせながら、一方で怪しい嫌な予感がして、彼女は冷静さを取り戻した。かかわってはいけない、何といっても自分は人妻なのだから。そう心に言い聞かせ踵を返した。とその時、優子は庭の片隅にある紫陽花に目を奪われた。淡い紫やピンクの花びらがうっとりする程美しい。毎年咲いていただろうに、しばし、今さらのごとく感動していた。

 それから土曜日までの三日間、優子の心は落ち着かなかった。けっして行くまいと決めたはずなのに、気がつけば差出人をあれこれと想像していた。好奇心とそれを抑制する思いが、譲りあうことなく葛藤していた。

 土曜日。友人と会うから遅くなると言って、夫は昼すぎから出掛けてしまった。これまでも少なからずそういうことはあったのだが。夫の不在が優子の気持ちを揺るがせていた。手紙の差出人を知りたいという衝動に打ち勝てず、彼女はなかば無意識に身支度をしていた。早めにホテルに行って、奥の喫茶室からロビーの様子を観察することを思いついたのだ。手紙の主に直接会うつもりはない。ただ、どんな男か知りたいだけなのだ。

 最近買ったばかりの白い縁取りのある紺色のワンピースに着替え、鏡台の前に座った。くせのない長い髪をとかしながら、そこに映し出された自分の顔をしげしげと眺める。お雛さまに似た日本的な美人とほめられることが多い。手紙の主もこの顔を気にいってくれているのだ、きっと。そう思うと口元が自然にほころんでしまう。

 控えめに、ていねいに、優子は薄化粧をした。こぶりのバッグを手に靴に片足を踏み入れた瞬間、言いしれね罪悪感に襲われた。が、身体は玄関の向こうへと進んでいた。外は迷いを振り払うかに、さんさんと晴れ渡っている。梅雨に入ったはずなのに、ここのところ雨は降らない。ひとっとびに真夏がやってきそうな、みごとな青空が広がっていた。

 家からそのホテルまでは、徒歩とバスで一時間程かかった。到着したのは三時二十分だった。指定の時刻までまだ三十分以上ある。優子はうつむきかげんに自動ドアからロビーを抜けて、喫茶室へ向かった。ロビーとの仕切りがなく横に広々としたその場所からは、さほど難なく館内を見渡せるだろう。

 窓際のテーブルがひとつ空いていた。そこに目が止まり、足を踏み出した次の瞬間、彼女はうしろから肩をぽんとたたかれた。驚いて振り向きその場で見たものは、あろうことか夫の姿だった。家を出た時と同じ、チェックの半袖シャツとチノパン姿だった。

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