二十三 策

 翌、永禄三年(一五六◯)二月。

 朝廷より、従四位下しゅよんいのげたまわり、京洛きょうらくを取り締まる弾正台弼だんじょうだいひつを仰せつかり、主人、長慶ながよし嫡男ちゃくなん義興よしおきととももに、相伴しょうばん衆に任じられた。

 その久秀に、信貴山寺から祝いの品を、果心は届けた。

 久秀は、機嫌がよかった。

「阿波で親を亡くし、路頭に迷っておったわしが、ようようこの地位を得たのじゃ。なまなかの者では、こうはゆかぬ。わしも大した者であろう」

 自賛の言葉を並べるのは、果心に対してだけでない。

「松永弾正久秀。どうじゃ、なかなかによい響きであろう」

 しかし、そういう久秀に対してもことさらに媚びることを、果心はしない。

「他の家来どもと違って、大仰おおぎょうに褒めそやさぬところが、果心だる所以ゆえんか」

 そう言って、目を細めては、久秀は自慢の髭を撫でた。

 同年五月。

 京に向かう今川義元いまがわよしもとが、桶狭間おけはざま織田信長おだのぶながに討たれた。

 そのころ、大和を平定するために、久秀は興福寺を抑えにかかっていた。屈強くっきょう僧兵そうへいようして支配者に興福寺が抵抗するのは、仏道を守護するためではあるが、奈良には平家に焼かれたうらみから、それに抗う力をつけていた。

 あるじ、三好長慶の命に興福寺攻略に尽力していた久秀は、小競こぜりり合いを重ねていたがらちがあかず、さすがに万策ばんさく尽きた感が漂っていた。

 そんなときだった。軍議で、

「そう言えば、信貴山寺より参りまする果心なる僧は、昔、興福寺におったそうに聞いておりまする」

 ふと、家臣の一人が漏らした。

 久秀は、すぐに信貴山寺に使いを走らせた。

得体えたいの知れぬ奴じゃとは思うておったが、あれで興福寺におったとはな」

「元は、百姓の子にて、外法を遣うそうにございます」

「げほう?」

「幻術にございます」

「ほほ、百姓の子で幻術を遣うか。なるほど、あれだけの異相ならば、さもあろう」

 得心がいったという顔を見せてから、

「果心を、よう存じておるのか」

 不審をその家臣に久秀は向けた。

 問われて、家臣は身を固くした。

「いえ、我が妻の申すところによりまする、ちまたの噂にございます。

「他に、どのような噂がある」

 瞬時、困ったような色をその眼に浮かべながらも、

「かの僧の外法、幻術にかかって信貴山寺に足しげく通うおなごがおるそうにございます」

 家臣が答えると、

「ほお、それはよい」

 それで、その日の軍議を久秀は終えた。

 夕刻、果心が訪れた。

「今、我らは興福寺と一戦を交えておるが、なかなかに埒があかぬ。なんぞ、よい手立てはないか」

 問われて、

「はて。御仏に仕える者に、その御仏の教えを伝える寺と、いかに戦えばよいかとお尋ねか」

 果心は問い返した。

「聞けば、興福寺におったそうじゃな。なんぞ、恨みでもあるのではないか」

 底意地の悪い眼光を久秀は送った。

「さて、昔のことゆえ」

 のらりと返した果心に畳み掛けるように、

「恩もないか」

「さて、昔のことゆえ」

 やはり、くらり、と果心は返した。

 それを楽しそうに受けて、

「ならば、得意の幻術を遣うて、きゃつらの眼を眩ませてはくれぬか」

 続ける久秀に、果心は破顔し、

「これはまた面白きことを仰せになる」

「できぬか」

 迫る久秀に、

「できぬことはございませぬが……」

 しばらく考える態を見せて、

「久秀殿は、たくさんのおなごを抱えておりまするな」

 果心は問うた。

「果心にくれてやるおなごはおらぬが…… おなごをどうする」

 わずかに不安を声に久秀はにじませた。

夜陰やいんまぎれて、三十人ほどのおなごを送り込めば、いかに屈強なる僧兵と言えども、腰抜けとなっていくさの役には立ちますまい」

「なるほど、男を立たせて役に立たせぬか」

 己の吐いた戯れ言に、下卑た笑いを久秀は見せたが、

「だが、この城には、さすがに三十人はおらぬ。それに、ここに仕える女どもは、わしのものじゃ」

「弾正様ともあろうお方が、女を惜しまれるか」

「なに」

 久秀の語尾が跳ね上がった。

「わしが、いつ女を惜しんだ」

「なれば、即刻、女どもをお召しなされよ。三十人に足りねば……」

「みなまで言うな」

 声を荒げて立ち上がると、

「近郷近在より、遊びどもをり集めよ」

 松永弾正久秀は下知した。

そうして果心に視線を戻し、

「されど、戦陣にそれだけの遊び女が入り込んだとなれば、怪しまれるであろう。ましてや仮にも御仏に仕える僧侶が、やすやすと姦淫かんいんの戒めを破ろうか」

 半眼をさらに果心は細めて、

「興福寺ならずとも、僧である前に男であることに変わりはありませぬ。久秀殿もどこぞの寺に入って修行なされば、それが知れましょうぞ」

 言うと、鼻で笑って久秀が、

「皆が皆、さような虚仮こけばかりとは限るまい」

 そう言うと、

「なるほど、久秀殿が手を焼いておられるのは、そやつにございますな」

 薄く果心は笑った。

 苦虫にがむしつぶしたように久秀は、

「十文字の、変わった槍を遣う坊主じゃ。こやつが指揮を執ってなかなかに手強い」

 と言った。

「槍遣い……」

「心当たりがあるのか」

「いや、もう昔のことゆえ……」

 言いながら、何か思いついたように果心は、

「もう一つ、仕掛けをほどこしましょう」

「外法か」

 身を乗り出すように問うた久秀に、半眼、薄い笑みを果心は見せた。

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