三十二 三平再び……

 長慶の支城しじょうの一つ、摂津せっつ芥川城あくたがわじょうに帰った井野三平に、義興はすぐに会った。

首尾しゅびは」

 世間話のように柔らかく義興が話しかけると、

「これを」

 と、平伏したまま木箱を井野三平は差し出した。

「開けてみよ」

 義興に命じられて井野三平がふたを取った木箱の中には、まげが入っていた。

「さうがに御首級みしるしまでは」

 平伏して言った井野三平に、

「無月はいかがした」

 義興は問うた。

「残念ながら」

 三平は平伏したままである。

「そうか」

 冷ややかな口ぶりで言って、

「えいは無事か」

 そこで初めて顔を上げて、

「疑われることもなく……」

 と、そこで一度言葉を切って、

「ただ……」

 感情の見えない言葉を、三平は言いさした。

「ただ、何だ」

 先を問う義興に、

「お人払ひとばらいを……」

 そう言って、近侍を義興が下がらせると、

「お耳を」

 目を伏せたまま膝行しっこうした井野三平は、懐から短刀を取り出して義興の胸を突こうとした。

 とっさにその手をつかんで、

「たわけ」

 言い捨てると、井野三平の鳩尾みぞおちに、を食わせてその場に投げてそれを義興はひっくり返した。それで、井野三平は気を失った。

「誰ぞ」

 義興の声ですぐに立ち戻った近侍に、

「こやつを後ろ手に縛れ」

 きつく縛られて、その頬を何度も叩かれて息を吹き返し、

「あ」

 と、あたかも夢から覚めたような顔を義興に井野三平は見せた。

「こ、ここは……」

 おびえた声で問う井野三平を用心深く見ながら、

「芥川じゃ」

 義興は答えた。

「え……」

 目を丸くする井野三平に、

「三平」

 義興が呼びかけると、

「は、はい」

 いつもの小心しょうしんな声を井野三平は返した。

「しくじったな」

 三平の顔に、己の顔を義興は近づけた。

「あ……」

 口ごもる三平に、

「三平」

 少し、声を義興は落とした。

「はい」

「久秀におどされて寝返ったか」

「と、とんでもない」

 必死に三平は首を振った。

「外法師に術をかけられたか」

「あ…… はい、はい。はい」

 二度、三度、井野三平は頷いた。

「なれば、三平」

 今度は強く義興に名を呼ばれて、

「はい」

 義興の顔を見上げて返事をし、

「これより多聞山城に立ち返れ」

「え」

 顔を上げた三平に、

「このわしを討ち果たしたことにして多聞山城にもどり、久秀を斬れ」

 一段、声を落として義興が命じると、

「そ、それは……」

 口ごもる井野三平の声など聞こえぬように、

「無月」

 と、義興は呼ばわった。

「え」

 頓狂とんきょうな声を上げた井野三平の背後に、多聞山城で自害したはずの無月がいつのまにか座していた。

「久秀も、よもや死んだはずの外法師に再び命を狙われようとは思うまい」

 戸惑とまどう井野三平に、

「ごあんじめさるな」

 微笑ほほえみかけて、無月は三平に術を施した。

 そうして蓑笠みのかさに身を包んですぐに多聞山城に向かい、

「井野三平がお役目を果たして参りましたと、久秀様にお取り次ぎを」

 と、城門を守る兵に三平が訴えた。

 だが、信貴山城に出向いたまま、まだ久秀は帰っていなかった。

「ならば、信貴山城を出たところで仕掛けるか」

 たのしそうにつぶやいた無月に、風に舞った粉雪が降りかかった。

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