二十八 久秀の野望

 二月。

 朝廷より、桐紋塗輿きりもんぬりこしを使う許しが、久秀に下された。

 長慶親子と同じ輿に乗ってよいということである。主従の間柄にある長慶と久秀が同等である、と朝廷が認めたのである。

 三十年。

 三好家に拾われて十歳だった長慶に仕え、五十を過ぎて世にその名を刻むばかりか、あわよくば天下を手中に収める機会を、久秀は握りうるところまできたのである。

 桐紋塗輿を許されてしばらく、天下を我がものにしたい、と久秀は本気で思うようになった。

 この久秀がいなければ、長慶は天下の覇権を握ることはできまい。だが、長慶などいなくとも、天下のいただきにわしならば立てる。

 それがわかっていて、長慶をいただき天下に据えることに、果たしてこの松永弾正久秀は満足できるのか。

 もっと、己を試したいとは思わぬのか。

 久秀兄弟を拾ってくれた長慶の母はすでに他界している。

 また、その恩には十分に報じたつもりでいる。

 だから、いずれ長慶に取って代わって天下を獲る。

 信貴山城の見分けんぶんに長慶が訪れることになったのは、そんな思いを久秀が固めたころであった。

 当然、長慶の嫡男ちゃくなん、義興は反対した。

「信貴山に足を踏み入れてはなりませぬ」

 信貴山城竣功の宴の席で放ったえいの皮肉は、その兄である義興にも届いていた。もちろん、妹から頻繁ひんぱんに届けられるふみを読むまでもなく、そうした久秀の増長を、義興も察していた。だから、父、長慶にその思い上がりを戒めるように進言し、久秀を断固排斥するべし、と三好家の後継者として義興は訴えた。

 しかし、朝廷のお墨付すみつきをいただいたとあれば話は違う。いかに長慶とて軽々けいけいに久秀を更迭こうてつするわけにはいかない。

 もちろん、久秀を遠ざける気など、長慶には毛頭ない。長慶にとって、ときには兄のように、また、父のように惜しみなく力を注いでくれた久秀である。嫡男であろうがなかろうが、久秀を佞臣ねいしんとする諌言かんげん忠言ちゅうげんではなく、長慶にはむしろ佞臣の讒言ざんげんと同じであった。

 ゆえに、長慶の思うほどに久秀が忠臣ちゅうしんではなかったことを疑うことすらなく、久秀に左京大夫さきょうのだいぶを見せびらかすことに、長慶はきょうじていた。だからもちろん、信貴山にも左京大夫を長慶は伴って行くことにしていた。

「案ずるには及ばぬ。久秀がわしに謀反むほんを起こすことなど、万に一つもない。さようなことをすれば、久秀は我が三好一門を敵に回すことになる。あやつにそれぐらいの思慮しりょがのうて、これほど長くわしに仕えることなどできまいよ」

「なれど……」

 妹より受け取った文を長慶に義興は見せた。

「久秀一流のごとじゃ。あやつには、とかく己を大きゅう見せたがるところがある。それが、久秀のうつわの小さいところよ」 

 そう言って、義興の進言を長慶は退けた。

「ならば、この義興もお供つかまつりりましょう」

「それほど心配するなら勝手についてまいれ」

 あきれたように長慶は笑った。

 その日、五百の兵を率いた長慶親子を、似合わぬ作り笑いで迎えた久秀が、最後に天守閣に案内あないすると、

「なるほど、こちらからの見晴らしはよいな。じゃが、敵はこれを目当てに押し寄せるであろうな」

 そう長慶は評した。

 久秀に下し物を与えるのは好きだが、久秀の、特に独自に考案したものを、決して長慶は欲しなかった。欲することは、そのまま久秀の力を認めることになる、と長慶は考えていたからである。

 のちに、この信貴山城をしの安土城あづちじょうを築いた織田信長は、久秀の才を認めるだけの器を持っていた。

 同じくその才を義興は認めていたが、敵となる前に叩いておくべし、と改めて思っていた。

 その長慶と義興と同じところにありながら、しかし、まったく違うところを、左京大夫さきょうのだいぶは見ていた。

 階段の向こう側、ほの暗い板壁の前に座す果心の姿を、左京大夫は捉えていたのである。

 その瞳を、果心も見つめた。

 この左京大夫をいずれ久秀は手に入れるだろう。だが、やがて失う。

 一同が引き上げてから、

「左京大夫を、我がものにできようかの」

 問う久秀に、

さらったとて、かのおなごなら騒ぐこともありますまい」

 果心が答えると、

「そうか」

 はばかることなく喜びの声を久秀は上げた。

「ただ、久秀殿にはしばし時を待たれたがよろしゅうございましょう」

「顔に火傷を負わさぬとすれば、左京大夫が火中の栗となって、こちらが大火傷を負うことになる、ということよの」

 楽しそうに言って、

「果心」

「はい」

「義興の……な」

 声を落とすと、己の咽喉の前で左手の親指を寝かせて、

「首」

 短く言って引いてみせ、

「なんぞよい知恵はないか」

 厳しい視線を果心に久秀は送った。

 それを受け流すように果心は宙空に眼を向けて、

「さて、これでも仏弟子にて、誰ぞの命を縮めたことなどありませぬゆえ」

 京の陰陽師おんみょうじ何渡流酔かわたれるすいの顔をふと、果心は思い出した。

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