三十八 二人左京大夫
己の心が満たされるのは、他者を屈服させたときか、さもなくば、誰ぞの心を踏みにじったときか、そう久秀は思っていた。
ただ、それで心が満たされるのは、いつも一瞬でしかない。だから、女を何人も久秀は囲った。
長慶から下された楓も、その楓を使って長慶から奪った左京大夫も、久秀にはそうした己を満たす遊具の一つに過ぎない。にも関かかわらず、長慶の元に返した楓を見て、改めて楓を欲しいと久秀は思った。
それは、刹那、己の心を満たしたいという感情とは異なるもののようであったが、明確な言葉をそれに久秀は与えることができなかった。
長慶の葬儀を終えて、すぐに髪を楓は下ろした。時期を見計らって見舞いと称し楓との面会を久秀は試みたが、楓は拒んだ。
果心に術をかけられたにもかかわらず、心を開かぬ左京大夫にも、以来、
宙に浮いた己が空回りしているような
しかし一方で、久秀の荒ぶる心を、長慶の死は解き放った。
誰に遠慮することなく、天下を我がものとする機会を、久秀は得たのである。
長慶が亡くなって明くる永禄八年(一五六五)五月。
二条城において
ために、将軍後継を巡って、
八月。
合戦のさなか、馬上でふいに
「誰じゃ」
数回呼ばわると馬首を巡らし、突如
丹波に急行するべく支度を整えながら、
「まさか、誰が虚空より呼ぶものか」
吐き捨てるように口にした言葉に
「どこぞの外法師の
言って果心を呼ぶと、
「そのような術に心当たりはあるか」
と問うた。
槍遣いとなって久秀を
しかし、そんなことはおくびにも出さず、
「
果心が答えると、
「知っておるなら、果心にも遣えような」
それで、
嵯峨天皇を難じる落書きを読み解いた小野篁を、書いた張本人だから読めたのであろうと、篁を嵯峨天皇が糾弾する。七百五十年ほど昔の話である。
「お疑いか」
半眼を下から果心は投げた。
首を左右に振って小骨を鳴らし、その果心に細い視線を久秀が返すと、
「
とたんに高い声で笑って、
「
言うと、
「
大和で対峙する筒井の名まで挙げて繕う言葉、言いようが、果心の
だが、それに気づきもせず、
「どうじゃ、きゃつらに戦場でその術を仕掛けてみぬか」
思いついたような久秀のそれには応じず、
「久秀殿」
言って久秀の顔をしばし果心が凝視すると、
「な、何じゃ」
発した久秀の心の隙間に、
「一段と、
わざと汚物をなすりつけるように果心は言った。
これに怒りを
「虎の威を失い、片足をもがれた狐を、もはや誰も恐れはいたしませぬ」
言って、
「わしを、狐と申すか」
激高した久秀に、なすりつけた汚物を改めて確かめるような視線を投げて、
「天下を握ろうとする、そのお覚悟のほどを尋ねたまでにございます」
もちろん、なすりつけた己の手が、汚物に
「何を今さら」
言い捨てて鼻を一つ鳴らすと、丹波に久秀は急いだ。
五日後、長頼を
顔盗み。
即刻、果心を久秀は呼ばわったが、姿を見せない。城中、探させたが、所在はわからぬ。
「果心め、何を考えておるのか」
怪しみながらも、その夜、二人揃えて寝所を久秀は共にした。
五十半ばを迎えても一夜に女二人とまぐわうほどの精力を、久秀は保持していた。
特に今宵は、どちらが本物の左京大夫か見分ける楽しみも加わっている。
「さて……」
一人目は、
「
長慶から下された
「さてはこっちが本物の左京大夫であったか」
と
「あ」
と驚嘆の声を久秀は上げた。
「わかりになりましたか。殿」
そう言って、
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