四十七 嫉妬

「針先には毒も塗られているようですね」

 無月が残した針を仔細しさいに検分しながら、生気を取り戻した流酔が言うと、

「眠っている間に、ほんとうに針を刺されていたらと思うと……」

 言いながら、たのしそうにかずは流酔に笑顔をかずは向けた。危地を脱した二人だけが共有している空気を感じながら、いて己を押さえ込むように、

「おかげで、代償を払わずにすみ申した」

 静かに述べた果心に、

「いや、無月に術を施してゆかれたのはわかっておりましたが、いざ、死んだふりをするとなると、なかなかに難しゅうございました。これも、若き日に幻術の手ほどきを受けていればこそ、と思うております」

「流酔殿には、いざとなれば式神もおりますれば」

 果心の言葉を肯定するように大きくうなずいたかずに、やはり果心は不快を覚えた。

 しかし、そんな果心の様子には微塵みじんも気づくことなく、

「それでも、あのように精魂せいこん尽きておりましては、どうなっていたかわかりませぬ。いずれにせよ、露酔ろすいのことも合わせまして、こたびは命を助けていただき、深く礼を述べるばかりにございます」

 言葉通り、深々と果心に流酔は頭を下げた。

「ときに、その、露酔、と申すは、どのような陰陽師でありましょう」

 かずに問われて、

「お恥ずかしいことではありますが、あれは、露酔は、腹違いの、ただ一人の弟にございます」

 答えた流酔に、

「まあ」

 思わず声をかずは上げた。

「されど、露酔は陰陽師にあらず。金品によって呪殺じゅさつさぬ、呪禁師じゅごんしに成り下がった輩にございますれば、いずれは決着をつけねばならぬ間柄にございました。ましてや、あのような一党と手を組んだのでは、天もお赦しにはなりますまい」

 己を納得させるように言って今度は果心に向かい、

「それにしても、飛び加藤に逃げられましたは、まことに残念でございます」

 流酔は言った。

 逃がした果心を責めているわけではないことは承知しているけれど、

執念しゅうねん深い輩ゆえ、いずれまたどこぞで目見まみえる機会がありましょう」

 ことさらに恬淡てんたんとした口ぶりで答えて、

「ただ……」

 言葉を果心は切った。

「ただ?」

 同時に言葉尻を流酔とかずが上げると、

「流酔殿に、かず様をお預けいたしたいと存じます」

「果心」

 聞いて声を跳ね上げたのは、かずだった。

「このままでは、また巻き添えにしてしまいます」

「それでもよい」

 きっぱりと言うかずに、

「かず様を、お護りしたいと思わばこそ……」

 果心の心を察して語る流酔の言葉を強くさえぎるように、

「殿方というのは、いつもそうじゃ。おなごを守ったつもりで満足する」

 そう言うかずに、

「もう、大切な人をなくしたくないからにございましょう」

 流酔は返した。

「そう思うなら、、人に預けず己で護れ。果心が命を賭しても護れぬときは、この命、失うてもかまわぬ」

「それでは悔いが残りましょう」

「昔、死なせた女のようにか」

「なれば……」

 重ねて口を口を開こうとする流酔を黙らせるように、

「死なせた男は後悔するが、死んだ女が後悔するとは限るまい」

 かずが言うと、あとの言葉を流酔は失った。

「かず様」

 それまで半眼のまま黙っていた果心が、

「この果心、逃げておりました」

 視線をかずと流酔に向ける。

「正直に申し上げるなら、かず様を巻き添えにするのが恐ろしゅうて恐ろしゅうて、流酔殿にお預けすれば、その荷が軽うなると考えたまでにございます」

 頭を下げて、ちょっと用足しにでもいくかのようにゆるりと立ち上がった果心は、そのまま流酔の屋敷に帰らなかった。

「おなご一人護れぬ者が、鑑真和上の船を嵐より護った外法を身につけることなど、とうていできぬわ」

 ひとりごちて己の心に何度も唾を吐きながら、実はその深いところにこびりついている無様ぶざまな嫉妬がそうさせてしまったことを、果心は知っている。

 

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