三十一 反攻

「興福寺に兵を差し向けましょう」

 久秀の考えに反して、執拗しつように進言したのは、井野いの三平さんぺいという新参者しんざんものだった。

 えいのから取り立てられた男で、いろいろと気の利く男であった。だから、えいより任されて、今日の招客しょうきゃくの段取りを図ったのも、また、興福寺の僧として無月を城内に入れたのも、井野三平であった。

「それがしも、興福寺にしてやられました」

 そう弁ずる井野三平を身近に呼んで、久秀は、

刺客しかくを入れたな」

 抑揚のない声で問うた。

「お疑いはごもっともなれど、とんでもないことにございます」

 つぶされた蛙のように平伏したまま、井野三平は、必死の声で答えた。

 しかし、井野の弁解など、頭から久秀は信じていない。

「誰の差し金か」

「とんでもないことにございます」

「えいか」

 ぴくりと井野の肩が震えたが、

「とんでもないことにございます」

「それとも、義興が裏で糸を引いておるのか」

「とんでもないことでございます」

 そう答えるばかりの井野三平に、

「怖いのか」

 微笑を浮かべて久秀が言っても、

「とんでもないことにございます」

 震える声を必死に抑えるように井野三平は答えた。

存外ぞんがいきもわっておるようじゃな」

 そうつぶやいて、果心に目をくれた久秀は、

「こやつにも、わしに見せてくれたような、死ぬほど恐ろしいものを見せてやってはくれぬか」

 とたんに目を丸くして顔を上げた井野三平に半眼をくれながら、

「先に、手足の爪を一枚ずつがしてからにいたしましょう」

 平然と果心が言うと、

「なるほど、爪を剥いでから果心の術にかけるか」

 両眼を見開いて身震いする井野に、

「安心せえ。殺しはせぬ」

 優しい言葉をかけて、

「大事な生き証人じゃからな」

 久秀は微笑ほほえんだ。

「死ぬ方が、まだ幸せやもしれませぬな」

 他人事ひとごとのように果心は言った。

 苦痛の恐怖にる者は、多くない。

 無月を送り込んだのが義興であることも、それを手引きするように命じたのがえいであったことも、また、先だっての薬師くすしもえいのがねであったことも、すべて井野三平は白状した。

「ところで、褒美ほうびはもろうたか」

 これまで見せたことのない笑みを満面に浮かべた久秀の問いに、半ば口を開けて井野三平は久秀を見返した。

「えいから褒美はもろうたかと聞いておるのじゃ」

 それでもわからぬといった表情を見せたが、すぐに、はっと気づいて久秀から顔を井野は背けた。

「うぬは若いから、えいもよろこんだであろうな」

 嬉しそうに吐いて井野三平を、何度も久秀は蹴り上げた。

 頃合ころあいを見て、

「久秀殿」

 声を果心はかけた。

「わかっておる」

 息をはずませながら、井野三平に唾を吐きかけ、多聞山城の地下牢に井野三平を久秀は投げ入れさせようとしたが、

「井野とやらは、即刻そっこく、義興殿に返しましょう」

 と、それを果心は制した。

 すぐに、

「なるほど、この久秀を討ったことにして、逆に義興の命を奪おうという算段さんだんか」

 察して大きく息を吸ってしばらく天を仰ぎ、

「じゃが、思惑おもわく通りに事は運ぶまい」

 言って果心に視線を投げた久秀に、

「もはや遠慮はいりますまい」

 なんでもないように果心は答えた。

 それで吹っ切れたのか、その場で果心に術をかけさせ、井野三平を久秀は解き放った。

 次に、

「さて、えいをどうするか」

 半分は独り言のように、もう半分は果心に相談を持ち掛けるように、久秀は口にした。

 裏切りが明らかになったとは言え、えいを成敗せいばいすると、さすがに長慶が黙っているはずがない。といって、このままえいを放っておくと、また何を企むかわからぬ。

「では、左京大夫さきょうのだいぶ様のお心とお体をとりこにする法を、この際、御教授いたしましょう」

 半眼のまま、果心は薄く笑った。

 その夜のうちに策を講じた果心は、翌朝早くに、久秀とともに信貴山城に向かった。

 久秀の到着が知らされても、素知そしらぬふりをえいはしていた。

 しかし、久秀に呼ばれては出ていかないわけにはいかぬ。

「お帰りなさいませ」

 三つ指をついて、しれっとえいは言った。

「井野三平がすべて白状したぞ」

 しかしそれでも、

「井野が、何か……」

 と応じたが、

「とぼけ通すか、女狐めぎつねめ」

 これには激高してみせて、

「いかに殿とは申せ、女狐とは聞き捨てなりませぬ」

 えいは憤慨ふんがいしてみせた。

 それには声を落として、

「ならばどうする。義興に言うて、また刺客を差し向けるか」

 すると、瞬時、間を置き、不意に高く笑って、

「面白いことをおおせになる。我ら三好が、家臣に刺客を差し向けるなどと……」

 言って、また一頻ひとしき笑い声を上げて、

「父上に申し上げておきましょう」

 と、えいが座を立とうとするところを、

「えいを地下牢に入れよ」

 と、近侍に久秀は命じた。

 多聞山城からついてきた近侍は、容赦ようしゃなくえいの右腕を取った。

「無礼をいたすな」

 その手を振りほどこうとしたえいの左腕を、今度は久秀がつかんで地下牢に向かった。

 さすがにこれにはえいも驚いたが、

「誰ぞ、誰ぞ、父上に、兄上に……」

 叫んだが、応じる者はない。

 地下牢に入れられても怒りをあらわにするえいを前に、

「果心」

 久秀が呼ぶと、いつのまに入ったのか、牢内の壁際にぼんやり果心が浮かび上がった。

人払ひとばらいを」

 果心に言われて、近侍に下がるように久秀は命じた。

 近侍が去ると、

「よろしゅうございますな。久秀殿」

 と念を押して、久秀が頷くと、

「とくと御覧ごらんあれ」

 そう言って、

「無礼者、下がれ、下がれ。誰ぞ、誰ぞ……」

 地下牢に響き渡る声を上げるえいに、半眼のまま果心は近づいた。

 半時はんときほどして久秀とえいは戻ってきたが、人が変わったようにえいはおとなしくなっていた。


 

 

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