四十八 久秀再び

 永禄九年(一五五六)。

 六月。

 ざわつく無数の竹に、夕日が照りつけている。

「後ろ盾を失い、片足をもがれた狐を、もはや誰も恐れはいたしませぬ」

 脳裏によみがえった果心の言葉を、込み上げる苦汁とともに久秀は飲み下した。

「殿」

 汗と泥にまみれ、一人残った家臣に呼ばれて、我に戻った久秀も気がついた。

「囲まれたか」

「は」

「ここで落ち武者狩りの手にかかるようでは、天下など、望むべくもあるまい」

 長慶が亡くなってから、将軍足利義輝を、三好長逸、三好政康、岩成友通ら、世に言う三好三人衆と久秀は暗殺した。

 しかし、その後の将軍継承と主家、三好家の跡目を巡って、三好一族と久秀は反目することとなった。また、大和郡山を根城として勢いを盛り返してきた筒井順慶とも、小競り合いを久秀は繰り返した。

 それでも、そのときどきの合従連衡がっしょうれんこうによって、何とか久秀は凌いでいた。が、その年、永禄九年二月、ついに筒井順慶と三好三人衆に、大坂、堺の上野芝で、久秀は敗れた。

 同年五月に陣を改め、堺で再び一戦交えたが、武運つたなく久秀は敗走した。

 天下の覇権を握るどころか、長慶の力の大きさを改めて久秀は思い知った。

「ここはそれがしが」

 久秀をかばうように前に出て刀に手をかけた家臣に、

「無用じゃ」

 その言葉が終わらぬ前に、竹槍やら鎌やらを携えてぞろぞろ現れた百姓どもの眼前で、己の大刀を久秀は投げた。

 それを拾いに駆け寄った一人を蹴り倒して、

かしらは」

 その声に気圧けおされ一瞬動きを止めた一同の中から悠然ゆうぜんと現れた、身の丈七尺はあろうかと思われる男が、蹴られて気を失った仲間の横に転がった久秀の太刀を拾い上げた。

 それを見上げて、

「よい面構つらがまえじゃ。わしの家来にならぬか」

 不敵に久秀は笑った。

「落ち武者の家来になる者が、どこにいる」

 そいつの言葉が終わらぬうちに、家臣の腰から大刀を抜き放って飛び上がるなり、かの者の顔を断ち割ると、大仰おおぎょうな血ぶりを見せて、百姓どもを久秀はめ回す。

 けれども、誰も腰すら引かない。ばかりか、どいつも一様に両眼りょうがんを見開いたまままばたきすら見せぬ。まるで生き人形のように同じ構えを崩さない。

 斬られたはずの男もそこに突っ立っている。

 異様な気配を久秀が感得すると、

「さすがは松永久秀」

 顔面を割られた男の声に驚きを久秀は隠さなかったが、瞬時、竹が動きを止めると、

「幻術にございます」

 虚空こくうから声が響いた。

 再び竹がざわつき始めると同時に、手にした太刀を、今度は久秀はいだ。

 顔面を割られた首を飛ばされても、手にしていた久秀の大刀を抜いて男は斬りかかる。それが降り落ちる寸前、そやつの懐に飛び込んだ久秀は、その鳩尾みぞおちを存分に突いて押し倒す。

 首のない大男は、その半分にも満たない小さな男に変じ、その右目に深々と突き立って貫いた久秀の切っ先が、そやつの後ろ頭から血を噴き出させていた。

 たちまち落ち武者狩りの百姓どもの姿は消え失せて、

「果心、いずこか」

 虚空に向かって放った久秀の声が、夕日に照り映える竹薮を激しく揺すった。

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