二十九 刺客
その時代、朝廷や将軍から下される官位や栄誉が
逆の言い方をすれば、その強者を倒して朝廷に迫れば、官位を得ることは難しくない。天子、将軍さえも意のままに操れる。もっと言えば、幕府を倒して己が天下の頂点に立つこともできる。だから、官位を得たからと言ってそれで天下を治めることができるわけではない。むしろ、それが戦国の世を
ましてや、その官位権威によって主従関係に
その年の七月から十一月にかけて、京都は
樹上より久秀の走らせる馬に飛び乗り、背後から
まさかに捨て身で落馬するとは思わなかった曲者は背中を強く打ちつけたが、それが久秀には
たっぷりと
「殿」
駆け寄った何人かの
「わしも命を狙われるほどに出世したということじゃ」
と久秀が笑ってみせると、
「こやつ、何者にありましょう」
死んだ曲者の
「捨て置け」
何事もなかったかのように、馬に乗って
そのときは、それが六角の
「果心を呼べ」
命じたときには、久秀の
「殿」
声をかけた近侍の前で、ずるずると姿勢を崩しながら、座していた久秀は倒れ込んだ。
「すぐに
駆け出そうとする近侍に強い口調で、
「果心…… じゃ」
「なれど、外法師ごときに……」
口にしかけた近侍は、久秀に
「ただいま」
と、急いだ。
薬師を久秀は信用しなかった。
ましてやこうして薬を盛られたと察知したなら、日頃、己の脈を取る薬師をまず疑うべきである。
使いの者から久秀の
急を聞いてく薬師も駆けつけていたが、その手をまったく久秀は触れさせなかった。脈も取れず苦い表情で果心の動きを薬師は見ているしかなかった。
呼吸も荒い久秀の顔を、いつものようにするりとやってきた果心は見つめて、次に久秀の全身に視線を巡らせた。久秀の腕にも足にも肩や背中にも、
「湯を沸かして、新しい
近侍に命じて、久秀の右、二の腕に貼られていた膏薬を
薬師の表情が
薬師の手首から先が消えている。
「あ」
と、驚いた薬師のその手は、少し離れたところでいつのまにかこれを見ていたえいの足下で
「ひっ」
えいの上げた声に気づいて己の右手を這いつくばって取り上げた薬師が、それをおのが手首につけてみると何事もなく右手は動く。
それには
そこへ湯が持ち込まれ、果真の前に晒が差し出された。
その湯に何本も晒を入れたかと見る間に
すっかり拭い終えると、今度は頭陀袋に右手を入れて何やら
「薬師」
果心に呼ばれて我に返り、久秀の身体からすべての膏薬が剥がされているのを見た薬師が、
「
と、少し
「さて薬師、これが薬か毒か、三日ほど、
言われて薬師はじりっと下がり、
「これにて……」
言って立ち去ろうとするところを、近侍が、
「待たれよ」
行く手を薬師が
「そやつの首を即刻
突然えいが命じると、
「あ……」
と驚いた表情でえいを見た薬師が、何か口に出そうとするのを妨げるように、
「早うせい。このような者を生かしておいては、殿の御機嫌を
「は」
と、えいの傍ら近くに控えていた二人の武士が、
「ま、待て。待ってくれ」
翌日、夕刻になってっすっかり久秀の毒は抜けた。
薬師の処断を近侍に聞いて久秀は、鼻で一つ笑っただけで
「なれど」
久秀の身を近侍は案じたが、
「果心がおる」
辺りを近侍が見回すと、いつものように半眼で壁際に果心は座していた。
久秀に一礼して近侍が去ると、
「幻術外法に、
問うた久秀に、
「朝護孫子寺には、
果心が答えると、
「なるほど、仏道はわしのような者も救うてくれるということか」
自嘲して、
「果心」
声を改めると、
「わしは天下を獲るぞ」
久秀は言った。
「天下を獲って何となさいます」
「誰もがわしを恐れて頭を下げる」
「それで、久秀殿の心は晴れましょうや」
久秀は答えなかった。
「天下は獲るものに非ず」
「何を考えておる」
「壊すほうが、面白うございます」
久秀の頭の芯を、薄く笑った果心の声が刺し貫いた。
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