二十五 信貴山城落成の夜

 久秀の前に興福寺が屈した永禄えいろく三年(一五六〇)十一月に完成をみた信貴山城しぎさんじょうは、これまでのやかた陣屋じんやの常識をくつがえした。日本で初めて建築された、天守閣てんしゅかくを備えた四槽よんそうの城である信貴山城は、遅れて落成らくせいした多聞山城たもんやまじょうとともに、新しい城閣じょうかくさきがけとなった。

 竣功しゅんこうの祝いは、十二月に開かれた。

 朝護孫子寺ちょうごそんしじから招かれた果心は、いつもと変わらず、、影薄く壁際に座していた。

 嬉々ききとして城内を案内あないする久秀に、集められた客は祝辞しゅくじを述べ、すでに承知しているはずの家臣も改めて信貴山城をたたえた。

「いや、見晴らしがすばらしゅうございますな」

 などと見当違いな称賛をする者もあったが、たいていは、

「いかなる敵もこの城にたやすく攻め込むことはできますまい」

「ここから出陣しゅつじんすれば、兵の戦意も一段と高揚こうようしましょう」

 などといった世辞である。

 久秀は気に入らない。

 久秀の囲う女どもも口々にめそやしたが、久秀の求める言葉でないことに変わりはなかった。

 そんな中で、ただ一人、

「これでますます殿には恐いものなどなくなりましょう」

 言って、ひとしきり笑い声を上げてのち、

「たとい、父、長慶ながよしであってもな」

 皮肉ひにくを込めて言い放ったのは、久秀の妻、えい、であった。

 これは、久秀のあるじ、三好長慶の娘で、久秀には後妻である。

 両親を早くに亡くして途方とほうれていた幼い松永久秀、長頼ながより兄弟の才覚さいかくを見抜いて、二人を長慶の傍に置いて養育したのは、他ならぬ長慶の母であった。

長慶は、十歳で父、元長もとながを亡くしたが、元長の死後、三好家の勢力を盛り返すのに功績があったのは、長慶より十二歳年長の久秀と、その四歳年下の弟、長頼であった。長頼は、今は、丹波たんばを治めている。

 久秀と長頼を見出みいだしたその母の慧眼けいがんによって、三好長慶は天下を手中に治めようかというところまでぎ着けたと言えた。だから、長慶の松永兄弟への信頼は厚く、妻を失った久秀に、長慶は、まだ若かった娘を嫁がせたのであった。

 しかし、このごろになって、その妻、えいを長慶の放った間者かんじゃ、監視役でもあるのではないかと久秀は考えるようになっていた。

 己の夫ではあるが、当の妻、えいは、家臣として久秀を見下していた。

 そんな母を、嫡男ちゃくなん久通ひさみちは快く思っていなかった。

「母上」

「なんじゃ」

「お控えなさいませ」

 低い声でたしなめて久通は、このとき十八歳。先妻の子である。

「久通」

「は」

「捨て置け」

「なれど」

「確かに今のわしに恐いものなどない」

 切り捨てるように言いながら、久秀は上機嫌だった。

 だが、うたげが終わると、果心に目配せをして天守閣に通じる階段に久秀は足をかけた。

 久通や側近の何人かがついていこうとすると、

「かまうな」

 言って、大杯たいはいをいくつも重ねたにも関わらず、普段と変わらぬ足取りで天守閣に久秀は上がっていった。

 その一段高い久秀の座の前には、皆を案内したときにえられた火桶ひおけが、そのまま赤い。その他には真っ暗だったはずのそこ、久秀の座の両脇に、ふっと明かりがともる。

 目を細めてそれを一瞥いちべつした久秀が座に腰を落ち着けると、

「人の考えつかぬことを、どれだけ考えだすか」

 いつのまにそこに座したのか、階段脇の壁際の闇から浮き上がるように見えた果心が声を発した。

 そちらを見やって、

「わかるか」

 やっと満足のいったように久秀は笑った。

「外法も同じにございますれば……」

「ほお、そうか」

 珍しく感歎の声を漏らした久秀に、

「己の手の内を知られては、おくれを取りまする」

 言うと、それできょうに乗ったのか、

「なるほど」

 例のごとく髭に手を当て、

「されば、わしが弟子になるゆえ、外法の手ほどきをいたせと申しても、手の内をさらすようなまねはせぬということか」

 と、果心を斜めに見ながら久秀は言った。

 それには即座そくざに、

「久秀殿なれば、いかようにも御教示ごきょうじいたしましょう」

 薄く果心は笑った。

「ほお、わしが手の内を知れば、果心の命を奪いにかかるやもしれんぞ」

 身を久秀は乗り出した。

「されば、おためしあれ」

 さらりと果心は応じた。

 それで、声音こわねを殺して、

「果心はわしが恐ろしゅうはないのか。誰もわしを恐れるぞ」

 そう久秀はおどしたが、

「久秀殿には恐いものはありませぬのか」

 果心は切り返した。

 すかさず、

「あまたの修羅場しゅらばを駆け巡ったわしに、恐いものなどあるものか」

 応じて一つ、鼻で笑うと、

「さきほどえいも申しておったであろう。長慶様でも、もはや恐るるに足りぬ」

 平然と久秀が言い切ったのは、ここに果心しかおらぬからであろう。

「果心」

「はい」

 長慶さえ恐れぬと口に出した勢いが、

「このわしを恐がらせてみよ」

 久秀に言わしめた。

「やはり、久秀殿は面白うございます」

 声を立てずに果心が笑ったとたん、明かりが消える。

 一瞬、息を呑む久秀。

 闇夜あんや霧雨きりさめが降り出したようだった。

 

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