二十七 左京大夫

 永禄四年(一五六一)。

 久秀と弟の長頼ながより嫡男ちゃくなん久通ひさみち、その他、主立つ家臣が新年の祝賀を述べるために、長慶ながよしの居城、飯盛山城いいもりやまじょうに集まった。

 長慶が現れて平伏していた一同がおもてを上げたとき、久秀は息を呑んだ。

 眉目麗みめうるわしき女人を傍らに長慶は置いていたのである。

 反対側で憎々しげに久秀をねめつける、長慶の嫡男、義興よしおきは、久秀の眼中には映らなかった。

 最初に長慶に新年の言葉を述べると、久秀はすぐに頭を下げた。

 続いてそれぞれが新年の挨拶を述べ終わったところで、

左京大夫さきょのだいぶじゃ」

 長慶の言葉を受けて、

「はは」

 と応じて数瞬すうしゅん、再びかのおんなを盗み見て、頭を久秀は下げた。

 もし、この女が長慶の愛妾あいしょうでなければ、遠慮なく久秀はさらっていったであろう。その衝動を懸命に久秀は抑えた。

 長慶の後の言葉は、久秀の頭上を素通りするばかりであった。

 その様子に、

「久秀」

 名を呼ばれても頭を上げずに、

「は」

 と、声だけ発した久秀の心は読めてはいたが、

「新しき城はどうじゃ」

 たりさわりのない問いを,長慶は投げた。

「は」

「眺めがよさそうじゃな」

「殿にも、御見分ごけんぶんいただきまする」

 顔を上げずに久秀は答えた。

「では、近いうちに参ろう」

 それで、長慶は立ち、義興がそれに続いた。平伏したままの久秀には目もくれず、左京大夫も後に続いた。

 それぞれに家臣も立ち去るところで、長慶の近侍きんじをつかまえ、

「左京大夫様は、いずれよりおでになられたのか」

 と、声をひそめて久秀は問うた。

 不意に問われて答えてよいものかどうか迷う様子を見せる近侍に、

「どこぞの公家くげか」

 わかっていながら確かめるように久秀が重ねると、

「はあ……」

 それに押されるように近侍は応じた。

「金か」

 困窮こんきゅうする公家を助けることなど、長慶にはたやすい。

「さて、それは……」

 さすがに近侍は言葉をのごした。

「あいわかった」

 それで飯盛山城を久秀は辞去じきょし、信貴山に帰った。

 兄の信貴山城にも立ち寄って新年を言祝ことほぐという口実で、直接丹波には帰らず、久秀と久通に弟の長頼も従った。

 これまで長慶に取り立てられていたのは、この弟、長頼の働きによるところが大きかった。実際、この兄より長頼を、長慶の母は買っていた。

 もちろん、賢明な弟は出過ぎたまねはしなかったし、それによって兄弟は力を合わせて三好みよし重臣じゅうしんとなったのである。

 その久秀と長頼が久しぶりに顔を合わせたからと言って、形ばかりの祝宴や久闊きゅうかつじょすることはない。

 城にもどるとすぐに果心を呼び出すように家来に命じて、女どもに酒肴さけさかなの支度をさせると、余人よじんを久秀は遠ざけた。

「兄上」

 まず久秀の杯に酒を注ぎながら、

「なりませぬぞ」

 と、長頼が言うと、

「なんじゃ」

 久秀はとぼけた。

「左京大夫様にございます」

 しかし、少し杯を舐めて、

「ほお、これが丹波の酒か」

 己の杯にも酒を注いで、

「やはり、欲しいものを手にいれずば、気が済みませぬか」

 言ってそれをぐいと、今度は長頼があおった。

 それには返さず、杯に残ったそれを同様に一口であおって、

「長慶は」

 と呼び捨て、

「刀でも槍でも、知謀軍略、いくさの指揮さえわしには勝てぬ」

 言って今度は自ら杯に酒を注いで、

「なれば、わしの持っておらぬものを手に入れると、必ずそれを見せびらかしては」

 なみなみと注ぎ入れた酒を見つめて、

「わしの欲しがるさまを見て喜ぶ」

 そこで一気にあおって、

かえで揚羽あげはは長慶の下さりものじゃ」

 と、今、己が囲っている女の名を久秀は挙げた。

「では、いずれ左京大夫様も……」

「ほんとうにわしが欲しいものはいつまでも手放さぬ。いずれ、天下の覇権はけんも手にすれば、わしに見せびらかすであろう」

「兄上……」

「おい、酒がないぞ」

 長頼の前に杯を久秀は突き出した。

 さらに数杯を重ねてしばらく、

「参ったか」

 長頼の背後に久秀が声をかけると、

「はい」

 果心の声が応じた。長頼の背筋に悪寒おかんが走った。

 振り向くと、ぽつねんと、骨のように痩せた僧が座している。

「果心じゃ」

 長頼に短く名を告げて、

「幻術外法を自在に遣う、法師様じゃ」

 うれしそうに加えると、

「これは、わしの弟、長頼じゃ。今は丹波を治めておる」

「兄上の乱波らっぱにございますか」

 尋ねた長頼に、

「果心は誰の指図も受けぬ」

 言った久秀の言葉に半眼のまま、果心は動かない。

「じゃが、なかなかの切れ者での。わしを助けてくれる」

 長頼に向かって久秀が話しかけたのは、ここまでだった。

「そこで、少し知恵をかしてほしい」

 いつにない神妙な顔で言った久秀に、

「何なりと」

 半眼のまま、果心は答えた。

「興福寺のような荒事あらごとではない」

 そこで一度言葉を切って、、なかなか本題に久秀は入らなかった。

 久秀には珍しい。

 そうは思っても果心は変わらず、半眼のまま久秀の言葉を待った。

 それで覚悟を決めたのか、

「人の愛妾を、我がものとしたいのじゃが、攫ってくるわけにもいかず、手をこまねいておる」

 わざと声を荒げて久秀は言った。

「たやすいこと」

「何とする」

 久秀は身を乗り出した。

「その女の顔に、火傷やけどを負わせれば、すぐにでも長慶は久秀殿に女を下されましょう」

「え」

 声を上げたのは、長頼だった。

 翌朝、信貴山を辞去するときに、

「かの法師は危のうございます」

 久秀に、長頼は耳打ちした。

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