四十九 明智光秀

 果心とともに堺に身を久秀は潜めた。

 茶人ちゃじん、松永道意どうい

 茶の湯をたしなむ三好長慶の供として何度か堺を訪れるうちに、茶道ちゃどうに親しむようになった久秀の、茶人としての名である。その名が、いつのまにか知られるようになっていた。

 その堺で、特に懇意こんいとなった、屈指くっしの豪商、天王寺屋の津田宗及つだそうきゅうを、久秀は頼った。

 その計らいで、こざっぱりした住まいに落ちついてしばらく、宗久の茶会に招かれた久秀は、その席で、明智光秀を紹介された。

 この年、朝倉義景に使えていた光秀は、その居城、一乗谷いちじょうだに城に身を寄せていた足利義昭の接待役をおおせつかっていた。

 二条城で久秀らの手にかかって死に追いやられた将軍、足利義輝の、義昭は弟である。

 朝倉義景を頼って京から逃れてきた義昭は、再び政権を握らんがために義景に上洛じょうらくを促した。だが、手を焼いている加賀の一向一揆いっこういっきを捨て置いて、義景は越後を離れることができなかった。なにより、策謀を好む義昭を、義景は信用していなかった。

 ただ、これを覇権の好機と考えた光秀は、義景に鉄砲の買い付けを願い出た。

「ここで義昭様をお護りするにせよ、上洛するにせよ、備えは必要かと存じます。また、一向衆への抑えともなりましょう」

 天王寺屋でその鉄砲をあがなったばかりの光秀を、自宅の茶室で久秀に宗久は引き合わせたのである。

「道意様にございます」

 最初、それが松永久秀であることに光秀は気づかなかった。

「松永道意と申す」

「松永……」

 つぶやいて道意の顔を改めて見た光秀に、

「久秀でござる」

 不敵な笑みを久秀は見せた。

 足利義輝を手にかけた久秀を、その弟の接待役を仰せつかっている朝倉の家臣として、見逃せない立場に光秀はあった。

 しかし、そんな光秀の思いには気づかぬように、

「以後、お見知りおきを」

 平然と久秀は言った。

「明智光秀」

 低い声で名乗って、顔を光秀は背けた。

 その様子をたのしむかのように、

「人の出会いは、面白うございますな」

 言って、作法通りにまずは久秀に茶碗を差し出すと、自らの言葉で宗久は思いついたように、

「そう言えば、道意様は、なにやら面白い法師を飼うておられる、とうかごうておりますが」

 器を手に、

「別に、飼うておるわけではございませぬが……」

 それを眺めながら、

「なかなか、手に入らぬものにございましょう」

 と道意。

「器にございますか、それとも法師にございますか」

 確かめるように言葉を投げた宗久に、一つ笑って一服いっぷくきっし、作法通りに光秀の前に器を久秀は置いた。

 憮然ぶぜんとしてそれを手に、光秀も一服喫し、

「結構な御点前おてまえで」

 懐紙かいしを使ったところで、

「そやつには、何度も命を救われ申したが、わしの女をかすめ取って逃げた裏切り者にございます」

 思わず久秀に光秀は目をやった。

「いずれ、その者もお連れ願いたい」

 ごとのように言った宗久に、

「さて、気が向かねば、わしの言うことなど聞きもいたさぬが、さにあらずば、すでにどこぞにおるやもしれませんぞ」

 面白そうに言いながら、狭い茶室の空間を久秀は見回した。

 つられて虚空こくうに視線を光秀と宗久が巡らせて戻した先には、久秀ではなく、半眼の法師が座していた。

「あ」

 揃って声を二人が上げると、

「果心にございます」

 深く下げたこうべを法師が戻すと、久秀の不敵な顔がそれにあった。

「今のは……」

 問う光秀に、

「我が外法にございますれば」

 答えたのは、久秀の声だった。

 新しく手に入れた玩具を友だちに見せて喜ぶ子どものような久秀のその顔に、光秀はしばらく見入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る