二十七 左京大夫
永禄四年(一五六一)。
久秀と弟の
長慶が現れて平伏していた一同が
反対側で憎々しげに久秀をねめつける、長慶の嫡男、
最初に長慶に新年の言葉を述べると、久秀はすぐに頭を下げた。
続いてそれぞれが新年の挨拶を述べ終わったところで、
「
長慶の言葉を受けて、
「はは」
と応じて
もし、この女が長慶の
長慶の後の言葉は、久秀の頭上を素通りするばかりであった。
その様子に、
「久秀」
名を呼ばれても頭を上げずに、
「は」
と、声だけ発した久秀の心は読めてはいたが、
「新しき城はどうじゃ」
「は」
「眺めがよさそうじゃな」
「殿にも、
顔を上げずに久秀は答えた。
「では、近いうちに参ろう」
それで、長慶は立ち、義興がそれに続いた。平伏したままの久秀には目もくれず、左京大夫も後に続いた。
それぞれに家臣も立ち去るところで、長慶の
「左京大夫様は、いずれよりお
と、声を
不意に問われて答えてよいものかどうか迷う様子を見せる近侍に、
「どこぞの
わかっていながら確かめるように久秀が重ねると、
「はあ……」
それに押されるように近侍は応じた。
「金か」
「さて、それは……」
さすがに近侍は言葉を
「あいわかった」
それで飯盛山城を久秀は
兄の信貴山城にも立ち寄って新年を
これまで長慶に取り立てられていたのは、この弟、長頼の働きによるところが大きかった。実際、この兄より長頼を、長慶の母は買っていた。
もちろん、賢明な弟は出過ぎたまねはしなかったし、それによって兄弟は力を合わせて
その久秀と長頼が久しぶりに顔を合わせたからと言って、形ばかりの祝宴や
城にもどるとすぐに果心を呼び出すように家来に命じて、女どもに
「兄上」
まず久秀の杯に酒を注ぎながら、
「なりませぬぞ」
と、長頼が言うと、
「なんじゃ」
久秀はとぼけた。
「左京大夫様にございます」
しかし、少し杯を舐めて、
「ほお、これが丹波の酒か」
己の杯にも酒を注いで、
「やはり、欲しいものを手にいれずば、気が済みませぬか」
言ってそれをぐいと、今度は長頼があおった。
それには返さず、杯に残ったそれを同様に一口であおって、
「長慶は」
と呼び捨て、
「刀でも槍でも、知謀軍略、いくさの指揮さえわしには勝てぬ」
言って今度は自ら杯に酒を注いで、
「なれば、わしの持っておらぬものを手に入れると、必ずそれを見せびらかしては」
なみなみと注ぎ入れた酒を見つめて、
「わしの欲しがるさまを見て喜ぶ」
そこで一気にあおって、
「
と、今、己が囲っている女の名を久秀は挙げた。
「では、いずれ左京大夫様も……」
「ほんとうにわしが欲しいものはいつまでも手放さぬ。いずれ、天下の
「兄上……」
「おい、酒がないぞ」
長頼の前に杯を久秀は突き出した。
さらに数杯を重ねてしばらく、
「参ったか」
長頼の背後に久秀が声をかけると、
「はい」
果心の声が応じた。長頼の背筋に
振り向くと、ぽつねんと、骨のように痩せた僧が座している。
「果心じゃ」
長頼に短く名を告げて、
「幻術外法を自在に遣う、法師様じゃ」
うれしそうに加えると、
「これは、わしの弟、長頼じゃ。今は丹波を治めておる」
「兄上の
尋ねた長頼に、
「果心は誰の指図も受けぬ」
言った久秀の言葉に半眼のまま、果心は動かない。
「じゃが、なかなかの切れ者での。わしを助けてくれる」
長頼に向かって久秀が話しかけたのは、ここまでだった。
「そこで、少し知恵をかしてほしい」
いつにない神妙な顔で言った久秀に、
「何なりと」
半眼のまま、果心は答えた。
「興福寺のような
そこで一度言葉を切って、、なかなか本題に久秀は入らなかった。
久秀には珍しい。
そうは思っても果心は変わらず、半眼のまま久秀の言葉を待った。
それで覚悟を決めたのか、
「人の愛妾を、我がものとしたいのじゃが、攫ってくるわけにもいかず、手をこまねいておる」
わざと声を荒げて久秀は言った。
「たやすいこと」
「何とする」
久秀は身を乗り出した。
「その女の顔に、
「え」
声を上げたのは、長頼だった。
翌朝、信貴山を辞去するときに、
「かの法師は危のうございます」
久秀に、長頼は耳打ちした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます