三十四 誘い

 永禄六年(一五六三)。

 新年を迎えて謹賀のために飯盛山城に出向いた久秀は、祝いを述べたのち、長慶に多聞山城の検分をうた。

 傍らにいた義興は、今度は反対しなかったが、信貴山城のときと同じく、長慶について多聞山城を訪れた。

 もちろん、左京大夫を長慶は伴った。

 その長慶の率いる兵の中に、無月はいた。

 雑兵ぞうひょうに混じって陣笠じんがさかぶり顔は隠していても、果心の眼をあざむくことはできない。無月とて、これで果心の眼から逃れるkとができるなどと、思うはずもない。

 深更しんこう、長慶の寝所の警護に立つ無月の前に、姿を果心は現した。

 二月の月はたちまち凍てつき闇が深まる。

 同時に、時が止まった。

「やっぱり、来てくれましたね」

 訪れた旧知きゅうちに見せるような笑顔を、果心に無月は向けた。

「狙いは、わしか」

 いつもの半眼のまま、果心が問うと、

「さすがは果心さん。何もかもお見通しですね」

 うれしそうに答えて、

「でもね……」

 一つ呼吸を置いて、

「果心さんの首を狙った日には、こっちの命がいくつあっても足りません。だからどうですかね、我々と手を組みませんか」

 あたかも友だちを誘うような軽い調子で無月は続けた。

「それは、わしに久秀の首を獲れ、ということか」

 感興のない声で果心は確かめた。

「とんでもない。それは、この無月が引き受けたこと。果心さんに頼むことではありません」

「ならば、このわしに邪魔はするな、ということか」

 果心の問いに、

「まあ、ていに言えば、そういうことになりますが」

 そこでも一つ呼吸を置いて、

「ところで果心さん」

 と、声を改めて、

弾正だんじょうからいくらもらっているんですか」

 笑顔はそのままに無月は問うた。

 わずかに怪訝な顔を果心が見せると、それを果心の用心深さと取ったのか、返事を待つことなく、

「果心さんほどのお力があれば、諸方の大名や公家くげから、いくらでも割のよい仕事が舞い込みますよ」

 と、無月は続けた。

乱波らっぱになれ、ということか」

「乱波でも忍びでも、呼び方はいかようでもかまいますまい。要は、その腕を生かして金銀をどれほど手に入れられるか、あるいは名声やそれなりの地位さえ……」

 つまり、仕官を望んで幻術を見せ物にし、もよの命を奪った、あの加藤段蔵と変わらぬのではないか……

 脳裏を走った刹那、無月の言葉を断ち切って、

「加藤段蔵の行方を知らぬか」

 果心は問うた。

 虚を突かれて、瞬時、言葉を失ったが、

「いずれ、京に舞い戻ってまいりましょう」

 言って改めて笑顔を見せると、

「そんなことも耳に入ってきます」

 果心の半眼を射すように見ながら

「どうです、果心さん、我らと手を組みませんか」

 再度、親しげな声音で無月は誘った。

 無間さんと同じ血を引いていたとしても、やはり果心と無月は違うのかもしれない。

「拒めば、ここでやりあうか」

 半分、自問するかのようにな果心の返事に、

「まさか」

 即座に返して、

「別の手立てだてを考えますよ」 

 無月が言い終わらぬ前に、たちまち月が明るくなって雲が動き始めた。

 とたんに薄く透け果心の姿は消え失せる。

「弾正を亡き者にしたら、またお誘いいたします」

 無月の声は、闇に飲み込まれた。

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