五十 久秀出陣

 翌、永禄十年(一五六七)。

 二月。

 死んだ三好長慶の弟、十河一存そごうかずまさの、義継よしつぐは子である。

 嫡男、義興を亡くした長慶は、この義継を三好の跡継ぎとしていたのである。長慶が亡くなってしばらくは、義継の後見役を久秀と三好三人衆が務めていた。だが、久秀と三好三人衆が手切れとなってから、義継は三人衆の下にあった。

 義継の存在は、三好家に対する忠誠の証し、大儀である。

 しかし、足利義輝の従兄弟である義栄よしはるを次期将軍に据えるべく三人衆が動き始めたため、義継の居場所はなくなった。

 その二十歳の後継者に、堺で息を潜めながら三人衆の動静を窺っていた久秀が、手を差し延べた。

 ただ、そのおり、

「弾正」

 改めて久秀を呼ばわって、

「勘違いするなよ」

 平伏した久秀に、

「わしはただの飾り物ではないぞ」

 念を押すように義継は言った。

 四月になって、義継を連れて信貴山城に久秀は帰った。

 久秀が行方をくらましていた間、信貴山城と多聞山城が持ちこたえたのは、久秀から家督を譲られた、嫡男、久通の尽力の賜物だった。

 しかし、長慶の下で平定したはずの大和の覇権は、その間に筒井順慶に奪われつつあり、三好三人衆の威勢も増していたが、久秀の帰還は彼らを驚かせ、そして恐れさせた。

 ために、三好三人衆は執拗に久秀を攻めた。

 十月。

 多聞山城の第一層に据えられた多聞天を、甲冑を身にまとって、例のごとく拝した久秀は、果心を呼んだ。

 久秀が口を開く前に、

「大仏ごと、焼けば面白うございましょう」

 言った果心に、

「大仏を焼いたとて、三人揃って焦熱地獄に叩き落とすことはできまい」

 吐き捨てるように久秀が返すと、

「なれば、大仏に暴れてもらいましょう」

 果心の言葉に、不敵に久秀は笑って天守に上がった。

 天守からは、その東にある東大寺大仏殿を見下ろせる。

 東大寺大仏殿を背に、三好三人衆は陣を敷いたのである。

 蟻のように動きまわる三好の兵どもをぼんやり眺めている義継に、

「いかがいたしましょう」

 久秀が問うと、

「うん」

 大仰に頷きはしたが、

迂闊うかつに攻めれば、御仏に刃を向けることになり、後の世に汚名を残すことになろう。と言うて、このままにらみ合うばかりではらちがあかぬ……」

 義継は煮え切らぬ言葉を並べたが、

「父上」

 隣に控えていた久通が、

「大仏を焼くことになったとしても、叩くより他にありますまい」

 言うのへ、ことさらに厳粛な口ぶりで、

「控えよ。今、義継様よりの下知がある」

 言って、

「さあ、義継様」

 久秀は促した。

 しかし、

「とにかく、御仏に弓を引いてはならぬ。大仏を焼くなどもってのほかじゃ」

 言った義継の言葉が終わらぬうちに、

「出陣じゃ」

 久秀は下知した。

 

 

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